コラム

    • シベリア

    • 2017年01月17日2017:01:17:08:21:22
      • 河原ノリエ
        • 東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師

海外へ旅立つときの私のパスポートケースは、父がアムール川の最果てのニコライエフスクでのシベリア抑留から舞鶴に帰還したときの唯一の持ち物だったものだ。
 
日中の辛い森林伐採からラーゲリにもどり、就寝までのわずかな時間に、何かをつくろうとしたのだとおもう。カーキ色の軍服をほどき、糸をつくり、食器としてあてがわれた缶詰の缶をたたいて、針とはさみをつくり、縫い上げたものである。
 
同房に、大阪の針工場の職人さんがいたのだというが、ロシア兵の監視の目をくぐり、道具をつくるまでにも、気が遠くなるほどの時間を要したという。
 
父は多くは語らないひとだったが、おそらくその軍服と食器は、朝になると、ぽつんぽつんと息を引き取っていたという仲間の持ち物だったのだろう。
 
年末の日露交渉の行方を見まもりながら、テレビではこれまでの日露交渉の足取りを追う番組が多く組まれていた。そのなかのひとつに、橋本・エリツィンのクラスノヤルスク会談の模様も流れていた。
 
エニセイ川のほとりで、お互いに胸襟を開き両首脳が、川魚釣りに興じる映像に、私は、ふと、父が昔、ぽつんと語った話を思い出した。
 
ラーゲリのなかのある日のこと。
 
仕事に飽きた監視のソ連兵たちが、近くの川で魚釣りをするからといって、釣りのうまそうな奴だといって父を連れ出したという。
 
川魚は、面白いほどよく取れた。河原で火を炊き、その場でソ連兵は食べ出した。
 
「お前もきょうはご苦労だったから、腹一杯喰っていけ」といわれ、数年ぶりの焼きたての魚を頬張るなか、房の仲間の顔が浮かんだという。
 
ソ連兵の目を盗み、食べたフリをして、手でぎゅっと、焼きたての魚の身を握る。ちいさなちいさな、さかなの身の塊にして軍服のポケットに捻じ込んだ。
 
房に帰り、いつもの塩スープを食缶に貰い、すする惨めな仲間の夕食に、ポケットの中の魚の身を均等に分けていれてやったという。ポケットの中の糸くずが一杯一緒に浮かんだ。
 
でも、みんなの顔に久しぶりに笑顔が浮かび、糸くずいりのスープを飲んだ。
 
「あっちが、日本か」と、鉄条網の向こうを指差しただけで、監視員に撃ち殺された仲間もいた。手柄を争うロシア監視員の餌食になって、脱走をでっち上げるものもでてきた。
 
黒パン一個欲しさに、仲間を売る同房者に絶望したとき、生きていく力が体から抜く日々だった。
 
でも、糸くずスープをみんなで飲んだ時、「生き延びられるかもしれない」と、思ったという。
 
どんな状況になっても、人へのやさしさを自分が持てることができれば、それが、必ず、自分を救う命綱になる。経済も安全保障も混迷を極めるなかでも、心のなかのいのち綱だけは、手放してはならない。最後に自分を救う究極の安全保障は、ひとりひとりの胸にある。
 
日露交渉は今後も混迷のなかにあるだろう。
 
しかしながら、生きて戻れなかった人々の無念や生きて戻ったとしてもその後の人生を生きる気力も、根こそぎ奪われた無念を思うと、シベリアの厚い氷の世界への無駄とも思える架橋をし続けることには意味があるとおもっている。
 
私もあと、何度このカーキ色のパスポートケースを携えて海を渡ることになるだろう。
 
そのたびに思うのだ。いまの世界のバランスを支えているのは、過去の無数のひとびとのいのちのかなしみなのだと。
 
 
私のパスポートケース
どうしてこんなものを作ろうとおもったのかときいたら、人間は弱いから、手を動かしていればなんとか自分自身でいられるからと父は答えた。
 
 
---
河原ノリエ(東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師)

コラムニスト一覧
月別アーカイブ