コラム

    • UICC 世界がん会議

    • 2012年08月28日2012:08:28:00:00:05
      • 河原ノリエ
        • 東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師

 

 カナダ・モントリオールで開催されるUICC(Union for International Cancer Control;国際対がん連合)第22回世界がん会議に向かう途中でこの原稿を書いている。今回の世界がん会議のテーマは”Connecting for Global Impact”で、「がん研究と(がん治療の)実践から得られた知識と恩恵を、がんとともに生き、がんに苛まれている人たちに届ける」ことを目指している。 
 
 UICCは、世界的広がりを持つ唯一の民間対がん運動組織であり、その活動資金は全てメンバーの会費と寄付金で賄われている。グローバル化のなか複雑な要因を抱えている国際社会はどの国も国境を超えた課題にもがいており、各国政府に頼らぬ活動が今まさに必要とされる。UICCのように時代を先取りした動きが戦前から存在していたことに、今さらながら驚かされる。 
 
 あまり知られていないのは残念だが、日本でのUICC活動は古く、わが国は1936年の第2回ブリュッセルの会議から参加していた。第二次世界大戦中の中断はあったものの、戦後の苦しい中でも国際社会に参画していこうとする意志は強く、分担金を支払い続けてきている。 
 
 特に1966年、第9回世界がん会議を東京で開催したことは、日本のがん医療が大きく発展する契機となった。米国からの研究者を中心に4,000名ものがん研究者が武道館に参集し、皇太子殿下夫妻(現・天皇陛下)にもご臨席いただいた。組織委員長をつとめたのは、吉田富三博士である。吉田博士は、晩年に「自分は、随分長い間、外国とつき合ってきたが、日本人には国際参加、国際活動というものはなかなか難しいものがある。言葉、生活習慣、文化が西欧と違うからだと思うが難しい。付き合いはしなければいけない、それは確かだ。だがそれから先のことはなかなか踏み込めないところがある」と、おっしゃっておられたという。1966年のがん会議が初めての大きな国際会議であった研究者も多かったと言われており、この会議がその後の日本のがん研究にもたらした影響は計り知れない。 
 
 そして、日本が大震災後の閉塞状況のなかで、再び立ち上がろうとしている今、1966年からちょうど50年にあたる2016年に、日本はこの世界がん会議招致に向けて、名乗りをあげることになった。私は広報として、モントリオールで日本紹介のブースを田島和雄愛知がんセンター研究所所長とともに担当する。日本国内委員会の北川知行委員長は、「昨年の9月の国連総会において、健康問題がすなわち経済問題でありその解決はグローバルな政治課題である、と宣言した。日本の対がん運動は、がん研究者も含め、グローバルな対がん運動にももっと関心を深め、それらと連帯して活動することが要請されている」と語っている。 
 
 また、昨今の東アジア情勢の混迷は、この地域が、世界の地政学的観点からいっても、グローバリズムとナショナリズムのねじれのある特殊な地域であることを再び思い起こさせた。
 
 UICCには、UICC-AROというアジア地域事務局が存在している。このほど、Directorに東大先端研の赤座英之教授が就任した。今後爆発的にがんが急増する地域がアジアであり、この地域のがんとどう向き合うのかという大きな役割を果たすのがUICC-AROである。2016年のUICCの世界がん会議の日本招致が決定すれば、まさに、日本が国際社会の中でどう貢献していけるのかを示す良い機会である 
 
 がんは経済コストかかり、世界の大きなお荷物である。しかしながら、そのように重い課題であるがんだからこそ、国際社会の連帯に寄与していけることがあるはずである。
 
UICC_1966
(※写真は、1966年、東京で開催された第9回世界がん会議の様子。)
 
 
---河原ノリエ(東京大学 先端科学技術センター 総合癌研究国際戦略推進講座 特任助教)

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