コラム

    • 安倍首相が村山談話を「全体として引き継ぐ」のは何故か

    • 2015年05月12日2015:05:12:08:05:00
      • 榊原智
        • 産経新聞 論説副委員長

安倍晋三首相が、8月に発表する戦後70年の首相談話(以下、安倍談話)をめぐって、いつも語る言葉がある。「歴史認識に関する歴代内閣の立場を、全体として引き継いでいく」というものだ。安倍談話について考える上でカギとなる発言だ。
 
安倍談話は、村山富市首相談話にあった「侵略」や「おわび」の表現が含まれるかどうかが注目されている。この点だけなら、答えは明白だ。安倍首相による、最近のバンドン会議における演説、米国議会における演説を読めばすぐわかる。首相には、8月の安倍談話の中で、これらの表現を採る考えはないとみていい。
 
それでは、安倍談話は、自虐史観の払拭や1990年代以降とくに目立つようになった日本の謝罪外交からの脱却を望む人々が期待するような意味合いを持つかといえば、そうではない。歴代内閣の立場を「全体として引き継ぐ」ため、安倍談話は「侵略」を認めることになるからである。
 
 
首相の発言と村山談話について触れておきたい。
 
首相は1月5日、伊勢神宮参拝後の年頭記者会見で、次のように語った。
 
「従来から申し上げておりますように、安倍内閣としては村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいます。そしてまた、引き継いで参る」
 
4月20日にはBSフジの番組に出演し、村山談話などについて「同じことなら談話を出す必要がない。(過去の内閣の歴史認識を)引き継いでいくと言っている以上、これをもう一度書く必要はない」と語った。
 
ロサンゼルスでの内政懇(5月1日)においても、「戦後50年には村山談話、60年には小泉談話が出されている。安倍内閣としては歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる。今後も引き継いでいく考えだ。戦後70年の談話はそれを前提に作成していく」と語った。
 
同じことを語り続けているのは、計算した表現だからだ。
 
 
それでは、20年前の村山談話はどのようなものだったか。
 
自民党、社会党、新党さきがけの3党連立内閣の首班となった社会党委員長の村山首相は当初、戦後50年にあたって、衆参両院での決議を目指していた。
 
自民党執行部は国会決議を目指したが当の自民党議員から、日本を一方的に侵略国家とみなすような決議文への反発が相次いだ。
 
衆院では、相当数の自民党議員が姿を現さない中、可決されたが、参院は決議自体が実現しなかった。村上正邦参院自民党幹事長らが「自虐的だ」と猛反発し、参院での採決自体を見送ったためだ。
 
衆院だけの片肺では、国会決議と誇ることは難しい。そこで村山首相は、首相談話を出すことにした。国権の最高機関である国会でまとまらなかったテーマなのだから、首相談話を出しても、国を代表する談話であるとは言えない情勢だったと思えるが、そこまで気にしなかったようだ。
 
村山談話の問題のくだりは、次の通りである。
 
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」
 
戦後60年の小泉純一郎首相談話がそうであったように、安倍談話に対しても、村山談話を踏襲して、「侵略」や「おわび」の言葉を盛り込むべきという声が存在している。
 
そのような声をあげているのは、中国や韓国はもちろんのこと、民主党、公明党、共産党、社民党の議員たち、朝日新聞、毎日新聞、日教組などの左翼・リベラル陣営である。さらに、読売新聞も「侵略」を明言するよう求めている。
 
 
執拗な批判があるにもかかわらず、「侵略」やそれに対する「おわび」を直接記すことを肯んじない安倍首相が、なぜ村山談話を含む歴代内閣の歴史認識に対する立場を「全体として引き継ぐ」のか。
 
それは、中国との外交関係の基本構造を崩す政治リスクを冒すことを避けているからなのである。
 
ポイントは、1998年(平成10年)の「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言」(以下、日中共同宣言)と、安倍内閣が昨年11月に中国政府との間でまとめた「日中合意文書」である。
 
小渕首相と、来日した江沢民国家主席との間でまとまった98年の日中共同宣言の第3項目には次のくだりがある。
 
「双方は、過去を直視し歴史を正しく認識することが、日中関係を発展させる重要な基礎であると考える。日本側は、1972年の日中共同声明及び1995年8月15日の内閣総理大臣談話を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。中国側は、日本側が歴史の教訓に学び、平和発展の道を堅持することを希望する。双方は、この基礎の上に長きにわたる友好関係を発展させる」
ここでいう95年の内閣総理大臣談話は、村山談話のことである。
 
「侵略」を認め、「おわび」する村山談話が、日中両政府の政治文書に盛り込まれ、日本は「遵守」を約束してしまっているわけだ。中国が日本に歴史カードを行使する根拠を与えてしまった宣言だ。
 
この日中共同宣言は、両国政府の間で、日中間の基本4文書の1つに位置づけられている。
 
基本4文書とは、1972年(昭和47年)の日中共同声明、78年(昭和53年)の日中平和友好条約、98年(平成10年)の日中共同宣言、それに第1次安倍内閣当時の2008年(平成20年)に出された戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明のことである。
 
 
一方、昨年11月の日中合意文書は、安倍首相と習近平国家主席の首脳会談の前提として作られたものだ。
 
合意文書の筆頭項目は、「双方は、日中間の4つの基本文書の諸原則と精神を順守し、日中の戦略的互恵関係を引き続き発展させていくことを確認した」となっている。
 
安倍内閣は昨年11月の段階で、村山談話の「遵守」を約束した「日中共同宣言」の「諸原則と精神」の「順守」を、中国政府に対して、改めて確認したことを意味している。
 
このような立場をとるからこそ、安倍首相は、村山談話を引き継ぐ姿勢を示しているのであろう。
 
 
安倍首相自身がその理由を説明している。首相は一衆院議員だった麻生太郎政権当時、月刊誌「正論」2009年(平成21年)2月号で、次のように述べた。少し長くなるが引用したい。
 
「村山談話以降、政権が代わるたびにその継承を迫られるようになった、まさに踏み絵だ。だから私は村山談話に換わる安倍談話を出そうとしていた。村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはない。その時々の首相が必要に応じて独自の談話をだせるようにすればいいと考えていた。むろん、村山談話があまりにも一方的なので、もう少しバランスのとれたものにしたいという思いがあった」
 
「ところが、とんでもない落とし穴が待っていた。平成10年、中国の江沢民国家主席が訪日した際の日中共同宣言に『(日本側は)1995年8月15日の内閣総理大臣談話(村山談話)を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し…』という文言が盛り込まれていたのです。この共同宣言、53年の日中平和友好条約についで中国が重視していますから、日本が一方的に反古にすることは国際信義上出来なかったのです」
 
「しかし、『政治が歴史認識を確定させてはならない。歴史の分析は歴史家の役割だ』と国会で答弁した。野党からは『それでは村山談話の継承とはいえない』と批判されましたが、戦後レジームからの脱却がいかに困難であるか、改めて実感しました」
 
 
中国政府は表面上、「侵略」「おわび」の文言が安倍談話になければ批判してくるだろうが、本音は違う。村山談話を「引き継いで」いれば、日本政府は「侵略」を認め、「おわび」していることになる。「引き継ぐ」場合とそうでない場合とでは、中国政府の反応はまったく違うだろう。後者であれば、その反応は今どころではない激烈なものになるかもしれない。安倍首相や外務省はそのように計算しているに違いない。
 
そこで、第1次安倍内閣当時とほぼ変わらない構図が続いているわけだ。
 
 
安倍首相は現実に国の舵取りをしている身として、「とんでもない落とし穴」を埋めるには、内外の政治情勢がまだ許さないと判断しているのだろう。
 
安倍談話に、「侵略」やそれに対する「おわび」が直接的表現で盛り込まれないのであれば、筆者は過剰な謝罪外交を抑え、日本を侵略国家、日本人を犯罪民族として貶める風潮を減じる点から、意味がないわけではないとは思う。
 
それでも、98年の日中共同宣言という日本外交の失策にとらわれ、村山談話を認め続けるのは、残念きわまりないことだ。
 
安倍談話は、歴史認識をめぐっては、「半歩前進」とみなせるものになるのかもしれない。
 
 
 
---
榊原 智 (産経新聞 論説委員)

コラムニスト一覧
月別アーカイブ