コラム

    • 介護の分野にも人としての規範の確立を

    • 2017年11月28日2017:11:28:06:31:29
      • 岡光序治
        • 会社経営、元厚生省勤務

◆自立できない狐=玉龍寺報から

 
森の大王の虎と親しくしている狐がいた。狐は、自分は知恵があるので、他の動物から一目おかれていると自負していた。
 
他の動物たちは、虎や天敵から襲われないようにと団結したり、角をみがいたりして生き抜くための自衛手段を念頭において生活していた。
 
一方、狐は、狐憲法を制定し「狐は他の動物を襲わない。このため、狐は一切の武力を持たない。」と定め、そのうえ憲法冒頭に「この憲法は、全ての動物の正義と信義により守られる」と記した。
 
その後、狐は他の動物たちから襲われなかったので、「狐憲法は、世界に誇るべき平和憲法である」と自画自賛した。虎の威を恐れている動物たちは、「未だに自立できないドラ息子」と狐のことを内心せせら笑っていた(2017年9月:岐阜 玉龍寺報から)。
 
 

◆「日本人の誇り」(藤原正彦 著、文春新書、2011年4月)から

 
一禅寺の寺報に驚いていたら、偶然にも藤原さんのこの本と出合った。(以下、抜粋)
 
・日本は今、自国を自分の力で守ろうともせず、安保条約のまやかしにも気付かぬまま、気付いてもそれを正そうともせず、守られているという幻想の中で安眠しています。(p.14)
 
・自らの国を自分で守ることもできず他国にすがっているような国は、当然ながら半人前として各国の侮りを受け、外交上で卑屈になるしかありません。そして国民は何よりも大事な祖国への誇りさえ持てなくなってしまうのです。(p.16)
 
・明治から大東亜戦争までは帝国主義時代の真っ只中で、国家を意識しないわけにはいきませんでしたし、植民地化されるのを防ぐためには祖国愛に基づいた国民の一致団結が必要ですから、国民は強い、時には狂信的な誇りを持っていました。祖国への誇りを失ったのは戦後のことなのです。終戦と同時に日本を占領したアメリカの唯一無二の目標は、「日本が二度と立上ってアメリカに刃向かわないようにする」ことでした。(「日本降伏後における米国の初期の対日方針」)(p.62)
 
・憲法の制定はもちろん、漢字の使用制限など「日本文化を弱体化させ、愚民化」することを狙い、また、教育も「個人主義を導入」、公への奉仕や献身を大事にすることを「壊した」(p.65)。
 
・「公イコール国家イコール軍国主義」という連想を植え付けることで公へのアレルギーを持たせ、日本を弱体化しようとし、公を否定し個を称賛する。(p.25)
 
・「明治、大正、昭和戦前は、帝国主義、軍国主義、植民地主義をひた走り、アジア各国を侵略した恥ずべき国。江戸時代は士農工商の身分制度、男尊女卑、自由も平等も民主主義もなく、庶民は虐げられていた恥ずかしい国。」云々。このような、「長く暗い時代を経た後、戦後になってやっと日本は自由平等と民主主義の明るい社会を築くことができた」という「歴史観」をも植え付けられた。(p.58)
 
 

◆政治制度と個人の規範はまるで異なるもの

 
民主主義とは政治制度である。人間個人の規範とはまるで異なるもの。一国において民主主義による政治が行われれば、国民の規範が同時に形成できるというのは幻想でしかない。
 
ちなみに、民主主義の国と言われているアメリカの現状を見てほしい。民主主義の名のもと、個人の尊重を前提に個人“ファースト”の徹底。結果、個の利益競争が熾烈を極め、当然、力のある個人が勝ち力を持たない個人が負け、しかもこれがまた当然ながら多数を占め、国が二分され不満と自己防御が入り混じる大混乱。
 
資本主義の欠点が全面的に現れたので、修正を加え、「公益」資本主義にしようという意見も現れるほど。すべては、個の尊重と同時並行して、モラル・規範を国民的に形成してこなかったツケであると言わざるを得ない。
 
 

◆介護の分野にも人としての規範が必要

 
介護の分野を眺めると、上記同様、サービス提供と利活用にのみ重点が置かれ、規律に関する視点が欠落している。
 
制度創設を目指した当初、制度の中身を容易に理解してもらうためによく使ったフレーズは、「国民みんなで親孝行」「もっぱら妻、娘など家庭内の女性に委ねられている不自由な人へのお世話を社会化し、外から家庭に必要な支援の手を差し伸べ、お世話にしばられている女性を解放しよう」であった。これに対し、家族で面倒を見るのは当たり前、とか、医師以外の他人が家の中に入ってくるのはご免だ、などとの反発があった。
 
現状は、介護サービスを利用するのは当たり前、女中代わりに使っているとさえ言われるケースもある始末。僅かの間にこうまで社会的な心理が変わるものかと呆れる。
 
顧みるに、サービス利用の社会的定着を急ぐあまり、制度の中に「ケアする人」の視点と介護に関する規範を入れ込むことを忘れていた、と言わざるを得ない。
 
「ケア」は誰かの成長を助け、可能性を自覚させ、それを引き出す大切な仕事であること、その仕事は、人間として正しく生活しようという個人意思を前提に個人の自立を支援するものでパターナリズムよろしく一方的に対応するものでないこと、社会的に不可欠なものであり社会の構成員すべてがかかわるべきであること、サービスに関わる人も物も社会資源であり自ずと限界を伴うものなので、その利利用は必要最小限に留めるなど限界資源の本質に留意すべきこと、限られた資源について利活用の優先順位が課題となるときはニーズに応じて順位をつけることも視野に入れるべきことなどを言うべきであった。
 
 
 
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岡光序治(会社経営、元厚生省勤務)

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