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先見創意の会

「3K政治」に抵抗して

桐山 桂一 (ジャーナリスト)

真実を「語らず」「隠す」「改ざんする」―それを私は「3K政治」と呼んでいます。
ある元官僚は「3S」とも言っています。「説明しない」「説得しない」「責任を取らない」―。なるほど、こちらも今の政治状況を映しています。

学校法人・森友学園をめぐり、決裁文書を改ざんさせられた元近畿財務局職員の赤木俊夫さんが自殺しました。その妻が国などを訴えた訴訟で、国は不意打ちの訴訟終結という手段を選びました。

この事件は、まさに「3K」そのものです。決裁文書を「改ざん」がスタートですが、それを苦にした自殺だったのに、真相を関係者は「語らず」、訴訟終結でやはり国は真相を「隠す」のままだったからです。

妻が「ひきょう者」と抗議したことがすべてを物語っています。

裁判用語で「認諾」という言葉があります。相手の請求をのんで、損害賠償を支払う方法ですが、その意味は二つあります。裁判の終結と、その効力は確定判決と同じだという意味です。今回の裁判で、国が選んだのは、まさに「認諾」でした。

妻が国と当時の国と財務省理財局長だった佐川宣寿氏を相手に求めたのは約一億円の損害賠償ですが、あくまで民事訴訟を起こすためです。本当の狙いは「なぜ自殺したか」、その真相を知りたかったことです。

しかし、国が訴訟協議で一転して、大阪地裁に「認諾」を伝えました。つまり約一億円の請求を受け入れる書面を国側が裁判所に提出し、訴訟は即日、終結してしまったわけです。

これは賠償金を払って、真相を隠蔽する幕引きに他ならないでしょう。つまりは国側が訴訟の手続きを逆手にとったのです。公文書改ざんの詳しい経緯の説明から逃れるためだと思われて当然です。

訴訟終結ですから、もはや証人尋問などは行われず、真相究明は遠のきます。つまり、真の狙いは果たされず、妻の思いも踏みにじられてしまったわけです。政治家や幹部職員の関与が闇に葬られてしまうのは到底許されないと思います。

「負けたような気持ちだ。真実を知りたいと訴えてきたが、こんな形で終わり、悔しくて仕方がない」と妻は述べました。抗議文の中でも「夫がなぜ死んだのかを知るための裁判でした」「私も夫も国の認諾は絶対に許しません」などと批判し、「真相を隠すために認諾をしたのでしょう」ともつづっています。

そもそもこの事件では、国はずっと全容解明に後ろ向きの姿勢でした。麻生太郎前財務相は二〇一八年に行った調査のやり直しもずっと拒んでいたからです。

改ざんの過程を示す「赤木ファイル」の存否も「調査中」でしたが、裁判所から提出を求められ、やっと今年六月に内容が明らかになった経緯があります。

それは財務省本省が近畿財務局宛てにメールで再三、修正を指示していたものでしたが、指示した者の名前などは黒塗りで伏せられていました。詳しい内容は判然としないままだったのです。要するに国は隠しておきたい事実があるのでしょう。

「認諾」について、国側は「いたずらに訴訟を長引かせるのは適切でない」といいますが、公文書改ざんは民主主義の根幹を破壊しうる重大な不祥事です。この国にはびこる隠蔽主義は、国民への背信行為でもあります。

共同通信の世論調査では、岸田文雄首相が森友学園問題を再調査するべきだとの回答は79・3%にものぼりました。誰もがそれを望んでいます。

しかし、岸田首相は国会で「説明を求められた場合、説明を尽くしていく姿勢が大事だ」とぼんやりした見解を繰り返すにとどめました。訴訟についても「赤木ファイル」の写しの開示など「遺族が求めた項目について可能な限り対応をした」と言い訳に終始しています。

もっとも国への訴訟は終わりですが、佐川氏を相手どった訴訟は継続しています。また財務省が大阪地検に任意提出した調査報告書の関連文書をめぐって、妻側に不開示とした決定を取り消すよう求めた訴訟は継続しています。

これが真相解明につながる望みの一つではありますが、何といっても国会による真相解明がなされねばなりません。司法府ばかりでなく、立法府でのチェック機能が果たされてこその三権分立だからです。

岸田首相も再調査に二の足を踏んで、説明回避に終始すれば国民の信も失いかねません。

「3K」とは一九八〇年代には、「きつい」「汚い」「危険」という、良くない労働環境を表す言葉でした。「3K職場」「3K職種」とも呼ばれましたが、「汚い」は今も政治環境に当てはまりそうです。

「3S」は高度成長期に「スクリーン」「スポーツ」「セックス」により、大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策と語られていました。

説明せず、責任も取らない現代の「3S」を政治家に許していては、本当の「愚民」と見くびられてしまいます。

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桐山 桂一(ジャーナリスト)

2022.01.06