コラム

    • 小さな声

    • 2011年04月19日2011:04:19:00:05:00
      • 片桐由喜
        • 小樽商科大学商学部 教授

 今般の原発事故は私達にエネルギー調達のあり方を考えさせる契機となった。

 
 さらに言えば、生活を支え、物を動かし、便利さをもたらすエネルギーを何を元にして作り出すことが、より望ましいのか、そうやって得られたエネルギーを何に、どこに、誰に使わせるのが最適なのかを、普段考えることのなかった人々に-もちろん私を含めて-、強烈に問いかける事件となった。 

 


 このテーマについては、原子力研究の専門家、政府官僚サイド、世にいう評論家達から、自宅の茶の間や街中のカフェに座る人々にいたるまで、喧々諤々、議論している。おもしろいことに、新聞記事などが採用・発信する前者の情報と、市井の人々が論じることの間に大差ない。たとえば、原子力依存一辺倒の脆さや、省エネルギー社会の達成などの意見である。 
 
 但し、決定的に違うのは前者がだからといって反原発、脱原発をメディアを通して主張、明言することがないのに対し、後者、市民レベルからは不便を承知で省電力社会、脱原発を強く求める声が聞こえてくることである。 
 
  
 先日、ある会議後の懇親会、いわば井戸端会議のような場で以下のような話題がでた。すなわち、「日本中の暖房便座をoffにすると、原発1基分が不要になるらしい」、「日本中の自動販売機を撤去すると、やはり原発1基分がいらないそうだ」、「屋根にソーラーパネルを設置したら、自宅分をまかなっても余る電力が生じ、それを売ることもできる。そうなると発電所はもっともっと少なくていいらしい」、等々である。 
 
 発言者自ら検証した結果でもなく、また、明確な論拠を思い出せない、いわば新聞や雑誌、テレビからの請け売りである。しかし、その場にいた誰しもが、きっとそうだろうと納得していた。 
 
 さらに、省電力のためのアイディアが次から次と出てくる。たとえば、深夜から朝にかけてのテレビ放映の停止、食洗機、乾燥機不要論、超高層建築物建設禁止、電力大量消費型娯楽施設の営業制限、デパート、スーパーマーケットなどの大型店舗の定休日復活、営業時間短縮日の設定、等々である。 
 


 重要なことはこのようなアイディア自体ではなく、北海道の片田舎、わずか数人の会食の席でさえこのような考えが出てくるのだから、全国レベルではどれほどたくさん人々が実現可能で素晴らしいアイディアを持っているだろうか、ということである。 
  
 しかしながら、これらの声は無数に多くても小さい。新聞の家庭欄や投書欄に掲載されることはあっても一面を飾ることはない。結局は、少数であっても大きな声を持つ立場の見解がこの社会の方向性を決めることになるのが常である。

 

 そして、この大きな掛け声に乗って電力とモノの大量生産・大量消費を追い求めてきた帰結の1つの現れが、福島原発事故であるならば、いまこそ、このスタイルを改める好機である。これを逃すと、俗に言う、喉もと過ぎれば・・・・・となり、数十年後に同じ災いを招来しかねない。 



 小さな声の持ち主は幸いにして、神様と呼ばれる「お客様」である。これをフルに利用して、世の中の流れに影響力を及ぼすことが可能だろう。たとえば、定休日を復活したデパートを進んで利用し、そのことを「お客様相談室」に知らせる。デパート側は対応が評価されたこと、それにより客に選ばれることを知り、励みとなるにちがいない。余談ではあるが、デパートの従業員達にとって良き福利厚生となるのではないだろうか。 
 
 あるいは、深夜のテレビ番組を観ない、超高層建築物を買わない、借りない、などである。消費行動が生産行動をある程度、規程することを私達はもっと自覚する必要がある。そして、その逆とならない賢い消費者になることが肝心である。 
  
 
 そうやって、万策を尽くしてもなお、原子力発電が不可欠であるならば、その容認も致し方ない。しかし、今は尽くすべき万策のリストアップを始めたにすぎない。

 

 

--- 片桐由喜(小樽商科大学 商学部 教授)

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