自由な立場で意見表明を
先見創意の会

原発廃炉と再稼働―フィクションとの闘い方

清宮美稚子 編集者・『世界』元編集長

今年の夏は、安倍元首相が銃弾に斃れるという歴史的事件と、それに続く統一教会と自民党のズブズブの関係や国葬の是非をめぐる問題が大きくメディアに取り上げられた。その陰で、原発政策に関連して大きな動きがあった。

順に述べると、①メルトダウンを起こした東京電力福島第一原子力発電所(以下、適宜F1と略す)からの「処理水」の海洋放出を原子力規制委員会が認可したことを受けての展開(7〜8月)、②岸田首相が「原発政策の大転換」表明(8月24日)、そして③F1の廃炉に向けての燃料デブリ(原子炉内に溶け落ちた核燃料)取り出し開始の再延期発表(8月26日)、と続く。

①および①と③の関係については後述するが、②は7月の参院選の争点から隠され、その後いきなり発表されたという点でも重大な問題である。8月24日、岸田首相は「ロシアのウクライナ侵攻で世界のエネルギー市場が混乱していることを踏まえ、原子力の活用が急務と判断」し、原発の新増設を想定しない東日本大震災以降の方針を大きく転換すると表明した。具体的には、次世代革新炉の開発・建設/運転期間の延長など既設原発の最大限活用/再稼働したことのある10基に加えて安全審査通過済みの7基を追加再稼働――で、年末にあらゆる方策の具体的結論を出すよう検討の加速を指示した(8月24日付『日経』のまとめによる)。

③は、「デブリ取り出し」という廃炉過程最初の難関をめぐる問題である。国と東電は、事故から10年後の2021年にロボットアームを使って試験的に取り出しを開始するとしていたが、コロナ禍の影響で延期、2022年内には着手するはずだった。それを、さらに最長1年半程度延期すると8月26日に発表したのだ。今回の再延期は国と東電が掲げる廃炉計画のスケジュールには影響しないという。

「処理水」の処分も「デブリの取り出し」も問題を大きく抱えたまま、将来、必ず廃炉を迎える原発をこれからもますます進めるというのだ。事故原発と老朽原発の廃炉は困難さが違うとはいえ、通常の老朽原発の廃炉工程にも事故原発のそれと共通する大きな困難がある。そもそも、2022年現在で実際に日本で廃炉が完了した商用原発は一つもない。

なお、これら一連の動きのタイミングに合わせるかのように、8月に尾松亮著『廃炉とは何か――もう一つの核廃絶に向けて』、9月に日野行介著『原発再稼働――葬られた過酷事故の教訓』が刊行された。かたや「廃炉制度研究会」を主宰する作家によるブックレット、かたや長年福島原発事故を取材してきたジャーナリストによる新書。コンパクトなサイズながら、2冊とも噛みごたえは半端でない。

『廃炉とは何か』は、F1の「40年廃炉」(事故から40年に当たる2051年までに廃炉を完了する)に向け着実に進行中と国や東電はいうものの、そもそも廃炉完了の要件が定められていないこと、それゆえ廃炉に向けての工程も確定せず無責任なものになっていることを、資料をもとに指摘し、「40年廃炉」がフィクションであることを立証していく。その際、スリーマイルとチェルノブイリという二つの重要な先例が比較参照される。「デブリ取り出し」後の安全管理の問題を住民参加の議論で決着させたスリーマイル、国の強固な意志で100年以上かかっても廃炉を完了させると法律に明記したチェルノブイリ、そのどちらの教訓もF1の廃炉をめぐっては素通りされていることがよくわかる。

『原発再稼働』は、福島原発事故の教訓を闇に葬ることで原発再稼働が進んでいる実態を立証した執念の作である。情報公開で入手した膨大な資料などをもとに、再稼働に向けての意思決定過程を炙り出し、原発行政のフィクション性を暴いていく。事例として、火山噴火が原発に与えるリスクをめぐって、事故の教訓を反映させたはずの新規制基準がどう議論されたかが詳述される。秘密会議の隠し録音を記者会見で流し、当事者の原子力規制委員会更田委員長を問い詰めていく、その迫力にはこれぞ調査報道と感服した。避難計画(これがないと原発再稼働はできない)の不透明な策定過程をめぐって国や地方の役人を追い詰める場面も同様の迫力だ。

この2冊の本をめぐって、集英社のウェブサイト「集英社新書プラス」で、尾松氏と日野氏が対談している。これがめっぽう面白い(「役所が意図的に作りだす『原発のフィクション』をいかに暴いていくか?」、「巧妙なアジェンダ・セッティングで進められる原発行政をリセットする方法」)。

対談の中で、日野氏の調査報道の本当のすごさが説明されている。それは、原子力規制委員会も、地方自治体も、一度再稼働のウソや秘密を共有してしまうと、自分たちが追及されないため、法的責任から逃れるために情報隠しに加担せざるを得なくなり、原発事業者と同じモチベーションを共有する利害関係者=フィクションを作る「共犯者」になっていく、という構造を明らかにしたことだという。そして、そういう構造的な問題は、今までの原発をめぐる闘い方では見えてこない。加害者・推進者側の土俵でいくら闘っても、最初から被害者・反対者側の負け戦であるのは明らかだ。たとえば再稼働をめぐって「規制委員会の安全規制はちっとも厳しくないのではないか」と追及しても、「福島事故の教訓に立って中立公正な規制をやっております」と答えるだけで、規制委員会は痛くも痒くもない。「40年で廃炉は可能なのか」という問いも、40という数字が妥当かという議論に流れ、廃炉過程での中間貯蔵施設やデブリの保管といった本質的な議論に戻れなくなる。廃炉や再稼働という大きなフィクションを暴くためには、加害者・推進者側に都合のいいアジェンダ・セッティングを見直すことが必要である。「原発のような巨大な国策は、官僚機構が膨大な情報を隠して独占しなければ進められません。その構造を知られないよう、巧妙なアジェンダ・セッティングで国民の批判や怒りを浪費させて、諦めさせます。でも、厚い壁を前に立ちすくんで傍観者になって何も声をあげなければ、自分も共犯者になってしまう」(日野氏)
 
そこで、①に話を戻す。F1に溜まり続ける汚染水(日本政府は「汚染水」ではなく「ALPS処理水」と表現、大部分のマスコミも「処理水」を使っている。ALPSは多核種除去設備のことだが、トリチウムは除去できない)の海洋放出の問題である。

政府が「処理水」を海洋放出すると決めたのは2021年4月のことで、2022年7月に原子力規制委員会が「安全性に問題はない」として正式に認可、8月2日に福島県と地元の大熊町、双葉町が東電に対し「処理水」放出に使われる施設の建設を了承する旨伝えると、早くも2日後の4日、東電はその本格的な建設工事に着手した。

「処理水」放出に使われる施設とは海底トンネルのことで、F1から沖合まで1kmの長さだ。放出開始は来春の予定で、海底トンネルの先端から沖合の海に放出されるが、その前に海水で希釈し、トリチウムの濃度を国の排出基準の40分の1未満にするという。当然ながら、漁業関係者を中心に反対の声は強い。

現在、「処理水」は約130万トンがF1敷地内の1000基以上のタンクに保管されている。それをなぜ海洋放出するのかというと、「このまま保管を続けると廃炉作業の支障となるため」と、たいていの新聞記事にはさらっと書いてある。これだけではなぜ、どういう支障なのかわからないが、詳報、たとえば2022年8月2日のNHKの報道では、2023年夏〜秋にタンクが満杯になる見通しに加え、「敷地内には空きスペースもありますが、政府や東京電力は、今後、溶け落ちた核燃料や使用済み燃料の一部保管施設などを建設するためタンクを増やし続けることはできないとしている」という。

つまり、「処理水」の海洋放出は「デブリ取り出し」などF1の廃炉の問題とつながっている、というかセットで考えるべき問題なのだ。

デブリを取り出したあとは敷地内で何らかの方法で保管せざるを得ず、その場所確保のため、「処理水」の保管場所は広げられず、「処理水」を少しずつ移さなければならない。が、移す場所が敷地外に確保できないため、海に捨ててしまうということなのだ。しかし、「デブリ取り出し」開始が延期を繰り返す中、「処理水」だけ先に流していっていいものだろうか、という疑問がわく。

「処理水」の海洋放出について、「トリチウムは環境や人体にとって危険なので反対」「風評被害への懸念が払拭できないので反対」というのは、もちろん超重要な論点だが、「トリチウムの安全性→国際基準を満たしているから問題ないです」「風評被害をいかに防ぐか→国民の理解が得られるよう誠意を尽くします」と、個別の土俵で闘わされ、個別の答えでかわされ、水かけ論となってしまう。廃炉とは何をすることで、どういう工程で進めるべきか、という全体の構図の中に「処理水」も位置付けて検討する。そうでないと、当面「処理水」をどう処分あるいは保管すべきかという方策も、見えてこない。

これも、尾松氏・日野氏の指摘するアジェンダ・セッティングの問題につながることなのではないか、と2人の対談を読んで感じたのである。アジェンダ・セッティングの見直しに関する実例やヒントがこの対談には詰まっている。メディアにもその力が問われていると痛感する。

ーー
清宮美稚子(編集者・「世界」元編集長)

◇◇清宮美稚子氏の掲載済コラム◇◇
◆「『老後とピアノ』を読む」【2022.6.21掲載】
◆「国際人権から見た夫婦別姓」【2022.3.3掲載】
◆「『子宮頸がんワクチン』問題」【2021.10.5掲載】

☞それ以前のコラムはこちらから

2022.10.18