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核兵器禁止条約は日本国民を守らない

榊原智 産経新聞 論説副委員長

第49回衆院選で、自民党と公明党の与党が絶対安定多数を確保し、岸田文雄政権が信任された。

衆院選では、立憲民主党、共産党など野党の多くと公明党が、核兵器禁止条約を評価した。日本の署名、批准や、来年3月に予定される同条約の締約国会議へのオブザーバー参加を唱えた。

これに対し、公約で「核軍縮、核不拡散体制を強化」と謳った自民党は、核兵器禁止条約については署名、批准も関連会議へのオブザーバー参加にも賛同しなかった。

岸田首相(自民総裁)は10月27日、核兵器禁止条約について「核兵器のない世界を目指すという大きな目標に向けて出口に当たる重要な条約」だとしながらも、「核兵器国(核兵器保有国)は一カ国もこの条約に参加していない」と指摘した。「私の外務大臣の経験の中で、核兵器国を動かさなければ現実は少しも変わらないという厳しい現実に何度も突き当り、悩んだ記憶がある」と述べ、核兵器禁止条約の署名、批准や締約国会議へのオブザーバー参加に慎重な姿勢を崩さなかった。

岸田首相は、「唯一の戦争被爆国日本としては、核兵器国を動かして現実を変えていく努力をする責任、責務がある」とも語った。米英仏露中の核兵器保有国も、日本も加盟する核拡散防止条約(NPT)が核兵器国の核軍縮交渉を義務づけていることをてこに、核軍縮を進めたい考えを示したものといえる。

野党の多くや公明がこだわる核兵器禁止条約は今年1月22日、批准した50カ国・地域で発効した。批准したのは現在、56カ国・地域になっている。条約加盟国に、核兵器の開発や実験、保有、使用、使用するとの威嚇などを全面的に禁止するもので、核兵器国も期限を区切って廃棄するのであれば加盟できる。ただし、核兵器国は同条約に反発しており、加盟の見込みはない。

岸田首相は、「核軍縮」をライフワークとし、「核なき世界」の実現のために政治家人生を捧げたいとしている(岸田文雄『岸田ビジョン』講談社、64頁)。そうであっても、核兵器禁止条約によらない方法で核軍縮に取り組む姿勢を示しているのは、日本の首相には、日本国民を現実の核兵器の脅威から守るという責務があるとわかっているためだろう。

日本が核兵器禁止条約に飛びつけば、日本国民に対する核の脅威がかえって増すことになりかねない。唯一の戦争被爆国日本の政府が最優先しなくてはならないのは、広島・長崎の悲劇を繰り返してはならない、ということに決まっている。日本国民が核兵器で再び攻撃される事態を抑止しなくてはならない。

日本は今、中国、北朝鮮、ロシアの核の脅威に直面している。北朝鮮が声明で「取るに足らない日本列島の4つの島を核爆弾で海中に沈めるべきだ」と威嚇してきたのは4年前のことだ。

押さえておくべきは、人類が今有している科学技術によって、核攻撃を無効化する手立ては見つかっていない、という点だ。そうであれば、核攻撃を抑えたければ、核兵器による反撃力を用意しておくしかないことになる。核抑止を片方が解けばどうなるか。核兵器を放棄していない国から威嚇されれば、言うなりになるしかない。「奴隷の平和」を子孫に強いる権利はどの国のどの世代にもないはずだ。

あり得ないことだが、核兵器を保有している全ての国が核兵器禁止条約に賛同し、核兵器を廃棄したとしても、ひそかに核武装する国や勢力が現れれば万事休すとなる。

また、大量破壊兵器である生物兵器、化学兵器は禁止条約が存在し、一部の無法国家以外は守っているが、これも、万一、生物兵器、化学兵器で攻撃されれば核兵器で報復するという抑止力が存在しているから、受け入れられている点を忘れてはならない。核兵器禁止条約はこの点も解決してくれない。

核抑止力が自国や同盟国の側になければ、核兵器使用の恫喝をかわすすべはないし、核攻撃を抑止するすべもない。条約違反だといくら非難しても後の祭りで、国民の安全は守れないことになる。

このような厳しい現実があるため、核兵器国も、核兵器国の核兵器を抑止力として利用している国も、核兵器禁止条約を相手にしていないのだ。

佐藤栄作内閣以来、日本政府は、政策として非核三原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)をとってきた。

同時に日本が、日本防衛には核兵器、すなわち核抑止力が必要とし、利用してきた点を無視してはいけない。核抑止力を自国で用意せず、同盟国米国の核兵器に頼ってきたのである。日本国民が核攻撃による惨禍に見舞われないために米国の核抑止力(核の傘)に依存する点が、日米同盟の根幹をなしている。

日本政府の国家安全保障戦略は、「核兵器の脅威に対しては、核抑止力を中心とする米国の拡大抑止が不可欠であり、その信頼性の維持・強化のために、米国と緊密に連携していく」としている。これは、国家安保戦略以前にも防衛大綱などにも明記されてきた長年の安全保障政策だ。

日本が核兵器禁止条約に署名、批准したり、オブザーバーといえども締約国会議に参加しては、米国の核の傘の信憑性が揺らぐことになるのは自明だ。米国がさしかけた核の傘の提供は、中国や北朝鮮などに「日本を核攻撃したら、米国に核報復される恐れがある。そのリスクがあるのでできない」と思わせるために必要な、心理ゲームの側面をもっている。

日米同盟をぐらつかせ、核の傘の信憑性を疑わせる核兵器禁止条約への関与は、日本国民の安全を損なう作用を持つと言わざるを得ない。

日本に限らず、米国(や欧州では米英仏)の核兵器に依存する、カナダ、ドイツをはじめとする北大西洋条約機構(NATO)諸国の大部分や韓国が核兵器禁止条約に賛同していないのは、そのためだ。

NATO加盟国ではノルウェーだけが、核兵器禁止条約の締約国会議にオブザーバー参加する方針だ。NATOは集団的自衛権に基づく同盟で、ノルウェーは加盟国に囲まれており、現時点では単独で核攻撃される恐れは小さい。そのため、とっぴな行動ができるのだろう。そうであっても、NATOのストルデンベルグ事務総長は苦言を呈している。

10月22日の共同電によれば、ストルデンベルグ事務総長は核兵器禁止条約に反対し、「加盟国は核問題に取り組む際に(NATOの立場を)考慮すべきだ」と語った。

さらに「核軍縮への道筋として核兵器禁止条約を信じていない」「NATOの目標は核兵器のない世界だが、核兵器が存在する限り核抑止力を維持する」「ロシアや中国、北朝鮮のような国が核兵器を持ち、われわれが持たない世界がより安全な世界とは考えていない」と語った。いずれも、加盟国の国民の安全に責任を持つ事務総長として当然の発言だろう。

今回の衆院選で、岸田首相が、日本国民を核の惨禍から守る手立てを維持しつつ、核軍縮に取り組みたい考えであることが明確になった。主要政党のうち自民党だけが、広島、長崎の惨禍を繰り返さない現実的政策をとっていることが改めて明らかになった。

それはよいとしても、その理由を岸田首相も自民党も、もっとはっきり国民に説明したほうがいい。野党などの核兵器禁止条約の議論にとらわれていては、核戦力の大増強を進めている中国や北朝鮮などから国民を守る実効性ある方策を追求することも、現実的な核軍縮を進めることも難しくなるからだ。日本は民主主義国なのだから、国民に理解を深めてもらうことが必要だ。それに取り組む勇気を発揮してほしい。

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榊原 智(産経新聞論説副委員長)

◇◇榊原智氏の掲載済コラム◇◇
◆「『人種平等』へ動いた日本の歴史につらなった首相の訪米」【2021.6.15掲載】
◆「中国政府によるウイグル人女性への性暴力問題を取り上げよ」【2021.2.16掲載】
◆「日米豪印(クアッド)は台湾と協力を」【2020年11月10日掲載】

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2021.11.02