コラム

    • 郷愁のトロイカ

    • 2010年09月07日2010:09:07:00:22:34
      • 河原ノリエ
        • 東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師

 トロイカという言葉が耳目をひきはじめて、なぜこの言葉が懐かしいのかすぐには思いだせなかった。しばらくしてふと、「♪走れ トロイカほがらかに 鈴の音高く♪」のメロディーがよみがえり、しばし遠い記憶にいざなわれた。 

 
 このフレーズが好きで子供のころ、くちずさんでいたら、傍らでシベリアがえりの父が「ロスケの歌は嫌いだ・・・」とつぶやいた。 
 
 もともとこの曲は、ハバロスクの捕虜収容所がえりの楽団が、戦後日本各地をまわり広めた歌らしいが、ラーゲリの記憶をもてあましていた父にとって、娘が呑気に口ずさむことはたえられなかったのだろう。そして「3頭立ての馬車は、コントロールが難しいのだ」と付け加えた。北東アジアの森林地帯で、馬を駆りたてて、木材伐採事業をしていた父の現実の言葉の重みに、私はこの歌を歌うことをやめにした。 
 
 コップの中の争いのような国内から目を転じて、外を見渡すと、心が塞ぐ。なぜというしかないのだが、国際社会における日本の地位の凋落のあまりのハイスピードさをどう表現していいかわからない。それぞれの領域における本当の力量は別にして、周辺諸国の台頭とともに、日本の姿がどんどん薄まっていく。 
 
 歴史認識問題を持ち出され続けたころは、どこか「日本だけ発展してしまってごめんなさい」とうしろめたさがあったが、我々が関わっている大学生とアジア諸国の学生との次世代対話のアジェンダにおいても、「もうその話はやめにして、次世代のことを・・・。」と向こうが言ってきた瞬間、ゴングはなっている。 
 
 日中韓三か国がアジアをというより世界をリードしていく像を結んでいかねばならない。トロイカをどう走らせるか。日本だけでは立ってはいられない瀬戸際なのだから。 
 
 われわれアジアがんフォーラムもその課題を背負っている。8月21日、UICC世界がん会議において、第6回アジアがんフォーラム「がんをグローバルアジェンダにするためになにをするべきか」のラウンドミィーテイングを行った。前回の日本での第5回のフォーラムにおいては、グローバルヘルスアジェンダにがんがなぜ今までならなかったのかということを議論して、もっとがん研究者内部でのこの問題への認知をあげようということをまとめとして、今回の議論の出発点はそこから先の次の課題設定をした。 
 
 途上国も含めたがんの急増に、従来の感染症対策のような線形的な思考では対応できず、しかも、感染症対策のように、対策の即効性が示しにくい 投資効果が短期に見えにくい案件をいかに国際機関をまきこんでいくかという悩ましい問題である。 
 
 この中国での議論をうけ、第7回アジアがんフォーラムを11月3日東京大学先端科学技術研究センターで行う。 我々はがんを、人間の安全保障・外交・文化・サイエンス・経済の学際的な観点から分析をしていこうと考えている。そこには、各国ごとに当事者の重い現実がまとわりついて、単に、専門知だけで見通せぬ視座がある。エネルギーや環境分野のように科学技術外交にも落とし込めぬ悩ましさはそこにある。なぜ国内の癌難民を飛び越え国際なのかと問われたら、返す言葉は弱くなる。 
 
 しかしながら、我々はがんの国際連携の中で日本が果たすべき役割について、討論を重ねてきている。課題の多くが共有されはじめ、その課題に具体的に知恵を集めていくステージとなった。今回の中国シンセンにおいては、「情報」というものを軸に話して、話したが、短い時間の中で議論の深堀りまではいたらなかった。 
 
 次回の、11月3日は、午前はRound Table Discussion 「人間の安全保障からみたグローバルヘルスアジェンダとしてのがん医療連携のあるべき姿とは」。午後はシンポジウム形式をとったワークショップをおこなう。 
 
 「アジアでがんを生き延びる ―困難はひととひとを結び付ける」というテーマで、アジアがんフォーラムに共催してくださる東大現代韓国研究センターの姜尚中先生を中心にして、歴史的負債を乗り越えてアジアの安全保障として何ができるか を、留学生たちを交えて語りを重ねたいと思う。 
 
 様々な想いが交錯するザワザワしたアジアのひろがりのなかで、アジアからの留学生たちや学生たち次世代の子たちと、がんというひとつの困難を共有して、つながっていこうという認識の会を目指している。
 
 APECなどにおいてもライフイノベーションは産業育成のカギとされながらも、医療者や製薬企業など医療産業の人々の視点でしか議論されてこなかったため、最近はやりの医療ツーリズムのような目先の話にしかいってはいない。議論の枠組みを押し広げるためにも、未来に向けた幅広の視点の確保が急務だ。
 
 医療は他の産業と違い、各国ごとに当局の規制にしばられ、その真の全体像がとらまえにくい領域である。国際共同治験ひとつとっても、医療水準もバラバラで、がんにおいても、がんという病を人々がどうとらえているかやそれに対する医療者の価値観も微妙に異なるため、治験データも単純には比較できない。 
 
 にもかかわらず、我々は、ともに生き延びるために共存の方法を探らねばならない。
 
 究極は、ひとは一人で生まれ、ひとりで死んでいく。ひとのかなしみも痛みも、そのひとにしかわからず、どこまでいっても、そのひとのもの。でも、なんとかしてその痛みをわかちあう架橋をつくりたい。今度は、ざわざわした国益の話もでてくるかもしれない。そのなかで透明なひとのかなしみの話を、最後の時間にがんと文化というセッションで静かにふかいところに降りていくポイントをつくりたいとおもっている。 
 
 今度の第7回は、日中韓の三か国のがんに大きな責務を背負うひとたちに集まっていただき、東京大学に学ぶ日中韓の学生たちとの討論も予定している。 
 
 がんは今度アジアで急増することは間違いなく、世界のがん征圧のカギはアジアのがんをどうするかに重なる。その中で、日中韓のトロイカをどう走らせるか。我々はいったいどんな世界にいこうとしているのか、いくべき世界像を共有することこそがトロイカにとっての生命線だろう。 
 
 
【関連リンク】 アジアがんフォーラム
 
※開催風景1.
アジアがんフォーラム写真01
 
※開催風景2.
アジアがんフォーラム写真02
 
 
---河原ノリエ (東京大学 先端科学技術研究センター 総合癌研究国際戦略推進講座 特任研究員)

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