自由な立場で意見表明を
先見創意の会

大幅な引上げが続く最低賃金 丁寧な決定プロセスが必要

金子順一 全国シルバー人材センター事業協会 会長

毎年3%の引上げが続く最低賃金

令和3年度の都道府県別最低賃金が決まり、10月から発効した。コロナ禍ではあるが、対前年28円、3%超の引上げで、全国平均(時給、都道府県ごとの労働者数でウェイトを付けた加重平均)は930円となった。28円引上げは、現制度の下では過去最高の引上げ額である。これですべての県の最低賃金が800円台に乗る(最高額は、東京都1041円)。最低賃金に近い時給で働く人には朗報だ。

ここ10年大幅引上げが続く最低賃金。コロナが直撃した昨年は事実上改定が見送られたが、【図1】に示したとおり、ここ10年間で200円近く上昇した。デフレ基調の経済下、最低賃金は物価・賃金の動向とかけ離れた形で引き上げられてきたのである。

連年の引上げは、いわゆる“アベノミクス”、“働き方改革”の一環として、官邸主導で推進されてきた。背景には、非正規雇用の拡大と“労働の二極化”と言われる深刻な雇用格差問題がある。最低賃金は、パートなどの給与水準に直接リンクするため、その引上げによって低賃金労働者の処遇改善、生活改善を図るというものである。

また最低賃金引上げには、消費拡大策、脱デフレ対策としての側面もある。特に最近では、強制力のある最低賃金を梃子に、賃金全体の底上げを目指す考えが見られる。経済政策としての意義を強調するのが最近の流れである。

その狙いはともかく、日本の最低賃金は欧米先進国の中で見劣りする水準にあるのは間違いない。小零細企業の生産性向上を促しながら1000円以上を目指すのは、現下の情勢に鑑みれば適切かつ重要な政策方針である。さらなる格差拡大、貧困の広がりが懸念されるだけに、最低賃金政策の役割は今後一段と高まるだろう。いま格差問題は海外でも深刻の度を増す。最低賃金重視の政策態度は世界の潮流でもある。

大幅引上げに不満が募る中小事業者

重要政策である最低賃金引上げだが、実際支払いをするのは労働者を雇う企業だ。国の号令で直ぐに納得して賃金を支払う企業ばかりではない。当たり前のことだが、最近の引上げを見ていると、この当たり前が軽視されている気がしてならない。

連年にわたる引上げで、非正規雇用への依存度が高い業種では労働コストは確実に増える。とりわけ、飲食、観光、運輸などの小零細事業者は、コロナ直撃も重なる。賃金を引き上げなければ人材を確保できない現実が一方であるのは確かだが、連年にわたる引上げは、廃業の誘発など小零細事業者の経営に深刻な影響を及ぼす。

この点に関し、日本商工会議所など中小企業三団体は本年4月、今年度の最低賃金の審議に先立ち、要望書を提出した。同書では、最低賃金は「明確な根拠のもとで納得感のある水準」にすべきとした上で、コロナ禍にある本年度は現行水準を維持すべきと主張。また、賃金水準の引上げに際して、「強制力のある最低賃金の引上げを政策的に用いるべきではない」と指摘し、政府の対応に釘を刺した。

審議会で結論が出た7月、中小企業団体は、「引上げは到底納得できない」としつつ、最低賃金決定プロセスへの不満を露わにしたという。コロナ禍で苦しむ小零細事業者の立場からは、もっともな意見と言えるだろう。事業者の不満が募るこうした事態を放置すべきではない。

そもそも賃金は、労使間の契約で決めるのが原則である。しかし、立場の弱い労働者は低廉な賃金での就業を余儀なくされる事態がある。そのような低賃金を、社会政策的観点から法的強制力によって排除する仕組みが最低賃金制度だ。強制力は、罰則(50万円以下の罰金)によって担保される。

そうした法的性格ゆえに、最低賃金設定に当たっては、考慮すべき3つの要素が法定されている。労働者の生計費、賃金に加え、使用者の支払い能力も考慮要素とされる。また手続きとしては、公益、労働、経営の委員で構成する最低賃金審議会の議を経て決めることが求められる。政府のさじ加減だけで決めることはできない、これが最低賃金法の定めるルールである。 

しかし、厚生労働省に設置された最低賃金審議会は、実質、労使による賃金交渉の場で、常に労使間の考えに隔たりが大きく、ここでの審議に任せるだけでは大幅改定は難しい。そこで、政府方針を予め示し、審議会での検討を誘導する形で引上げが行われてきたのである。

本年度の決定プロセスでは、6月の“骨太の方針”において、3%と明示はないものの、「感染症拡大前」の実績を踏まえて引き上げるとの政府方針が示された(コロナ禍前は3%程度の引上げが続いた)。経済財政諮問会議に付議されたとはいえ、コロナ禍で苦しむ中小事業者の意見がこの方針にどれだけ反映されたか疑問なしとしない。そして、この方針に基づく審議を要請された最低賃金審議会は、中小事業者代表の反対を押し切って、今年度3%の引上げを決めたのである。

一連の決定プロセスは、最低賃金法の趣旨に照らすと、いささか乱暴な進め方と言わざるを得ない。官邸の“鶴の一声”で大幅引上げが決まったと言われても仕方がない状況だ。前述した中小企業団体の指摘も、まさにこの点にあると思う。

結果が知らされるだけで、説明が足りていないのではないか。これでは苦境に立たされた中小事業者の理解を得るのは難しい。事業者を置き去りにした決定が続けば、最低賃金に対する遵法意識は低下し、制度への信頼が損なわれかねない。

社会対話を深め最低賃金引上げに取り組む

政府は、賃金引上げを促すため税制上の措置を講じ、また生産性向上のための各種支援策を用意し、さらに下請け取引適正化に取り組んでいる。これらは、最低賃金引上げを図る上で大変大事な措置ではあるが、支援策の活用を促す前に、中小事業者の抱く疑念を拭う努力が、政府には求められる。

例えば、専門家、実務家中心で構成される審議会への付議に先立ち、政府と関係労使、特に中小事業者とのハイレベル対話を設けてはどうか。総理、関係閣僚と中小企業団体、事業者代表のトップが同じ席に着き、最低賃金引上げが、これからの経済社会にとっていかに重要で必要なものかを政府側が丁寧に説明し、理解を求める。そして事業者側の主張にもしっかり耳を傾ける。こうした対話により相互理解は深まり、同時に真に有効な支援策も生まれてくる。その後の審議会でも実のある論議が期待できるはずだ。

国家的要請で最低賃金を引き上げるのであれば、より丁寧な決定プロセスが求められる。“聞くことを大事にする”政権が誕生したときでもある。国民的課題と位置づけ、社会対話を深めながら最低賃金引上げに取り組んでもらいたい。かつて最低賃金行政に携わった者として、切に願う次第である。

ーー
金子順一(公益社団法人全国シルバー人材センター事業協会 会長)

◇◇金子順一氏の掲載済コラム◇◇
◆「老いと向き合う就業のすすめ ~高齢期の働き方改革~」【2021.5.4掲載】
◆「アフターコロナの働き方と労働時間規制」【2020.10.13掲載】

2021.11.09