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先見創意の会

諸行はやっぱり無常なのだ

滝田 周 [(株)東京法規出版 保健事業企画編集2部 編集長]

こんなんで、いいのだろうか?

小学5年への進級を控えた3月のある日。放課後、私はブランコのある校庭の端っこに向かった。授業はあらかた終わりやることは特にないが、終業式はまだなので、登校はする。そんな曖昧な数日間は、決して嫌いじゃなかった。

学校は結構な高台にあり、校庭からは、点在する集落と通学路、道路を行きかうクルマ、畑の様子まで、一望の下に見渡すことができた。下から見たらごくごく平凡な里山も、なぜか少し雄大に見えた。視野の隅には、午後の陽を浴び黄金色に光る太平洋の水平線が入ってくる。今にして思えば、とても贅沢な景色だった。

ブランコを漕ぎ、そんな景色が近づいたり遠のいたりするのを眺めていたら、「4年生も、もうすぐ終わるんだなぁ」という感慨が、じわじわと湧いてきた。こんな気持ちになることを初めから見越して、ここに来たような気もする。いずれにせよ、来るべき学年への期待や不安よりも、過ぎ去ろうとしている「4年生の日々」に対する愛惜が勝るのを、抑えることができなかった。

ほぼ半世紀経った今でも、この時のことをたまに思い出す。子どもらしくない後ろ向きのメンタリティだと今にして思うが、当時も「こんなんで、いいのだろうか?」と、自問した気がする。それにしても、子どものころの懐古癖を懐古するという、この入れ子細工のような懐古癖は、どうしたものか。こんなんで、いいのだろうか?

心おきなく懐古できるのは、若者

この懐古癖、もはや「病膏肓に入る」の域だが、実はここ2、3年、懐古という行為が辛くもなってきた。なぜだろう? そもそも懐古とは何か? デジタル大辞泉(小学館)には、「昔のことをなつかしく思うこと。懐旧」とある。こんなトートロジーじゃ答えにならないから、自分で考えてみた。結果、懐古とは「無常を嘆じ、楽しむ遊び」という結論に至った。世の中の風物、人々が移ろい続ける無常の様を俯瞰しつつ、「変わっていくなぁ」「変わってしまったなぁ」と嘆じることを楽しむのだ。

ところで、無常を大いに嘆じ、心置きなく楽しむことができるのは、年寄りだろうか? 若者だろうか? 案に相違して、若者のほうだと私は思う。なんとなればあいつら(笑)は、「自分は歳を取らない、死なない」と錯覚しているので、無常はしょせん他人事だからだ。他人事ゆえに、懐古も気軽でカジュアルだ。最近では、「エモい」とか言いながら、自分の生まれる前のことまで懐古している。1980年代中葉に始まるレトロブームで、自分が生まれる前の昭和30年代の風物を懐古していたかつての若者が言うのだから、間違いない。

無常というものを、腑に落とさざるを得ない

西岸良平氏の『三丁目の夕日』や『鎌倉ものがたり』なんかを読んでいた頃から、驚くことに、そろそろ40年にもなる。かつての若者は初老を迎え、「自分は歳をとる、死ぬ」ということがようやくわかり始めてきた。それに伴い無常は我が事となり、懐古という行為に痛切さが伴うようになった。それで懐古が辛くなってきたのだ。

なぜ、「自分は歳をとる、死ぬ」ということがわかってきたか? 理由はいろいろあるが、結局、もっとも身近なこのカラダからして、どうしようもなく無常だからだ。髪の毛が白くなり目はかすみ歯も抜けてくると、さすがに「自分は歳をとらない、死なない」という錯覚は打ち砕かれる。いい加減、無常というものを腑に落とさざるを得なくなる。

ただ考えてみれば、ヒトはそもそも生まれたときから(いや、受精したときからかもしれない)無常だ。細胞は分裂し続け、古いのと入れ替わり続け、ほんの数年でまったくの「別人」になるらしい。となれば、細胞分裂、新陳代謝が活発な子どもや若者ほど、より激しい無常の中にあるといえる。もっとも、成長する方向で変化することは無常とは捉えず、ただただ寿ぐだけなのが人間だ。衰える方向の変化に襲われて初めて、それを無常と捉え、嘆き始める。今の自分のように。勝手なものだ。

今よりずっと空が広い白山通り

最近、痛切に無常を覚えたのは、昔の不忍通りを車載カメラで延々と撮影したYouTube動画を見たときだった。平成元年、1989年の撮影という。大納会で日経平均株価が当時の史上最高を更新した一方、公定歩合の引き上げが始まりバブル崩壊の口火が切られたとされる年である。翌90年には不動産取引の総量規制が始まり、株価、地価ともに一気に下落、91年にかけて瞬く間にバブルはしぼんでいく。次いで「失われた20年」も始まるのだが、動画の中の人々は、まだ、そのことを知らない。

動画は、今の会社の近く、白山通りとの交差点に差しかかる。その角地には、消滅して久しい「日本信販信組」「太陽神戸銀行」の店舗が見える。今では美容室や薬局となっている場所だ。時の流れがハラワタに染みわたる。そして何よりショックだったのが、白山通りに高いビルが一切ないことだ。会社のビルも林立しているマンションもない。古い木造家屋と、せいぜい4~5階建ての低層ビルだけが並ぶ白山通りは、今よりずっと空が広い。60年代や70年代じゃない。90年代を目前にした頃ですら、今とはこんなに景色が違う。たった30年余で、こんなにも景色が変わってしまう。なんてことだろう!

「よどみに浮ぶうたかた」「昔ありし家はまれなり」

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。

方丈記を思い出した。まさにこのとおりじゃないか。高校の授業のときとは違い、この出だし(しか知らぬ)が、今は沁みます、堪えます。古文の野々村先生、授業中、船を漕いでいてすまなかった。鴨長明先生にもごめんなさい。そんなこんなで、改めて、「諸行はやっぱり無常なのだ」ということを噛みしめる、今日この頃であります。

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滝田 周 [(株)東京法規出版 保健事業企画編集2部 編集長]

◇◇滝田周氏の掲載済コラム◇◇
「被災地で考えた『生業と暮らし』の関係」【2023.12.26掲載】
「ゲーテと頼近さんとサンシャイン60と」【2023.9.19掲載】
「私の死は考えない」【2023.5.30掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧ください。

2024.04.02