コラム

    • 邂逅――尾崎豊,伝説の破片

    • 2018年08月14日2018:08:14:05:46:16
      • 平沼直人
        • 弁護士、医学博士

「尾崎だよ,あそこにいるの」
そう教えられて,高校生の私は,高校生の尾崎豊を渋谷の雑踏で見た。彼は俯いていた。
同じ青山という場所で,別の高校に通っていたが,学年は一緒で,スゴイ奴だという噂だった。
 
1983年12月,「I LOVE YOU」「僕が僕であるために」(英語タイトルはMy Song)など10曲を収めたアルバム『十七歳の地図』,シングル「15の夜」でデビュー。
翌1984年3月15日,高校を1月に退学していた彼は,卒業式当日に新宿のルイードでプロとして初ライブを行い,伝説の幕を開ける。
私は,その新聞記事を切り抜いた。4月,志望大学に入学した。
 
1985年1月,シングル「卒業」。社会問題にまでなったこの曲を聴いて,独りごつようでいながら訴えかけてくる歌い回しとドラマチックな編曲がダサイと思った。でも本当は,尾崎豊という太陽の目映さから目を背けるように,その歌声に耳を塞いでいただけかもしれない。
1986年,人気の絶頂で不意を衝く活動休止。6月,単身ニューヨークに渡る。
1987年7月,帰国。そして,12月22日,覚醒剤取締法違反容疑で逮捕。
堕ちた10代のカリスマとマスコミは大騒ぎだったが,そんな風には感じなかった。ただ少し気の毒だった。
大学卒業間近の私はまだ将来を定められずにいた。
 
1988年,執行猶予付き判決の後,結婚。1989年,長男誕生。1990年,アルバム『誕生(BIRTH)』で家族や社会を歌い,新境地を開く。1991年,1つ違いの元アイドル歌手との交際が写真誌に報じられる。「I LOVE YOU」がJR東海のCMソングに使われる。大学院生になっていた私は,彼の放蕩な生活と甘く切ない歌声に嫉妬していた。と同時に,私の中のナルシスは生けるナルシスの姿を恥ずかしくて正視できなかった。あの切抜きも,どこかにやってしまった。
 
突然のことだった。毎年5月の母の日に実施される司法試験の短答式試験を目前に,自宅で勉強をしていた私は,テレビ画面に流れるテロップで彼の訃報を知らされた。1992年4月25日逝去,享年26歳。
翌年,私は漸く司法試験に合格し,社会に出ることになった。
 
亡くなってからの世間の狂乱ぶりは,陳腐な伝説もどきの始まりだったろうか。
司法修習生となった私は,尾崎のCDを今さらながら買って聴くようになった。オリジナルアルバムの6枚を揃え,ベストやライブ盤など新譜が発売されると手に入れた。もちろんカラオケでは必ず尾崎を選曲した。
1996年,私は弁護士になった。
それからの人生で,人並みに生きる厳しさを味わったろうか。
ふと尾崎豊が生きていたら,どうしているんだろう,彼ならどうするんだろうかと考えることがあった。
 
「尾崎です」
そう言って差し出された司法解剖の鑑定書は,死因を覚醒剤の大量内服による肺水腫と断定していた。注射痕は確認できない。
全身傷だらけなのに,彼の顔は微笑んでいるようだった。
 
少しずつ彼の歌を聴かなくなって,彼のことを考えなくなっていった。オペラを観たりクラシックを楽しむようになっていた。
久しぶりに彼のCDを取り出して掛けてみた。
涙が頬をつたった。
 
アドルノがどんなに軽音楽を嘲弄しようとも,ロックやフォークでなければ表現できないものがある。話したり書いたりするだけでは,伝えきれないことがあるから,人は歌い踊る。ルールを守ってばかりいては,見つけられない真実があるから,人は逸脱し遊び笑い酔い痴れる。
自由 平和 愛
歌え,叫べ,走れ!
尾崎の声が聞こえる。
そして僕は僕の歌を歌っている。
 
 
このコラムの傍らに
 須藤晃『尾崎豊』TOKYO FM出版 1999.
 尾崎豊『普通の愛』角川文庫 1993.
 中上健次『十九歳の地図』河出文庫 1981.
 林真理子『アッコちゃんの時代』新潮社 2005.
 早瀬圭一『老いぼれ記者魂――青山学院春木教授事件四十五年目の結末』幻戯書房 2018.
 支倉逸人『検死秘録――法医学者の「司法解剖ファイル」から』光文社 2002.
 Th.W.アドルノ(高辻和義・渡辺健 訳)『音楽社会学序説』平凡社ライブラリー 1999(アドルノは哲学者で音楽家).
 吉岡忍『放熱の行方 尾崎豊の3600日』講談社文庫 2001.
 
 
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平沼直人(弁護士,医学博士)

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