自由な立場で意見表明を
先見創意の会

鳥の歌

外岡立人 元小樽市保健所長、医学博士

平和

20世紀の偉大なチェリストであるパブロ・カザルス。スペインのカタルーニャ
地方に育った。

カタルーニャには多くの有名な民謡があるが、中でも”鳥の歌”は良く知られ
ている。

憂いを含んだその旋律。カザルスは招待された国連本部で鳥の歌を弾いた。

「私の故郷のカタルーニャでは鳥たちは、ピース、ピースと鳴くのです」と、
壇上で語ったエピソードはあまりにも有名である。1971年のことだった。彼の歌
う小声もチェロの旋律の背後に微かに聞こえるが、平和を達成できない世界への
抗議の旋律でもあった。カザルスの奏でるチェロからは、多くの旋律が一本の弦
の上で複合化されたように流れ、自分の頬を伝わる涙に最後まで気づかない人も
いる。

平和を求める声は、二十世紀に入ってから頻繁に叫ばれていたが、二十一世紀
に入ってから次第に途絶えだしている。

そもそも平和とは何なのか、その意味も曖昧になってきた。

平和とは概念に過ぎなく、実際に存在するものではないようだ。
キリスト教でも平和を求めて祈る。仏教でも平和を求める。神道でも求める。

しかし、命の奪い合いは世界中で続く。何を求めてなのか。我々は子ども達に
説明できるだろうか。

イエメンの難民キャンプでは、空腹を訴える子ども達の泣き声が止まない。爆
撃で手足を失った父親、母親達が、テント内の粗雑な救急ベッドに横たわる。
その光景。今、何世紀なのか。

NGOの若いナースが語る。ここでは子ども達の空腹を癒やす食料、衛生的な飲
み水、治療のための薬が必要なのです。平和とは会議で使う言葉です。私たちが
必要なのは語る言葉ではなく、実践する言葉なのです。

子ども達の本や絵本には多くの平和という言葉が並んでいる。
平和が大切なのだ、と子ども達は刷り込まれてきた。しかし数十年経った今、
その子ども達は平和と言う言葉を語る事はない。

僕も、あなたも…。

何故なのだろう?誰も疑問に思わず、子供と相対したときだけ、”平和”と語
る。
教師も、ジャーナリストも、政治家すらも。

若き環境活動家の17歳少女、グレタ・トゥーンベリ。国連で語った。”私たち
の家が燃えているのに、あなた方は何もしないのですか?この平和を語る場所で
何を語っているのですか?”

ゲリラに頭部を銃撃された17歳の少女マララ・ユスフザイ。やはり国連で、訴
えた。”1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、女性達にも教育
を!”。

香港の17歳の少女、周庭は雨傘を開いた。機動隊の放つ催涙弾を防ぐために。
自由を求め、何でも語れる民主社会を求めて、抗議のデモを率いた。彼女たち若
い学生達を拘束して社会から隔離してしまう中国の政治家達。中国から鳥たちは
いつ去ったのだろうか。

 

コロナ

今年(2020年)新型コロナウイルスが誕生し、世界中はコロナと闘っている。
このウイルスは人類が初めて見るような速さで変異を続け、既に数千種類の変異
株が誕生しているとされる。この中から人類に住み着くことが出来る変異株だけ
が生き残るはずだ。感染力はあるが、病原性は非常に弱い群れだけが残って欲し
い。毎日数時間かけて、世界中のコロナの動きを追いながら、僕はそう願う。

しかし、経済活動の再開を焦った欧州で第二波が発生した。再び感染者が増え
出している。多分第一波を越える流行波となる可能性が高い。それでも落ち込ん
だ経済を立て直すために、各国は経済活動を急速に緩和しだした。

旅行に行きなさい。外食をもっとしなさい。スポーツ観戦も楽しみなさい。も
っとお金を使いなさい。国はそう呼びかける。そして東京五輪もコロナ流行の有
無に関わらず開催される。

なぜ、皆急ぐのだろうか。
1000人の高齢者達の死よりも、1兆円の経済的損失の方を悼む。
僕もあなたたちも。

オーストラリアで、アマゾンで、アフリカで、そしてアメリカで森林が燃えて
いる。多くの野生動物たちが焼け死んでいる。木の上に逃げたコアラたちもたく
さん。森林の奥地から飛び出してきたコウモリが、コロナウイルスを人の世界に
広めだした。SARS,MERS、COVID-19。そして実験室でウイルスの変異株が作られ
る。時には武器として、たぶん…。

そして感染を恐れて引きこもる人々に、国は勇気を出して外に出て、もっとお
金を使って贅沢をしなさいと呼びかけるのだ。それが平和を呼び起こす起爆剤で
もあるかのように。

グレダは地球を救う事は簡単です、と多くの講演で語る。贅沢な生活を止める
ことです。それで多くの温室効果ガスが減ります。飛行機に一回あなたが乗らない
だけで、多くの温室効果ガスが減ることを知ってますか、と彼女は問う。動物たち
を殺して、その肉を食べることで、どれだけの温室効果ガスが増えるか知ってます
かと、と問う。放牧地のために多くの森が失われ、動物たちが殺され、精肉化さ
れて行く過程で消費される膨大なエネルギー

グレタの全ての問いに我が国の環境大臣は答えられないだろう。平和と言う言
葉を簡単に子ども達に向かって使う彼は、地球の火事に急いで対処しなければな
らないとは語らない。

なぜコロナウイルスは現れたか彼は何も語れないだろう。

グレタ・トゥーンベリが国連で叫んだ。”私たちの家が燃えている。なぜ何も
しないの!”

我が国の環境大臣は何も答えられなかった。

同じ場所で半世紀前、カザルスは鳥の歌をチェロで奏でた。しかし多くの鳥た
ちは、今、野火の中で死に絶えようとしている。

鳥たちを救うのは誰なのだろうか。
コロナウイルスはどこから来たのか。
それを子ども達に伝えるのは誰なのだろうか。
 
今は21世紀なのに。
 
― ―
外岡立人(医学博士、前小樽市保健所長) 

外岡立人氏の掲載済コラムはこちらからご覧下さい。
「新型コロナ、続々報」【2020年5月26日掲載】
「新型コロナ、続報」【2020年4月14日掲載】
「新型コロナ、パンデミック前夜」【2020年1月28日掲載】
「真剣な温暖化対策が求められる日本」【2019年11月12日掲載】

☞さらに以前のコラムはこちらからご覧ください。

2020.09.29