コラム

    • アジアのいのち

    • 2020年07月28日2020:07:28:13:41:46
      • 河原ノリエ
        • 東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師

エメラルドグリーンの海の碧さを目の端に留めながら、海がこんなにも近いのだとおもう。
アジアのハブ空港であるシンガポールのチャンギー空港から、中心部にむかう道沿いに、かつてBC級戦犯が収容されていたチャンギー刑務所が建っていた。
 
近代的な建物は、女性用の刑務所だという。鉄条網が敷地の端までいってその先に累々とコンクリートの塀が続く。
 
見張り櫓が、高くそびえる。塀の外と内を見渡せるのは、永い時を経てもあそこの高みだけだ。そばによって、塀にそっとてのひらを沿わせてみる。
かえってきたひんやりとしたてのひらの感触に、一瞬たじろいだ。
 
亜熱帯の三十度を超える暑さのなかでも、意外にも冷たい。ひとはだのぬくもりなどはじき返す非情さがそこにいまもある。シンガポール訪問の目的は、シンガポールがんセンターとシンガポール大學の研究者とのがん研究の情報交換のためだった。
 
シンガポールへ発つ数日前、アジアがんのネットワークの進捗状況の報告をかね、久しぶりに、日蓮宗 池上本門寺照栄院田中日淳管主をたずねた。
 
最期のときまで父を赦さなかった自分の頑なさになかなか折り合いがつかずにいる私に管主様からは、いつも人の心の奥深さを教えられる。
 
アジアとの活動へのいわれなき誹謗に心がささくれ立ったとき、私が自分自身の足で立つために教えを請うたのは、管主だった。
 
「アジアのことをやるときは、この国にはいろんな想いが渦巻くから、不本意なことばかりに出くわすだろう。誰からも振り向かれず、誰からもわかってもらえなくてもいいから、淡々となすべきことをしつづけなさい。わたしはあなたをずっと見てるから」
 
その言葉が、正直ありがたかった。いまでこそ、アジアの急激な経済成長を背景にして、誰もがアジア連携を口にして大きな夢を語りあえる。しかしこの国はほんのしばらく前までは、そうではなかった。
 
 
はじめて管主のところをたずねて見せられた、収容所で死刑囚たちがつづった文集のガリ版刷りの文章のなかに
自分は「ひとばしら」になるというひらがなでつづられた文字をみつけたとき、
アジアとは、無数のこうしたいのちの上に今があるということに気づかされ、繰言をいおうとしていたわが身を恥じた。
 
 
もうすぐ、馬杉さんの命日だから
そういって私を待っていてくださっていた管主様、テーブルの上には、チャンギーでの句がならべられている
いのちの叫びがそこにあった。
 
便りこぬ いとしの妻は みまかりて
子供四人して 父待つという
 
馬杉一雄中将のこの句に心がとまった。
 
命日とは、処刑のその日だ。責任罰である。ジャワ方面隊の情報将であったから。
最期の晩餐をともにする日本人からの差し入れに何がいいかと聞かれたら
「沢庵とか梅干かな」
そうこたえたという。
 
万歳
という最期の叫びの後に、踏み板の外れる音が今も耳に残ると語る管主のことば。
わたしにしかみてこなかったこと、きいてこなかったことがあると信じて、ここまできた。
2010年から、アジアのがん講座に関わらせていただいたが、はたしてわたしは、管主さまとの約束をほんとうにはたせてきたのか。
アジアの過去をみつめて未来を紡ぐ、わたしにはまだやり残したことがある。そう思っている。
 
 
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河原ノリエ  (東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師)
 

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