コラム

    • がんと文化

    • 2010年11月16日2010:11:16:00:05:00
      • 河原ノリエ
        • 東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師

 

幾多の歴史を乗り越え
この海が繋いできた アジアのいのち
過去をみつめて 未来を紡ぐ
「がん」という共有の試練を抱え
共に生き延びるために
いまどんな眼差しをもてばいいのか
 
 
 沈む夕日の日本海の映像をバックに、「アジアでがんを生き延びるーアジアのくらしと文化とがんと」と題して、第7回アジアがんフォーラムを行った。
 
 午前はいつもの、サイエンスのラウンドミィーティングで、がんをグローバルヘルスアジェンダとして捉えるにあたっての専門家の討論だった。午後は、今回はじめて、一般の方たちに来ていただいて公開シンポジウムを行った。文化の日ということもあって、300人近くの方がいらしてくださった。
 
 「アジアのがん」といっても一般の人たちにとって、その具体的なイメージはなかなか思い浮かばないものだといわれ、我々はずっと専門家の中での議論を重ねてきた。昨今のアジア経済の急成長を鑑みて、メディカルツーリズムやら、中国マネーの医療関連での動きなどザワザワした話しばかりが目立ってしまっているが、我々は、それらとは一線を画し、一貫して地道に「アジアのがん」を追いかけてきた。
 
 真のアジアの連携を支えるための末端の人びとのくらしの営みにまで入り込み、がんという重い共有課題をともに乗り越える方策を探り当てるという途方もなく遠大な試みを、果たして理解してもらえるのだろうかという想いもあった。
 
 しかしながら、それは杞憂であった。
 
 これまで、「国内のがん難民を差し置いてなぜアジアなのか」と問い詰められることもたびたびであった。しかし今回やってみて、一般の人びとは目先の自分や家族の病気にしか興味がないという、大手マスコミが想定している固定観念に、我々自身が縛られていたことを反省した。
 
 グローバリズムの中、情報も人の流れも文化も瞬時に繋がる時代になった。しかし、それぞれのがんには、その民族の長い時間軸の中で変容してきた生物学的要因や、文化的要因の影響をうけ、また医療制度という国家ごとの枠組みにしばられている。まさに「アジアのがん」はグローバリズムとナショナリズムのねじれのなかにある問題といえる。
 
 このねじれという困難を乗り越えるためには、単なる疾病構造の変容を負うという医学的な問題ではなく社会構造や歴史変動というもっと広い視野での人々の身体の意味を突き止めなければならないと思っている。
 
 われわれは今年から、アジアの伝統的な食事の変遷をたどりながら、それぞれの地域での年代別の摂取量を丁寧にみていく試みを始める。その土地の食べ物がもつ過去の人びとに連なる記憶を手繰り寄せるという作業を重ねていく。
 
 今回のパンフレットの裏表紙の写真を、中朝国境のやまあいの山村で撮ったものを使った。父の会社の跡地の写真だ。年収1万5千円という老人が、がんになったらふとんをかぶって寝るしかない。家族に迷惑かけたくないので、高い治療費なんか払えないから、なんとかがんにならない方法があったら知りたいと、父の足跡をたどり尋ね歩いていた私に語っていた村だ。老人は吉山という日本人名を戦前はもらっていたという。
 
 先日東大で、その村の近くの出身の北京大学からの中国人留学生と、話した。 中国人と韓国人のがんの罹患率の違いと食生活について話していたとき、「僕、中国人だけど、お父さんもお母さんも朝鮮半島の全羅南道から、1922年に日本人に連れてこられただけで、食べものもずっと、朝鮮料理だよ」といわれた。
 
 ライフサイエンスは、アジア経済のけん引力とばかりに勇ましく国益を謳うとき、いま私たちが立っているアジアという場所の意味をつい忘れている。過去を概括しようとすると、つぎつぎおこる今という時にかき消されれ、大切なことを見失ってしまうことがある。私たちひとりひとりのいまは、文化とともに大きな歴史の流れの中にあるということを、次回は掘り下げてみたいと思う。
 
 
※開催風景
第7回アジアがんフォーラム
 
 
--- 河原ノリエ (東京大学 先端科学技術センター 総合癌研究国際戦略推進講座)

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