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先見創意の会

コロナを「正しく恐れる」とは言うものの

佐藤敏信 久留米大学教授

相変わらずのコロナ禍である。マスコミや、一般住民向けの勉強会などで「正しく恐れる」という表現が使われるが、実際にはどうだろうか。

そもそもどれほどのインパクトのある病気であろうか。厚生労働省の人口動態統計の死亡を見れば、おおよそのことを知ることができる。コロナも最初の報道から1年ほどが経過したので、その数字を1年分とみなし、2019年の主な死因と比較してみる。

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注意すべきは、通常、死因は「主たる」死因で記録されるが、コロナに関してはコロナが主たる死因でなくとも、PCR検査その他の結果からコロナと診断されていれば、コロナとして報告する仕組みになっていることである。

それがわかった上で、数字をどう解釈するかは読者に任せたいが、少しだけ補足しておこう。ここにあげた疾患のほとんどが「感染」しない。しかしコロナは今後の対応によっては爆発的に拡大することもある。それに加えて日本の100倍にも及ぶ欧米の大変な状況が報道されると、明日は我が身かもと身構えてしまう。恐怖すら感じるかもしれない。

それにしても、年初来、数多くの専門家と自称する方が、多くの解説や予想をしてきた。たとえば、ダイヤモンド・プリンセス号の際の混乱を見て、「イタリアなら経験があるからあんなことにはならないだろう。」とか、「ドイツなら...」、「英国なら...」。さらには「このウイルスは湿度と紫外線に弱いから、そのころには一定の収束...」などもあった。「BCG接種の有無が感染と予後に影響しているのではないか。」との説も根強くあった。スウェーデンの自然免疫獲得作戦(ノーガード戦法)も注目されたが、現時点は成否は不明である。治療法もそうだ。4月19日付日経新聞のまとめの表をあらためて読み返してみたが、複雑な思いである。

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要するに、正しく恐れるといっても、結局のところ、専門家も、同じRNAウイルスであるインフルエンザの経験を元に考えてはみたものの、「実はわかってはいなかった」ということだろう。

これからのことに目を向ければ、安価で便利なPCR検査とワクチンの輸入の話に期待が集まる。しかし、そもそもPCR検査の感度・特異度、それに(コロナの蔓延状況にかかる)事前確率から総合的に考えれば、全幅の信頼を置くわけにはいかないはずだ。それにもかかわらず陰性証明なる言葉まで生まれ、陰性からのクラスター発生まで報告されている。検査のために集まって来れば、それで密になって感染が拡大してしまう危険もある。

また、ワクチンについてはどうか。過去を振り返ると、大新聞でさえ、インフルエンザワクチンへの反対の論陣を張っていたはずだし、最近ではHPVワクチンにも反対側からの視点で報道していたはずだ。コロナだけが、副反応が少なく、有効であるとは言えないはずだ。効果がどれほどのもので、いつまで持続するか未だに不明な点は多い。

ここまで書いたように、コロナについてはまだまだ分からないことばかりと言っていいだろう。これからもトライアンドエラーで、あれこれ試しながら少しずつ事実を積み重ねて対処していくことになろう。医療人はいいとして、一般国民はどうなるのだろうか。現状でやれることはマスクや手洗い、それに密を避けるくらいしかないのだろう。そのマスクも、かけているのはいいが、表面をベタベタ触っている人や、鼻の出ている人を見かける。フェイスシールドも、見栄えを重視しているのか、申し訳程度の範囲しかカバーできていないタイプのものを見かける。マスク装着とその意義を巡っては科学的にも社会的にもいろんな報告や報道が飛び交っているが、どうせ着けるのなら、せめて「正しく」着けてほしいものだ。

いずれにしても、マスコミその他には、せめて不確実なことを声高に、しかも断定的に語ることだけはやめていただきたいと考えている。

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佐藤敏信(久留米大学教授)

◇◇佐藤敏信氏の掲載済コラム◇◇
◆「コロナ禍の中でわが国の感染症の歴史を知る」【2020.9.8掲載】
◆「アフターコロナを考える」【2020.5.12掲載】
◆「医療現場の働き方改革に思う」【2019.7.9掲載】

☞それ以前のコラムはこちらから

2020.12.22