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岸田首相は核抑止重視する尹大統領を手本にせよ

榊原智 (産経新聞 論説委員長)

岸田文雄首相が韓国を訪問し、同国の尹錫悦大統領と会談した。尹大統領の日本訪問(3月)、米国訪問(4月)と合わせ、日米韓が安全保障協力を強化する姿勢を周辺国に示したのは抑止力向上の観点から良かった。周辺国とは、核兵器を持つ専制国家である中国、ロシア、北朝鮮である。

ちなみにこの訪韓では、いわゆる徴用工問題をめぐって、岸田首相が「当時厳しい環境のもとで多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛む」と述べた。
 
だが、この問題をめぐっては、そもそも日本側に責任はない。謝罪したり、賠償金を支払ったりするいわれはないのに、日本側が加害者であると受け止められるような発言をしたのは間違っている。いわゆる徴用工は、法令に従って当時日本国民だった朝鮮半島の人々にも課せられたものだ。第二次世界大戦当時、多くの国が行っていた勤労動員の一種にすぎない。史実に反した言いがかりをつけられている日本側が「被害者」といえる。

話を戻したい。今回の会談で、日韓の両首脳が安全保障協力の推進を掲げた以上、その内容を充実させねばならないのは言うまでもない。

そこで気がかりなのは、核抑止をめぐって岸田首相と尹大統領に温度差があることだ。

尹大統領は先の訪米で、バイデン米大統領と会談し、米国の「核の傘」提供を軸とする拡大抑止を強化する「ワシントン宣言」を発表した。

北朝鮮を相手とする朝鮮半島有事を念頭に、米国の核戦略計画に関する情報を韓国と共有する「核協議グループ(NCG)」の新設や、核弾頭を装着できる潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)搭載の米戦略原子力潜水艦の韓国寄港を打ち出した。

バイデン大統領は、米韓首脳会談後の会見で、北朝鮮が米国や同盟国を核攻撃すれば、「(北朝鮮の)政権は終焉する」と語った。

注目すべきは、NCGを通じて、米国の核政策について、計画立案や訓練などへ韓国側の関与も認めるとしたことだ。

米原潜の韓国寄港だけで十分な抑止力になるかという問題はあるが、尹大統領が自国民を守るため、核抑止態勢の強化に取り組んでいることは明らかだ。

一方、岸田首相はどうか。

日米首脳会談などでは、核を含む米国の拡大抑止の重要性、有効性を確認してはいるが、日本は、米韓NCGの創設のような具体的取り組みに踏み込んではいない。岸田首相は広島での先進7カ国(G7)首脳会議(G7広島サミット)で、「核兵器のない世界」という目標に関するメッセージを発することに重点を置いているようにみえる。

「核兵器のない世界」が理想である点は、だれも否定しないだろう。理想を掲げること自体は否定しないが、そればかりでは日本国民を守り切れない点に岸田首相は気付いたほうがよい。

日本と国民の生命を守る責務を負う日本国の首相を務めている以上、現実的な安全保障政策も併せて追求しなくてはならないということだ。日本国民の頭上で再び核兵器が爆発することを防ぐには、理想を唱えるだけではかなわない。

核兵器をもつ中国、北朝鮮、ロシアという専制国家の権力者や軍は「力の信奉者」だ。彼らがいちばん理解するのは、相手国の軍事力を柱とする抑止力である。

ロシアが核兵器を放棄したウクライナに核恫喝(核攻撃の脅し)をかけていることからわかるように、中露、北朝鮮が、核兵器を持たない国に対して核恫喝や核攻撃をためらうことはあり得ない。

残念な話だが、人類の今の科学技術の水準では、核攻撃を確実に防ぐ手立てはない。専制国家の核兵器使用を防ぐには、こちらも核兵力を用意して抑止する手立てを講じることが欠かせない。核軍縮でさえ、相手に一目置かれる核兵力を有していなければ、核保有国は削減の呼びかけには応じない。

核兵器を持つ専制国家に取り囲まれながら、自ら核兵器を持っていない日本は、同盟国の核兵力を核抑止に利用するしか安全を担保することは難しいということだ。

日本は北朝鮮の核・ミサイルの脅威にさらされている。また、中国も核戦力強化に走っている。ロシアは、米本土攻撃をにらみ核搭載の戦略原潜を北海道北方のオホーツク海に展開させている。中露、北朝鮮がその気になれば、その核は日本に投射されて炸裂する。ミサイル防衛(MD)での迎撃は極めて重要だが、すべてを撃墜することは難しい。

自国か同盟国の核兵器で核抑止態勢を整えなければ、日本も国民のきわめて危うい状況に置かれたままになってしまう。

日本と同じように核兵器を持たない韓国の尹大統領が米国との間で核抑止態勢の強化に動いているのは、北朝鮮が核を搭載して米本土を攻撃するための大陸間弾道ミサイル(ICBM)や、韓国などを攻撃するための戦術核兵器の開発を急いでいるからだ。

尹大統領は厳しい現実を踏まえ、自国民に対する責任を果たそうと行動している。岸田首相も尹大統領が示したような核の脅威に対する危機感を持つ必要がある。

5月7日のソウルでの記者会見で、米韓NCG創設などワシントン宣言は「韓国と米国の2カ国ベースの合意だ」としたうえで、「日本が参加されることを排除していない」と語った。

一方、岸田首相は同じ会見で、「核協議体(=NCG)の創設を含め米韓で拡大抑止強化の議論が行われていること、そして、(既存の日米)拡大抑止協議や(外務・防衛担当閣僚による協議である日米の)2プラス2を含めたハイレベルの協議を通じた日米間の拡大抑止強化に向けた取り組み、これらが相まって地域の平和と安定に資するものだ」と語った。

日米の拡大抑止協議は事務レベルであり、米韓のNCGのような関与は認められているものではない。2プラス2などのハイレベル協議は、実際に語り合う時間は極めて短い。岸田首相の発言には物足りなさが残る。

岸田首相は、核抑止態勢を強化する努力も始めなければならない。反撃能力保有などを決めた国家安全保障戦略など「安保3文書」の決定だけで満足していてはいけない。日本の平和と国民の生命を守るため、先へ進む必要がある。まずは、NCG創設にこぎつけた尹大統領の行動力を見習うべきだろう。

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榊原 智(産経新聞 論説委員長)

◇◇榊原智氏の掲載済コラム◇◇
◆「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」【2023.1.17掲載】
◆「防衛力の抜本的強化こそが平和を守る道」【2022.9.6掲載】
◆「地下シェルターの整備を急いでほしい」【2022.5.24掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧下さい。

2023.05.09