コラム

    • 対露交渉、南樺太と千島の帰属問題を忘れていないか

    • 2019年02月12日2019:02:12:12:42:19
      • 榊原智
        • 産経新聞 論説副委員長

北方領土問題をめぐって、安倍晋三首相や河野太郎外相が、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方4島を「日本固有の領土」と呼ばなくなった。残念なことである。
 
独裁者スターリンが、当時有効だった日ソ中立条約を破って対日宣戦し、日本の連合国に対する降伏後に北方4島を不法に占拠した。火事場泥棒そのものである。ロシアは、第2次大戦の結果、ロシア領になったと言い張るが、偽りの主張にすぎない。
 
ソ連とその後継国家であるロシアによる4島の不法占拠の不当性の問題や、4島が日本固有の領土であることは決して譲れない一線である。北方4島占拠とプーチン政権によるクリミア併合は、不当な「力による現状変更」という点で同根の問題である。
 
これらを言えなくなった政府の対露交渉姿勢には懸念が募る。
 
案の定、ロシアに足元をみられ、「北方領土」という用語を使うなとか、4島がロシアの主権にあるのを認めろとか、押しまくられている。今の日本政府の発表からは、交渉が順調に進んでいるとはとても受け取れない。
 
そもそも日本は、平時に領土を放棄したことは一度もない。そんなことをすれば歴史に拭いきれない汚点を残す。1875(明治8)年の樺太・千島交換条約は、交換であったから平時の領土放棄に該当しない。前の世代から受け継いできた領土や領有権の主張を放棄する権限など、今に生きる世代にはない。それが国家というものである。
 
領土問題は国家の根本に関わっている。それをないがしろにする国や国民は、しっぺ返しをくらうだろう。日露交渉における日本の姿勢を、竹島(島根県)を不法占拠する韓国や、尖閣諸島(沖縄県)を虎視眈々と狙っている中国は注視している。
 
4島は日本固有の領土であり、スターリンによる国家犯罪が契機となった不法占拠が続いている事態を是正し、日本に返還させる――これが現在の領土問題のゴールであると安倍政権は明確に表明し、粘り強く返還交渉を進めるべきだ。
 
プーチン大統領という強権的な指導者がいる間が、領土交渉の好機という期待を持つのは極めて危うい。歴史の事実は逆である。ロシアが領土を手放したのは、ロシアが大混乱していたときである。
 
ソ連崩壊からまもない1991年にバルト3国が独立した例をみるがいい。冷戦期の中ソ国境の画定は、実は両国の間でだらだらと長く武力衝突が続いていた末のものだ。単純に平時の決着とみることはできず、日本の参考にはならない。
 
歴史の教訓に学ばない交渉は、主権と国益を損ないかねない。もし、面積が4島のわずか7%にすぎない色丹、歯舞で手打ちをすることになれば、それは4島面積の93%を占める択捉、国後を放棄することを意味する。
 
さて本稿の主題は、別にある。政府が、日本固有の領土とは呼んではいない南樺太と千島をどうするのか、という問題である。
 
1945年にソ連に奪われた北方地域の領土をめぐる日本外交は拙劣だった。樺太南半部の「南樺太」と北方領土を除く「千島列島」の領有権の主張をそうそうにあきらめたように見えることである。
 
日本は、サンフランシスコ平和条約で「南樺太」と「千島列島」を放棄したが、ソ連は同条約を拒んだ。よって、ソ連も後継国家のロシアも同条約上の権利は主張できない。日本は、南樺太と千島列島の帰属は未定であるという立場をかろうじてもっている。これを日露平和条約で変更し、ロシア領だと認めるとすれば安易にすぎる。ロシアに対する大幅な譲歩であるからだ。
 
日本が今、唱えるべきは、南樺太と千島列島の帰属を決める国際会議を開くよう、ロシアやサンフランシスコ平和条約締結国に提案することだ。
 
南樺太と千島列島は、日本が国際法上、正当に治めていた地だ。大西洋憲章(1941年)やカイロ宣言(43年)は、連合国の大戦後の領土不拡大をうたった。ソ連は、米国などと結んだ密約であるヤルタ協定(45年)を、対日戦で拡大した「領土」の根拠としているが、大西洋憲章やカイロ宣言に反するものである。日本は無関係で拘束されるいわれはない。米政府はヤルタ協定は無効との立場である。
 
南樺太も千島列島も、日本は国際法上、正当に治めていた。南樺太は、四国の倍もの広さである。1941年の国勢調査の時点で、40万6,557人もの日本人が暮らし、繁栄を謳歌していた。戦時中の43年の行政改革によって、南樺太は「外地」から「内地」へ編入された。憲法や法令が全面的に施行される日本そのものだったのである。衆議院議員の選出も46年の総選挙から行なわれる予定になっていた。南樺太に暮らしていた日本人もソ連によって追い出された。元住民らは「南樺太返還期成同盟」を55年にこしらえて返還運動に取り組んだが、政府に見捨てられたかたちだ。
 
終戦時の北方領土の日本人住民は1万7,291人だった。南樺太のほうがはるかに多くの日本人が生活していたのである。千島列島にも多くはないが日本人がおり、その最北端にあたる占守島には、従業員2,500人もの日魯漁業の缶詰工場が操業していた。ちなみに、45年8月18日からの陸軍の自衛戦闘(占守島の戦い)は、日魯漁業の女性社員400人を北海道へ脱出させるためでもあったのである。
 
日本が固有の領土である4島を放棄してはならないのはもちろんだが、ロシアに領有の正当な権利があるとは思われない南樺太、千島列島について、国境線画定の議論を起こしたらどうか。帰属を決める国際会議の開催が望ましい。
 
65年4月6日の衆院本会議における、北方領土返還に関する決議案に対する、自民党を代表しての賛成討論の中で、同党の佐藤孝行氏は南樺太、千島列島について次のように語った。衆院議事録から引いてみる。
 
「この際、サンフランシスコ平和条約によってわが国が一応領土権を放棄した得撫島以北の千島列島並びに南樺太について、わが党の見解を明確にしておきたいと存じます。得撫島以北の千島列島及び南樺太は、サンフランシスコ平和条約にいういわゆる戦争やどん欲によってわが国の領土に併合されたものではございません。」
 
「わが国が無条件降伏の結果として、同条約の2条に基づきその領土権を放棄する約束をいたしましたが、しかし、この約束は、あくまでも同条約の当事国に対してのみなされたものであって、ソ連に対して領土放棄したものでないことは、万人の知るところでございます。」
 
「その最終的帰属は、将来関係国間において国際的に定めるべき性質のものであって、サンフランシスコ平和条約に調印していないソ連が、一方的にこれに基づく権利を主張し得ないことは当然であり、わが国に関する限りにおいては、ソ連がこれらの地域を不当に占領し、支配しているといっても過言ではないと思うのでございます。(拍手)」
 
「したがって、もし将来この問題について国際的会議を開かれる場合があるとすれば、わが国は、これらの地域に対する領土の返還を求める権利を留保するものであるということを、ここに宣明いたしたいと存じます。(拍手)」
 
佐藤氏の演説に聞き入り、拍手した議場の衆院議員たちは、南樺太・千島にかかわる国際法上の問題を理解したことであろう。
 
安倍首相も政府も自民党も、南樺太・千島の帰属問題を放棄してはならない。国会で表明された「自民党の見解」を思い出し、戦略を練り直したらどうか。
 
 
 
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榊原智(産経新聞 論説副委員長)

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