コラム

    • 看取り・悼み -コロナ禍の気がかりー

    • 2020年07月14日2020:07:14:13:23:10
      • 林憲吾
        • 東京大学生産技術研究所 准教授

新型コロナウイルスの動向はなお予断を許さない。日本では、3月から4月にみられた感染拡大は一旦沈静化したものの、ここにきて、また感染が拡大している。さらに当初から予見されていたように、アジア、中南米、アフリカの新興国での感染拡大が深刻さを増している。
 
このウェブサイトは、主に医療の専門家が意見交換を行う場である。にもかかわらず、私のような門外漢もひょんなことから混ぜてもらっていて、かと言って医学の知識もないので、幕間の余興くらいになればと、普段は身の回りの研究のことを語っている。
 
新型コロナウイルスにしても基本的に私は情報の受け手である。暗中模索の霧の中に確かな手応えある情報を投じられるほどの力量はない。餅は餅屋と思っている。
 
だが、それでもなお私がこの話題からはじめたのには訳がある。自分自身の内側にある経験に照らした時に、やはり少し気がかりなことがあるからだ。
 
 

サイトカインストーム

 
唐突だが、昨年の秋口、私は4歳になる娘を亡くした。エンテロウイルスからくる急性脳症が原因であった。夏から秋に流行するごくごくありふれたウイルスではあるが、それが交通事故のように(実際に医師がそう表現したが)、きわめて稀に脳に影響を及ぼす。突然痙攣がはじまったかと思うと、その後あっという間に容態が悪化した。
 
このとき娘に生じていたのはサイトカインストームだという。いわゆる免疫反応の暴走である。過剰な免疫反応がさまざまな臓器をあやまって攻撃してしまう現象だ。
 
当時、サイトカインストームと医師から説明されても、私には全くもって謎の言葉でしかなかった。しかし、それが今回、新型コロナウイルスの報道でたびたび出てきて驚いた。重篤化の原因なのだという。まさかこんなに身近な用語になるとは思ってもみなかった。
 
報道でも言われるようにこの現象による重篤化は本当に急激で、まさにラッシュであった。娘の場合は、脳、腎臓、肝臓がダメージを受け、3日後には脳はほぼ機能を停止した。その段階で、救命は不可能と医師から伝えられ、ただただ当惑するしかなかった。
 
サイトカインストームは、かつてのスペイン風邪のときにも重篤化を引き起こしたというからインフルエンザでも生じる。もちろんウイルスによってどの年齢層が罹患しやすいかなどに偏りがあるため、完全にランダムとは言えないまでも、撲滅ではなく共存するしかないタイプのウイルス(今回のウイルスもそうだろうが)でも、一定の確率で発症する、誰のそばにもある現象といえるだろう。
 
実際、医師が私に交通事故と表現したように、「なぜ娘に?」という問いには、サイエンスの立場からは偶然というしかないのだろう。しかし、私も含め多くの人は、「あの時、ああしていたらよかったのだろうか」とか「そもそもなぜウイルスに感染してしまったのだろう」とか因果の渦に苛まれ、自分の選択の中に過ちを探すのが常である。
 
ただ、今回のウイルスが示すように、日常を非日常化しない限り、あるいはそうしてもなお、感染をゼロにはできない巧みな戦略をとるウイルスはいる。風邪もまたその典型であろう。
 
であるならば、「罹ることが悪い」あるいは「避けられたはずだ」という空気を社会が持ってしまうことはまずかろう。もちろん、社会全体として感染リスクを下げる行動や、そのための政治的手法を批判的に検討することは必要である。だが、誰もが罹りうる状態にあるとき、個人レベルではそうした批判が向かわないことが不可欠である。
 
だが、そういう空気がないわけではない。現況はそういえるのではないだろうか。仮に私がいまの状況で娘の出来事に遭遇していたら、やはりより大きな苦しみに苛まれていたと思うからである。
 
 

緩和ケアの不在

 
冒頭の私の気がかりは、しかし、もうひとつ別のところにある。それは、新型コロナウイルスが、入院後の患者さんと近親者の関係において、通常とは異なる状態を強いることである。
 
現在のような困難と無縁であった私の場合は、娘の救命が不可能と医師から告げられた後、いわゆる緩和ケアに入った。数日後かもしれないし、数週間後かもしれない。医師ですら確定しえない最期ではあったが、その最期に向けて家族の時間があった。私と妻は日々、娘と病院で時間を共にし、結果、彼女は約1ヵ月私たちと一緒にいたのち旅立った。
 
その最期の日々は、明るかったといえばもちろん語弊があるが、暗いばかりでなかったことは確かである。看護師さんや医師たちと娘を挟んで談笑もする。笑顔で記念写真も撮る。そうした時間を持てたことが私には少なからず幸運に思えた。緩和ケアとは、残される者のためでもあることを身をもって味わった。
 
だが、新型コロナウイルスはこの最期の日々の在り方を根本的に変えてしまっている。容易に感染するこのウイルスにあって、入院患者さんに身内が容易く寄り添えないからである。
 
このことに私の心はずっと引っかかっている。サイトカインストームと聞いて、たとえその凄絶さを想像できても、病院において患者と身内の間に引かれる境界は想像すらできない。少なくとも同じ境遇であれば、はるかに当惑し、よりネガティブな心境にさせられたことは間違いない。通常の緩和ケアができないことへの社会的ケアがなされることを願ってやまない。
 
 

看取り・弔いの制限

 
パンデミックでは、通常の看取りや、さらには葬儀などの弔いに少なからぬ制限がかかる。日本では、窓越しのみの面会や、袋に包まれた遺体との対面、あるいは面会や火葬の立ち会いも叶わず、遺骨のみを受け取るケースもあると聞く。
 
葬儀に関していえば、参列者からの感染が懸念されるため、亡くなられた原因が新型コロナウイルスによらずとも、あらゆる葬儀が大なり小なり制約されうる。
 
たとえば、海外に目を向けると、南アフリカのある州では、感染の大半が埋葬儀式の参列に由来するとの報告もあり、イギリスでは、政府がコロナ禍での葬儀の実施方法や遺族のケアに関するガイドラインを公式に出している。宗教団体もさまざまな譲歩を示し、たとえば北米のムスリム協会では、リスクが高い場合は、重要な埋葬儀礼である遺体の清めを簡易化したり、水を使わない清め(タマムム)を認めたりしているようである。
 
また、看取りや弔いにおいても、やはりオンラインの活用が代替手段として世界的に広がりはじめている。だが、果たしてそれはどういう感覚なのだろうか。
 
実のところ、私は娘の最期をオンラインで見届けた。どうしてもインドネシアに行かざるを得ず、万が一、その時には、と許可してもらったのだが、なんの因果かその日に当たった。
 
その感覚は、素直にやってよかったと思えるものだった。複雑な感情ではもちろんある。ただ、画面の外側のインドネシアの景色丸ごと、その時間が記憶に染みついている。
 
とはいえ、私にはそれまで病床に寄り添った時間もあれば、画面の向こう側に対話する妻もいた。やはり今回とは状況が異なる。オンラインの看取りがどんな思いを残すのか、ゆっくりとであれ今後社会が耳を傾けていくべきことだろう。
 
 

看取りの偏在

 
パンデミックが強いる看取りの例外状態は、患者さんや近親者のみならず、医療従事者、とりわけ看護師さんの心的負担を大きくするのではないだろうか。
 
哲学者・鷲田清一は『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』(CCCメディアハウス、1999)の中で、看護師さんの「燃えつき」という現象に触れている。
 
患者さんのケアを担当する看護師さんは、医師以上、あるいは近親者以上にも、患者さんの日々に寄り添っている。だから必然的にそれは、職務としての付き合いを超えて、ひとりの人としての関わりを生む。元気になったり、悪くなったり、患者さんや近親者にとっては、人生でそうそう味わうことのない非日常的な悲しみや喜び、苦しみの起伏を、日常的に、しかも頻繁に、自分も同じくする。そんな大きな感情の振れ幅の中で、心を平たく保っていることが、ときに困難になり、疲弊してしまうという。
 
私自身の経験に照らしても、娘の最期の記憶は、その多くが間違いなく看護師さんに彩られていた。裏を返せば、看取りの一部を一緒に担ってもらっていた、という感覚である。
 
だとすれば、今回の事態は、看取りのほぼ全てを看護師さんをはじめとする医療従事者が担っていることになる。その役目は尋常でなく重いだろう。
 
さらにいえば、私の場合も少なからずそうであったが、面会が制限されたりしたときの不満は、どうしても患者さんと近親者の界面に常時立っている看護師さんに向かってしまう。その風圧は危機のときはより強かろう。病院の医学的判断も、私たちの感情的判断も、両方よくわかるに違いない。その割り切れない場所に立ち続けることの大変さは、やはり容易に想像できることではない。
 
 

悼みを語る

 
パンデミックによる看取りや弔いの困難は、すぐにとはいかずとも、言葉を受けとめるところがあれば、ゆっくりと語られていくだろう。たとえば、NHKが取材した遺族らの証言をウェブサイトでアーカイブしているが、こうした証言は経験した人々にとっても、それを受けとめる私たちにとっても、きわめて大事なものになるだろう。
 
先にあげた鷲田さんの本の主題は「聴く力」である。その中に、阪神淡路大震災で息子を亡くした母親が、自分を責めながらもその出来事を焚き出しのボランティアさんに幾度も語るはなしが紹介されている。ただ聴くしかなかった、というボランティアさんの行為にこそ、語り手の悼みをわかつ力があるという。
 
そして、この話が震災の経験であるように、看取りや弔いの例外状態はパンデミックに限らない。震災や津波の被害者、戦争で亡くなった方々、あるいは、ある日突然行方知れずとなり、何十年して唐突に亡くなったことにされる拉致被害者など、その家族の方々の境遇にも通じる。
 
その語りに耳を傾けてきた経験は、今回のコロナ禍にも生かされるであろう。あるいは逆に、今回の境遇に耳を傾ける経験は、そうした人々の語りに再び耳を傾けることにも生かされうるだろう。悼みを語る機会は奪われてはならない。
 
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林憲吾(東京大学生産技術研究所 准教授)
 

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