「NO DU」再び
清宮美稚子 (編集者・『世界』元編集長)
ロシアがウクライナに侵攻を続けて1年以上がたつ。一刻も早く停戦交渉を始めよという識者の声もメディアで紹介されるようになってきたが、一向に事態は進まない。
そんな中、イギリスがウクライナに供与する主力戦車「チャレンジャー2」に「劣化ウラン弾」が含まれることが明らかになった。G7広島サミット2ヶ月前の3月20日、ゴールディ英国防担当閣外相の発言によってだ。このニュース、さらに、イギリスは「チャレンジャー2」用として劣化ウラン弾を含む弾薬数千発をウクライナ側にすでに引き渡したという4月26日の共同通信報道に、鈍器で頭を殴られたような衝撃を覚えた。
劣化ウラン弾とは何か
自然界にある天然ウランから核兵器や原子力発電の核燃料に使用されるウラン235を取り出したあとの残留物を「劣化ウラン」(Depleted Uranium、略してDU)と呼んでいる。劣化ウランはほとんどがウラン238で、「劣化」という言葉が危険度の低下であるかのような誤解を招きやすいが、放射能を出し続ける危険な物質であることに変わりはなく、しかもその半減期は45億年と、気の遠くなるような長さである。
劣化ウランは密度が鉄の2.4倍もある極めて重い物質で、この特質を利用し砲弾の貫通体に使ったものを「劣化ウラン弾」(DU弾)という。鋼鉄の戦車なども簡単に貫通してしまう、極めて性能の高い兵器である。砲弾だけでなく、戦車の装甲などにも利用されている。
劣化ウラン弾が着弾・貫通する時に摩擦熱で劣化ウランが燃焼すると、細かい煙となって空中に飛散する。劣化ウランの微粒子は風に乗って数千キロメートルも拡散し、空気や土壌、水を汚染する。人の体内に取り込まれた劣化ウランの放射線と重金属による人体への影響も危惧される。しかし、アメリカやイギリスの政府は、公式には「劣化ウランは人体に影響がない」との主張を繰り返している。
多くの戦争、紛争で劣化ウラン弾が使われた
初めて劣化ウラン弾が大規模に投入されたのは1991年の湾岸戦争といわれている。
私が劣化ウランの問題を初めて知ったのは、アメリカCBSテレビのドキュメンタリー番組「60ミニッツ」の日本語版である「CBSドキュメント」からだった。これはTBSで1988年から20年以上続いた長寿番組で、1時間の中で毎回3本のドキュメンタリーが紹介される。この中に「湾岸戦争症候群」と題した1本があった。湾岸からの帰還兵たちに白血病、がん、脱毛症、皮膚の痛み、倦怠感や関節痛、記憶障害などを発症する者が多く、帰還後に生まれた彼らの子どもに先天的欠損が見られる例もあった。これら一連の症状を総称して「湾岸戦争症候群」と言い、その原因の一つとして「劣化ウラン弾」が疑われるという内容だったと記憶している。湾岸戦争から何年後くらいの放送かは残念ながら覚えていないが、この時点では劣化ウラン弾が使われた湾岸の地でどのような環境や人体への影響が出ているかという報道はまだほとんどなかったように思う。その後、写真家の豊田直巳氏や森住卓氏のイラク取材をもとにした写真集などの著作が、湾岸戦争がイラクの子どもたちにもたらした甚大な被害を伝えている。
NATO軍による1995年のボスニアへの介入、1999年のコソボへの介入においても劣化ウラン弾が投入され、派遣されたヨーロッパ各国の兵士の中で「バルカン症候群」が大問題となった(とくにイタリアでは派遣兵士の多くが重篤な病気にかかったといわれている)ため、2001年1月、EU議会は劣化ウラン弾のモラトリアムを求める決議を採択した。後述するイラク戦争を経て、国連総会も2007 年以降、劣化ウラン兵器の健康や環境に対する危険性を訴える決議を繰り返し上げており、欧州議会も 2008 年 5 月、劣化ウラン兵器使用の国際的禁止に向けた決議を採択している。
イラク戦争と劣化ウラン
2002年の暮れ、世界中でイラク攻撃への懸念が高まる中、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾による被害を訴えるためにイラクからジャワッド・アル・アリ医師らが来日し、湾岸戦争後にがんや先天性異常が急増していること、そして「イラクで戦争が始まれば再び劣化ウラン弾が使われることになる。それはなんとしても避けたい」と訴えたことは重要だった。
しかし、翌2003年、イラク戦争が始まり、湾岸戦争を大きく上回る量の劣化ウラン弾が使用されたと推定されている。しかも、湾岸戦争時とは違って、イラクの南部だけでなく、バグダッド、バスラ、ファルージャなど、一般市民が住む都市部でも使用された。
このイラクの地で劣化ウラン弾が何をもたらしたかについては、イラク戦争後の宗派対立による治安の悪化などの影響で、報道は非常に限られるものとなってしまった。報道がないと、問題そのものも忘れられてしまいがちだ。その中で、イラクの医療の現場からは悲痛な訴えが発せられ続けていた。2013年、イラク戦争から10年たったタイミングで刊行された『劣化ウラン弾――軍事利用される放射性廃棄物』(岩波ブックレット)、特にその第4章「イラクは、今――開戦から10年を経て」は貴重なレポートかもしれない。
忘却のベクトル
2003年、イラク戦争が始まった頃、知り合いの編集者から「劣化ウラン問題は私のライフワークです」と言われた。鈍感ながらCBSドキュメントのことが頭に残っていた私は、この言葉に触発され(というより、頬をパシッと叩かれたように感じ)、改めて本などで勉強し、その時所属していた月刊誌で劣化ウラン問題を何度か取り上げた。しかしその後は私も問題を追ってこなかった。そこに、今回のイギリスのウクライナへの劣化ウラン弾供与のニュースである。自分自身の問題意識が中断していたことを痛烈に反省しながらこの原稿を書いている。
イラク戦争から20年、湾岸戦争からは30年以上がすぎた。深刻な問題ほど、かえって忘却されてしまうのか。そこで、このような新聞記事まで出てくる。
〈「ウラン」と恐ろしい名前がついていても、単純に「重い弾丸」で、「汚い爆弾」や「戦術核兵器」とは質的に違うものです。(中略)放射能物質でも固体かつ、放射能が低いため、「内部被曝」や大規模な「放射能被害」を引き起こす物ではありません(『「核を用いた兵器だ」恐怖あおるロシア 英国の劣化ウラン弾供給』[朝日新聞デジタル3月25日 ]に付されたフォトジャーナリスト、クレ・カオル氏のコメント・プラス[3月26日投稿])。
この方に、豊田氏や森住氏の著作を読んだことがあるのか聞いてみたいところだ。
再びNO DUのうねりを
「ウクライナの大地を劣化ウラン弾で汚染させるな!」――3月20日のニュースを受けて、日本でも「イギリス政府のウクライナへの劣化ウラン弾の供与に反対する声明」を発表し、署名運動にも取り組むなどの動きがすぐに始まった。多くは2003年のイラク戦争時、劣化ウラン弾の禁止を求める運動に精力的に関わってきた人たちや団体だ。
2002年の来日以来、劣化ウラン弾による被害の状況を訴え続けたジャワッド・アル・アリ医師は2021年に死去した。G7広島サミットでは、核抑止を事実上肯定し、核兵器廃絶に向けた十分な議論がなかったことに被爆者の方たちから失望の声が上がったが、このサミットでは劣化ウラン問題もスルーされた。
「劣化ウラン弾の危険性が隠蔽されてしまっている政治的状況は、残念ながら、いまだに変わっていない。国際社会は、戦場を越えた被害を及ぼす劣化ウラン弾を非人道的兵器として認識し、核兵器ととともに、その廃絶に向けた取り組みを早急に開始すべきである」(「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」3月28日の緊急アピールより)
ウクライナの地にもロシアの地にも劣化ウラン弾が降り注いではならない。
ーー
清宮美稚子(編集者・「世界」元編集長)
◇◇清宮美稚子氏の掲載済コラム◇◇
◆「ネオニコ-野放しの30年」【2023.3.2掲載】
◆「原発廃炉と再稼働―フィクションとの闘い」【2022.10.18掲載】
◆「『老後とピアノ』を読む」【2022.6.21掲載】
◆「国際人権から見た夫婦別姓」【2022.3.3掲載】
☞それ以前のコラムはこちらから