コラム

    • 不条理劇

    • 2019年04月09日2019:04:09:07:59:51
      • 平沼直人
        • 弁護士、医学博士

◆金曜10時劇場“授業”

 

渋谷駅を降りて,公園通りの坂道を上ってゆくと,左手に山手教会が見える。
その地下の薄暗い階段を下ってゆくと,老教授が言語学の授業を始めている。
 
ここ渋谷の小劇場ジァンジァン(2000年4月25日閉館)で,中村伸郎(なかむら・のぶお,1908年9月14日-1991年7月5日)は,1972年から11年間も,毎週金曜日午後10時から,イヨネスコ(ウジェーヌ,1909年11月26日-1994年3月28日)の“授業”を演じ続けた。
 
物語は実に不条理に展開するが,強い説得力を感じる。
ひとにものを教えるということは,大いなる権力の行使にほかならない。
「ナイフ,ナイフ,ナイフ!」
 
 

◆和製ベケット

 

先月,新国立劇場の小劇場に,別役実の“あーぶくたった,にいたった”のリーディング(台本読み)を観に行った。
 
別役実(べつやく・みのる,1937年4月6日-)は,我が国を代表する不条理劇作家である。
 
別役の劇では,可笑しみのあるやりとりのうちに,男1が女2を簡単に殺してしまう。
 
別役の言葉
「笑いの最終目的は死を笑うことである……。」(内田洋一『風の演劇 評伝別役実』白水社(2018年)273頁より)
 
 
 

◆不条理のその先?

 

ハロルド・ピンター(1930年10月10日-2008年12月24日)の“温室”(1980年)は,医療機関であろうか収容所であろうか,そこには「政治」がある。
そして不条理である。
 
2005年のノーベル文学賞受賞記念講演で,ピンターは,イラク侵攻(2003年3月)をはじめとするアメリカの覇権主義とそれに追従する母国イギリスを痛烈に批判した。
 
たくさんの人が死に,それでも政治家は平気でうそをつく。
何も起こりはしなかったのだと。
この不条理!
 
ハロルド・ピンター(貴志哲雄編訳)『何も起こりはしなかった――劇の言葉,政治の言葉』集英社新書(2007年)「ノーベル文学賞受賞記念講演 藝術・真実・政治」所収
 
 

◆生きるとは――何を待っているのか

 

不条理劇の代名詞,ベケット(サミュエル,1906年4月13日-1989年12月22日)の“ゴドーを待ちながら”(En attendant Godot, Waiting for Godot)は,1953年1月5日,パリのバビロン座で初演された。
 
エストラゴン(愛称ゴゴ)とヴラジーミル(愛称ディディ)のふたりは,ゴドーをただ待っているが,ゴドーはいっこうに現れない。
ポッツォとラッキーの主従,メッセンジャーの男の子は,やって来るが,ゴドーは来ない。
 
幕が開いて,いつの間にか,そう,いつの間にか,私は,ゴゴとディディのかたわらで,ゴドーを待っている。
 
死以外に私たちを待っているものがあるのだろうか?
私たちは何を待っているのだろう。
 
 
 
---
平沼直人(弁護士、医学博士)

コラムニスト一覧
月別アーカイブ