コラム

    • 夏学期「アジアでがんを生き延びる」の授業を終えて

    • 2011年08月23日2011:08:23:00:05:00
      • 河原ノリエ
        • 東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師

 

この春から1年間の東京大学領域横断プログラムの日本アジア学において、「アジアでがんを生き延びる」と題した、授業をスタートさせている。
 
 
【講義概要】 
感染症から非感染症へ疾病構造が変容する中、アジアにおけるがんは急増している。がんという病には、遺伝的素因や生活習慣など、長い時間軸の中でのひとのくらしの営みや文化が色濃く影を落としている。これまでアジアは、医療水準、医療者、患者の価値観もまちまちで、データも単純比較できず、連携が難しい地域であった。経済成長著しい一方、未だにこの地域に横たわる、歴史的負債は大きく、グローバリズムとナショナリズムの「ねじれ」が先鋭に浮かび上がる地域である。アジアのがん医療における、新規薬剤開発や安全かつ有効な治療法の開発などを目指す「総合癌研究国際戦略推進」寄附研究部門は、その活動の一つとしてがんという共有課題を乗り越えることで、この「ねじれ」を超克していくことを目指し、がんをグローバルヘルスアジェンダにすることなどの政策提言活動を行ってきている。がんは政治、経済、文化など、様々な課題と密接にかかわっている病である。それぞれの領域の第一人者に、アジアのがんに纏わる問いを投げかけ、日本がアジアとどう向き合うべきなのか、対話の回路としての語りを重ねたいと考えている。(今期:2011年04月08日 ~ 2012年01月27日) 

 
 
「過ぎ去らない過去のいきさつを抱えたなか、アジアと日本はどう向き合って生き延びていくのか、それを考えるために、がんという重い共有課題をともに考えていく道筋を探り当てることは、アジア連携にとっても長期的に意味のある基盤である。」念願の想いが実現したと、心を奮い立たせ、重責を果たすべく準備を進めていた。 
 
 3月初旬から、中国東北部から旧満州鉄道の路線を辿り、中朝国境地帯の農村部を訪ねていた。その準備の旅の途中に、あの震災だった。 
 
 
 この講座には、多くのアジアからの留学生が受講を希望していたはずだった。しかし、4月にはなっても5月になっても、留学生は戻ってこなかった。昨年から私の授業にでている学生からは、「先生すみません。自分は一人っ子なので、親の意向には逆らえないのです。休学します。」と、メールが届いた。彼らは未だに戻ってきていない。 
 
 震災後の社会全体が野戦病院のような雰囲気の中、アジアの問題は余りにも遠く感じられた。震災がもたらした圧倒的なリアリティを目の前に、われわれの問題意識のような目の前にはっきりと立ち現われていないことをじっくり考えることは、とても困難な営みかとも思われた。フォーラムの趣旨に賛同する各界の第一人者の方々が、授業の協力をしてくださることにはなってはいたものの、この講義自体は完成された知識の世界を学生に教えるものではなかった。 
 
 学生自身が、なにが問われるべきことなのかを探り当てるために、アジアのがんという、ひとつの事柄をみつめ、どのように語られていくのか。じっと耳をすませ、学生がそれぞれの領域から課題を自分で組み立てて、発言をして、思考の足場としてほしい。このように少々込み入ったつくりになっていることも、学生にとっては戸惑いであったかもしれない。そのようなことを考えていた。 
 
 
 しかしながら、前半を終わってみれば、それは杞憂だった。 
 
 各講義におけるそれぞれの分野の第一人者たちの確かな眼差しは、学知の世界にはない具体性を持っていた。そこに内包されている普遍性を学生たちが考えることは、領域を越えて、学問的に非常に重要なことだった。それにもまして、集まってきた学生が、皆熱心で、それぞれの専門領域に引き寄せて、アジアのがんという連続して語られる問題について問いを立ててくる。 
 
 次世代の若者たちの中に、決してネット情報をコピペして発言するような短絡的思考ではなく、自分たちの無知と知をしっかり摺り合わせて発言できる地に足のついたタイプも現れてきている。このことも報告しておきたい。 
 
 秋からはまた後半が始まる。生命科学が、様々なバックグラウンドをもった知の統合を目指している昨今、領域をまたぐ視点の広がりで、ひとつの領域を練り上げていきたい。前半を終えて、この方向性は間違ってはいなかったと思っている。
 
 
 
--- 河原ノリエ (東京大学先端科学技術研究センター「総合癌研究国際戦略推進」寄付研究部門 特任助教)

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