コラム

    • ミュンヒハウゼンのトリレンマ

    • 2016年07月05日2016:07:05:08:11:37
      • 平沼直人
        • 弁護士、医学博士

◆代理ミュンヒハウゼンによる児童虐待

 
法律事務所内で回覧された法律雑誌をパラパラとめくっていたら,代理ミュンヒハウゼンという文字が目に飛び込んできた。家庭裁判所の事件で時おり見かけるようになった言葉だ(大概が「児童相談所長が子どもを児童養護施設に入所させることを承認する」といった家事審判)。
 
代理によるミュンヒハウゼン症候群とは,親(特に母親)が子どもに病気をことさらに作り出し受診させてはかいがいしく面倒をみるという児童虐待の特殊型である(日本小児科学会『子ども虐待診療手引き 第2版』参照)。
 
 

◆ミュンヒハウゼン症候群と詐病が疑われる医療訴訟

 
医療過誤訴訟は,詐病との戦いという側面を持っている。
 
ミュンヒハウゼン症候群は,虚偽性障害に分類される精神疾患の1つで,身体的症状が優勢である。手術やつらい検査もいとわない。
 
むち打ちを装ったニセ患者であれば星状神経節ブロックが怖くて逃げ出すが,手術のミスでしびれが出たとミュンヒハウゼンと思しき患者から提訴されれば大変だ。痛い神経ブロックも再手術も進んで受けるのだから,裁判所も判断を誤りかねない。
 
 

◆“ほら吹き男爵物語”

 
これら病名の元となったミュンヒハウゼン男爵は実在の人物であるが(1720-1797),ほら吹き男が語る“我輩”の奇想天外な冒険譚はドイツの民話のようなものと理解すべきであろう。
 
ベーコンの脂身を長い麻ひもで結わえ,湖上の1羽のカモにつるりと丸呑みさせて,するりと尻から出たベーコンの脂身を,別の1羽がつるりと嚥下してはするりと排泄し,そうやって次々と湖にいた何十羽というカモを一網打尽にした挙句,羽ばたいたカモたちにぶら下がって屋敷まで帰った話など,子どもの頃にワクワクしながら読んだり聞いたりした覚えはなかろうか。岩波文庫の赤帯で『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー編)を読むことができる。
 
 

◆ミュンヒハウゼンのトリレンマと無限遡行のアポリア

 
さて,タイトルのミュンヒハウゼンのトリレンマである。
 
哲学,特に認識論の究極的な問題は,基礎づけにおける“無限遡行”の問題である。ある命題の根拠を問うと,その根拠となる命題が出てくるが,根拠となった命題の根拠がまた問題となり,この問いは果てしなく続くこととなる。
 
ドイツの哲学者ハンス・アルバート(1921-)は,『批判的理性論考』において,基礎づけ主義のアポリア(哲学的難題のこと)として,①無限遡行 ②循環論法 ③作業中断 の3つを挙げ,これをミュンヒハウゼンのトリレンマ(3つあるのでディレンマではなくトリレンマ)と名付けた。
 
しかし,堂々巡りの循環論法(②)は,禅問答のようであり,作業中断(③)とは,問いを放棄してドグマに依拠することであるから,広い意味での信仰に帰着するように思われる。やはり理性主義に立脚する哲学の立場においては無限遡行(①)のアポリアこそ重要である。
 
鄙見は,仮にすべての根源であるアルキメデスの点【註】が存在するとしても,思惟にも時間という概念が無視できない以上,遡行という行為自体が必然的に限界を内包しており,つまるところ無意味な営為であると片づけてしまって,現実の人や社会を考察していくことこそ,なすべきことであると結論している(紙幅があろうがなかろうが難解さは自覚している)。かような青臭く勇ましい物言いは,ミュンヒハウゼンならぬドン・キホーテと笑われよう。
 
【註】アルキメデスの言葉「我に梃子と支点を与えよ,されば地球をも動かさん。」デカルトにとって自我(コギト・エルゴ・スム 我思う,ゆえに我あり)の明証性はアルキメデスの点である。
 
 

◆どんなホラ話なのか?

 
で,最後になったが,なぜミュンヒハウゼンのトリレンマと言うのか?
 
実は,名付け親のアルバートがどのホラ話を念頭に置いているのか,はっきりしないのである。『批判的理性論考』の翻訳をした萩原能久慶應義塾大学教授は,ミュンヒハウゼン男爵が愛馬に跨ったまま底なし沼に落ちた時,男爵が自身の頭髪をひっつかんで,自慢の腕力で愛馬もろとも沼から引き上げたという馬鹿々々し過ぎる与太話のことを指すとしているが,どうもしっくり来ない。
 
いっそ我輩がこのトリレンマにぴったりなミュンヒハウゼン男爵ばりの大ぼらを吹いてみようか。
 
 
 
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平沼直人(弁護士、医学博士)

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