コラム

    • いのちのかなしみ -- 私のカラダの情報は誰のものか

    • 2012年02月28日2012:02:28:00:05:00
      • 河原ノリエ
        • 東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師

 

“歴史とはそれを深く意識するものの前にしか、生々しく立ち現れることはない。”
 
 
 誰の言葉あったかも忘れたのだけれど、確かそんなことを、どこかで聞いた気がする。
 
 昨年の終わり頃から、「震災が呼び覚ます戦後」というひとつのフレーズにとりつかれ、ここ10年ほど、人のカラダの情報について、論壇誌などの発表してきた自分の論考を『いのちのかなしみー私のカラダの情報は誰のものか』(春秋社)として1冊の本にまとめて出した。
 
いのちのかなしみ
 
 「私のカラダの情報は誰のものなのか?」
 
 今こそ、この問いを静かに世の中に問うべき時期なのではないのかと思ったからだ。
 
 
 福島県は、2月20日東京電力福島第一原子力発電所事故を受けて全県民 約200万人を対象に実施していた健康管理調査に関し、1万468人についての外部被曝線量の分析結果を発表した。(読売新聞2月20日夕刊より)
 
 県は、これまでの疫学調査で100ミリ・シーベルト以下で明らかな健康への被害は確認されておらず、調査対象者の57パーセントが1ミリ・シーべルト未満で、最大が原発作業員の47ミリ・シーベルトであり、今回の結果で放射線による健康への影響は考えにくい、としている。この調査とは「県民健康管理調査」というもので、事故発生時から4か月間の行動を思い出してもらい、そのときの場所や時間をもとに、文部科学省の放射線観測や放射性拡散予測「SPEEDI」で得られた空間線量率を使い、計算した結果であると、新聞は報じている。
 
 この調査には、1月末までに43万1720人が回答し、回答率は21パーセントであったという。
 
 実際の生活調査票を、私は昨年、福島から避難してきているある女性から見せていただいた。福島県は、避難している人たちの避難先にも、もれなく送付しようと試みたようだ。
 
 「こんなもの、出すわけないわ。みんな怒ってる。悲しんでるのよ。人をバカにし過ぎている。」
 
 二人の子どものお母さんである彼女の話は切実だ。メディアでは報道されてはいないが、震災直後すぐに、彼女の住む地域では、外資系や国内の大企業では、こぞって大型バスをチャーターして社員の家族の安全確保を図ろうとして、県外に家族を移動させ始めていた。
 
 
 「大丈夫だろうか。」
 
 見えない不安に動揺するなか、放射能の専門家の講演会が、各地で開催され始めたという。
 
 「そういう専門家っていう肩書きのひとの話を聞きに行きたがるひとって、たいがい、自分で判断できなくて、不安でたまらない人でしょ。」
 
 確かにそうだ。小さい子どもをもつ母親にとって「大丈夫よ。」という言葉は、不安でいっぱいのときに、麻薬のように染み渡る言葉だ。
 
 「安全だから子どもを外で遊ばせてもいいですよ。」
 
 この専門家の言葉は、不安でいっぱいであった母親たちのネットワークの中で、地域の閉塞感の中で圧迫されてきた不安の塊がはじけるように、
 
 「大丈夫なんだって、よかったね。」
 
と、伝播していき、お互いに誘いあって、子どもたちを外遊びへといざなっていった。
 
 しばらく時をおいて、メディアでも徐々に放射能汚染の実態が詳らかになり、件の専門家の発言も、トーンダウンしていった頃、地域のお母さんネットワークの中では、、、
 
 「あの人に、誘われて、子どもを外で遊ばせたのよ。」「あの人が、あの講演会聞きに行こうって言ったんだわ。」・・・
 
 日を追って、人びとが次々に外の地域に出ていくなか、取り残された感の強い者同士の間で、諍いも始まる。
 
 そのように、人の心のささくれ立ったところに、配られたのこの生活調査票であった。
 
 
 私はかつて日本医師会(日医総研)の研究員だったときに、広島の被爆者がたくさんいる地域で実施されようとしていた、ひどく乱暴な医学研究について調査したことを思い出した。
 
「医学研究に協力したくないっていうわけじゃないのよ。あの日あのとき、子どもの手を引いて、あの場所に行かなきゃよかったって、自分を責めるのよ。自分が子どもに放射能浴びさせたってね。ここのひとたちは、みんな自分のカラダの情報集められることに言葉にはできない想いを抱えた人が多いのよね。そんな地域で、そうした気持ちを逆なでするみたいな方法で調査されるのは切ないのよね。被曝の遺伝のことも口にしたら自分の大切な子供たちに差別を招きいれることになるから、心配してること言わないって決めてるの。」
 
 これは親戚を探しに入市被曝をした女性の言葉だ。そっくり、健康調査票を前にした現在の福島のお母さん達の嘆きと重なるのだ。
 
 
 歴史は繰り返す。
 
 責任を問うべき視座を持たなかったこの国の不幸である。ヒロシマ・ナガサキの被曝者の医学データは、米国の放射線研究に多大な寄与をした。一方で、世界で唯一の被爆国でありながら、この国のなかでは、この分野においては、十分な学術基盤を構築しえなかった歴史の闇がぽっかりと空いていたのだ。
 
 人を研究資源として扱っていかねばならない不条理を抱え、それでも医学研究をしていく際に、何を踏み外してはならないのか。逃れられない過去を見つめる眼差しを忘れてはならないはずだった。
 
 放射能への危険性に関する一般の人々の認識のありようを、この国の知識人たちはおよそ分かっていないのではないか。知的な人間というものは、そうでない人びとの認識について、まったく想像もつかないのではないかと思う。
 
 
 ヒトのカラダの情報は、過去から未来への伝言である。
 
 私たちは、この自分のカラダの情報を研究に提供することによって、自分たちの未来の健康を守ってきた。多くの人びとの知らないところで、ヒトのカラダの情報は集められ、人々の健康を守るために使われてきた。
 
 「この日、外にいましたか?」
 
 県民健康管理調査調査票の問いかけに、
 
 「そんなこと、今更、なぜ言うの・・・? 」
 
 多くの母親がそう思ったという。記入支援と称して、福島県のHPでは、お笑い芸人のやりとりで、記入の仕方が説明されている。ふざけないで欲しい。そう思ったという。
 
 一枚の調査用紙の向こうに、どれほどの哀しみと悔やみが隠されているものか。
 
 目に見えぬ傷を心とカラダに刻んだ人々のことを、福島県の担当者は本当に理解していたのだろうか。莫大な予算をかけながら、なぜ回収率があがらなかったのか。 
 
 いま一度、その姿勢を正すべきである。
 
 
 
---河原ノリエ(東京大学 先端科学技術センター 総合癌研究国際戦略推進講座 特任助教)

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