コラム

    • 人口減少で見直し迫られる「公」の定義

    • 2018年05月22日2018:05:22:05:15:43
      • 河合雅司
        • ジャーナリスト

地域包括ケアシステムは、人口減少社会で、どこまで展開し得るのだろうか。
 
国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口」(2018年3月)が描き出した未来図を見ると、疑問を抱かざるを得ない。
 
地域包括ケアシステムは、医療や介護などの専門職はもとより、家族や地域の支えを前提としている。ところが、人口の激減地区が広がり、地域の支えそのものが当て込めなくなり始めているのだ。
 
「日本の地域別将来推計人口」によれば、2045年の秋田県は、2015年に比べて41.2%もの大幅減になるという。青森県は37.0%減、山形、高知の両県も31.6%減だ。一方で、一極集中が続く東京都は0.7%増と唯一の増加となる。沖縄県は0.4%減とほぼ横ばいであり、地域ごとの差が極めて大きい。
 
市区町村別でみると、増減の差はさらに開く。最も減る奈良県川上村は、なんと79.4%もの減だ。これに対し、東京の都心部に位置する中央区は34.9%増である。
 
半世紀後の日本は「7割国家」となるが、極端に人口減る県が登場し、現在の「47都道府県」体制を維持できなくなることすら懸念されているのである。県庁所在地から遠く離れた山間地などの自治体では、かなり過疎化が進むことだろう。
 
人口が減るだけでなく、人口構成も大きく変化する。2040年頃になると、高齢社会の姿も現在とはかなり異なる。80代以上の「高齢化した高齢者」が総人口の14.2%を占める。女性高齢者の4人に1人、男性高齢者は5人に1人が1人暮らしになるとも予想されている。
 
2040年代以降の日本は、手助けを求める人が増えるにもかかわらず、そうした人々に手をさしのべる「支え手」が圧倒的に足りない社会になるである。
 
しかも、医療の場合、どこで開業し、どの診療科を標榜するかは個々の医師の判断に委ねられている。一方で、地域医療の担い手には70代後半から80代、最近では90代という医師も珍しくなくなった。
 
高齢医師が活躍する地域には、医師は高齢医師のほかに誰もいないというところも少なくなく、こうした地域の医療は、いわば高齢医師の使命感と〝医師魂〟だけで成り立ってきたといってもよい。
 
逆に言えば、ひとたび高齢医師が亡くなったり、診療にあたれなくなったりすれば、その地域は「無医村」になりかねないということだ。厚生労働省は地域医療構想を進めているが、人口が激減する地域が、そう簡単に医師の後釜をみつけられるわけではない。
 
地域の支え手が不足することに加えて、その主役である医師が地域内で不在となったならば地域包括ケアシステムは成り立ちようもなくなる。
 
過疎化が進む地方では、地域包括ケアシステムに対する期待は大きいが、地域包括ケアシステムを維持しようにも、できないところが出てこよう。
 
1人暮らしの「高齢化した高齢者」が増える社会では、地域包括ケアシステムだけでなく、さまざまな公的サービスが成り立たなくなる可能性がある。どんな社会が到来するのかについては、拙著 『未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること』(講談社現代新書) に具体的に記したのでそちらもお読み頂きたいが、本稿では、人口激減時代において行政サービスや公的サービスがこれまでのように提供し続けられるのか、といった疑問について取り上げよう。
 
少し前に、〝地方消滅〟という言葉が流行した。これは子供を産むことができる若い女性の都会への流出を推計し、その持続可能性を予測した試みであった。
 
だが、〝地方消滅〟を考える場合には、市区町村という組織体の存続可能性も見る必要がある。総務省が有識者会議「自治体戦略2040構想研究会」に示した資料によれば、自治体運営に不可欠な職員数および税収の確保が難しくなるというのだ。
 
自治体職員数については、2013年を基準として2040年に確保できる規模を予測しているが、最も減少率が大きい「人口1万人未満の町村」では、2013年の62人から2040年には47人となり24.2%減となる。
 
もう少し規模の大きな自治体も人手不足となる。「人口10万人未満の一般市」は286人が237人となり17.0%減。中核市や「人口1万人以上の町村」、「人口10万人以上の一般市」なども13%台の下落となる。
 
先にも触れていたように、「高齢化した高齢者」の1人暮らしが増え、人がまばらに住む社会が到来するのだから、今後はきめ細かなサービスを必要とする住民が増える。職員数が少なくなるのに、より手厚い行政サービスの提供を求められたのでは、とても手が回らない。
 
地方公務員に関しては構造的な問題も存在する。行政改革によって人数を絞り込んできたため、2016年の職員数は273万7千人で、ピークだった1994年の328万2千人と比べると50万人以上も少なくなった。これは自治体職員の年齢構成におおきな歪みをもたらしている。近年、とりわけ採用数を減らしたこともある、団塊ジュニア世代が相対的な山となっているのだ。すなわち、彼らが退職期を迎える2030年代には、自治体によっては定数を大きく割り込むところが出てくると懸念されているのだ。
 
職員数だけではなく、税収状況の見通しも暗い。地方自治体では住民税および固定資産税が基幹的な税目となっており、半数以上の市町村では住民税(所得割)と固定資産税が税収の80%を占めるとされるが、総務省が研究会に示した資料によれば、年収の多い働き手世代が2040年代に向けて大きく減っていくのだ。
 
総務省の資料は、5歳年齢別に年間平均給与額を割り出し、各年齢層の人口が2015年と2040年とでどう変化するかを比較しているのだが、年金受給世代である70歳以上が30.0%の増加するのに対し、年間平均給与額が509万円と全年齢層の中で一番高い50~54歳は20.1%減となる。
 
これ以外の働き盛り世代も、平均給与額486万円の45~49歳が30.2%減、461万円の40~44歳が36.8%減、432万円の35~39歳が30.6%減など、軒並み30%台の大幅減だ。地価についても1992年以降は下落傾向にある。住民税も固定資産税もこうした傾向のまま推移したならば、地方税収は大きく減少するだろう。
 
こうした状況は、市区町村だけでなく、電気やガス、電話、鉄道など公的サービスを提供する会社などでも同じだ。
 
人口が激減するエリアが拡大することは、その分、採算が合わなくなるエリアが広がるということである。わずか数軒であってもニーズがある限り鉄塔や電信柱を建て、送電網を維持している。そのメンテナンスにも莫大な労力をかけている。経営の重荷であっても簡単に事業を縮小できないようになっている。鉄道なども地元の反対が強く、簡単に廃線に踏み切れないのが実情だ。
 
経営を圧迫し始める前に、こうした人口激減エリアだけではなく、全体の利用料金の値上げで対応することになるが、公共料金は国民生活に直結するだけに、そう頻繁に値上げを繰り返すわけにはいかない。
 
人口が極端に減れば、非常に難しい経営を迫られることになるだろう。しかも、自治体で見てきたように、こうした公的サービスの事業者も今後は人材の確保が難しくなっていくことは想像に難くない。
 
もう一つ、懸念されるものに物流がある。物流が公的サービスと位置づけられることはなかったが、人口減少社会においては実質的な公的サービスのようなものとなる。「高齢化した高齢者」の1人暮らしが増えるということは、買い物や通院といった日常生活に困る人が増えるということでもある。一方、少子化で、労働環境の厳しいドライバーへのなり手が減り続けることが懸念されている。ドライバー不足で物流が止まってしまったならば、サービスが届かなくなった地域の生活はストップすることとなる。
 
このように行政サービスも公的サービスも人口減少社会の隅々にまで届け続けることは難しい。
 
少子化に伴って、年々担い手が少なくなるなかで、公的サービスを提供し続けようとするならば、いくつかの思い切った改革が必要となるだろう。
 
例えば、サービスを提供し続けるエリアと、しなくてもよいエリアとに線引きすることだ。地域ごとに「集住エリア」を定めて、住民には地域内移住を求める。行政サービスや公的サービスは、この「集住エリア」まで届けばよいことにするといった割り切りだ。
 
さらに、行政と住民の役割と責任について再定義し、サービス内容をもう少し簡素化することだ。若い世代が大きく減って行く社会において、これまで行政に求めていたサービスのすべてを求め続けることはできない。ある程度までは、住民自身の責任と負担でやりこなすという覚悟が求められる。
 
「公」に対して、国民の側が意識を変えていかなければ、人口減少社会を乗り越えていくことはできない。
 
 
 
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河合雅司(産経新聞 論説委員)

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