自由な立場で意見表明を
先見創意の会

医療安全管理の透明人間

岡部紳一 [アニコム損保 監査役・博士(工学)]

幼いころに見た映画の透明人間は巻いた人が包帯をほどいておくと、姿が見えなくなってしまう。日本の昔話は、天狗が持っている隠れ蓑を被ると姿を消せる。現在では、英国企業が数万円で、姿を消失させる透明ボードを販売しているそうだ。人の集団である企業の中では、人はその立場や役割から時として姿を消してしまい、透明人間となるようだ。

医療業界に勤務した経験のない部外者ながら、数か月前から医療機関のリスクマネジメントに関する或るプロジェクトに首を突っ込むことになった。医療機関の医療事故を防止のための体制や取組みについて、一般企業の導入しているリスクマネジメントと比較しながら学習していると、やや気になることに気づいた。

そもそも、厚労省はH13年を医療安全推進年として、医療安全に関する諸政策を本格的に推進している。この翌年に医療安全対策検討会議がまとめた「医療安全推進総合対策」(報告書/以下報告書と略す)が公表された。その提言に沿って、H18年に医療法が改正され、医療機関が実施すべき医療安全管理対策が法的な義務とされた。それを医療安全対策の4本柱と呼ぶとすれば、「①安全指針・マニュアルを作成、②安全委員会と安全管理者の配置、③研修の実施、④インシデント・アクシデント報告による情報共有等で事故防止」である。

医療法(6条の2)は、「病院等の管理者」が医療安全確保の措置を講じなければならないと明記し、上記の報告書は、「管理者の強い指導力の下、適正な組織管理と体制整備を行い、組織を挙げて安全対策に取り組んでいくことが必要」と書いている。医療機関のトップの強いリーダーショップの下で、組織を挙げて取り組むべきことが要求されている。

さらに、高度な医療を提供する特定機能病院や地域の中核となる地域医療支援病院には、医療安全管理のガバナンスの強化の観点から、さらにレベルの高い対策が要求されている。政府の医療安全管理の施策は、特定機能病院や地域の中核病院をターゲットにしているようにも思われる。私たちが最初に診察してもらう一般病院や診療所の医療安全対策はどうなっているのであろうか。中小の一般病院を念頭に置いて考えてみたい。

医療機関は、ひとりひとりの患者に対して、医師と看護師などチームが診察・治療を行う。患者相互にはほとんど関連がないので、医療事故防止の対策も、それぞれの医師と看護師チームが個別に対応する。この点は、企業で年間目標を立てて、その達成のために全社員を団結して取り組んでいくのとは少々異なる。医療従事者のチームワークを良くして、活動の効果を高めるために、活動のベースとなる医療安全文化を醸成することにも注力している。組織としての全体的な医療安全活動は、安全委員会及び安全責任者が司令塔となり、医療事故やヒヤリハット事例の院内報告制度を通じて、医療事故のリスクの洗い出し、事故防止や再発防止を検討して進めている。

医療安全管理の取り組みをして何をすればいいのかを理解するには、H18年2月の日本医師会の医療安全対策委員会の答申「安心・安全な医療提供を実践するための方策について」を読むと、よく整理されて記述され部外者にも分かりやすい。「病院における医療従事者の自律的な取り組み」として、『医療に携わるに人がそれぞれの立場で患者の安全を最重要課題と認識して業務を行う必要がある。」との記述に続いて『あるべき医療安全体制構築のためのポイント10項目』があげられている。

この10項目のポイントの最初の数ポイントからキーワードを取り出して、繋げてみると次のような文章になる、、

“全ての病院職員が参加する医療安全活動”を行い、“執行部の強力な支援体制”の下で、“継続的な活動”を行い発展させ、“医師が積極的参加”し、“医療安全教育を重視する体制”を築き、“強い指導力を持ったゼネラルリスクマネジャーによる医療安全推進体制”、、

ここに述べられている活動は、医療従事者の自律的な取組みとして、全員参加の安全活動を実施して、病院の執行部が強力な支援体制で支えると解釈できる。病院としての最重要課題を、現場の医師看護師などの現場スタッフの自主的取組みで実施するとは、どういうことなのか?事業会社では、企業の年度の事業目標を達成するために、社員が自律的に取組みというのは、聞いたことがない。社長が先頭で旗を振って、行くべき道を示し、社員が一体となって進んでいくのである。強い指導力を持ったゼネラルリスクマネージャーも挙げられているが、中小の一般病院でこのようなポストが配置されているのだろうか。

医療法では「病院等の管理者」が医療安全管理の確保の措置を講ずる、また上記の報告書は「管理者の強い指導力の下、適正な組織管理と体制整備を行い、組織を挙げて安全対策に取り組んでいくことが必要」と明記し、トップのリーダーシップをはっきり要求しているが、トップが医療安全管理の体制を構築すれば、あとは『自律的な医療従事者の取組み』に任せ、トップ/執行部の強力な支援体制をとればいいということであろうか?リスクマネジメントの視点から、やや違和感を感じる。医療法などで要求しているはずのトップの姿が見えない、透明人間となってようだ。

企業にかぎらず医療機関でも、組織としてある取組み(例えば、欠陥製品対策、医療安全管理や事業継続計画(BCP)などを実践する場合に、国際的に認められた有効な手法として、ISOマネジメントシステム規格がある。取組みのテーマは異なっても、組織としての取組みを進める枠組みには共通要素がある。組織としてそれぞの分野で取組みを実施するときは、まず計画を立て(P)、実施し(D)、点検評価し(C)、改善する(A)、いわゆるPDCAのサイクルを回して進める継続的な改善であるが、このサイクルを強力に回していく駆動力がトップのリーダーシップとコミットメントである。

また、トップのリーダーシップとは、実証(demonstrate)しなければならないと規定する。実証と和訳されているが、組織のメンバーに目に見える形で指導力を示すことである。姿を見せないでは、リーダーシップは発揮できない。医療安全管理の活動では、病院のトップが全職員に姿を見せて、自ら声明や発言し、積極的に医療安全活動に関与していることを行動で示すことである。隠れ蓑をかぶっていてはいけない。

トップのリーダーシップのもう一つ重要なことは、定期的なマネジメントレビューである。PDCAのC/点検評価のステップで、トップが医療安全管理の活動報告を直接聞き(マネジメント・インプット)、それに対して、トップが必要な指示を出す(マネジメント・アウトプット)ことである。このトップによるレビューを行うことで、PDCAのサイクルを強く回すことができる。

医療安全管理は、上記の報告書ではリスクマネジメントと同義であるとの記述もあるが、私も医療安全管理は、病院・診療所による医療事故リスクに対するリスクマネジメントと理解している。「JISQ31000:2019 リスクマネジメント-指針」に、上記のPDCAとトップのリーダーシップを示す図があるので掲げる。

リスクマネジメント(または医療安全管理・以下同様)活動が組織の本来の目的や業務活動に統合されていることが重要で、本来の医療活動とは別の余計な取組みではないことを示している。そのうえで、リスクマネジメントの活動のPDCAをリーダーの強いコミットメントを示して推進することを表している。

リスクマネジメントを導入して、期待通りに進まない、結果が出ない場合に、トップの関心の薄さとリーダーシップの欠如及び現場職員の必要性の認識の低さと、組織の一体感の無さがよく見られる問題点である。また、そのような問題を抱えた組織の環境の問題点として、組織内の情報共有が不十分、自由に意見が言える風通しの良い雰囲気でない、現場に十分な権限が付与されていないなどの組織環境も問題点として指摘されており、医療安全文化を醸成する問題点とも共通すると思われる。

医療安全管理が期待通りに動かない、結果が出ないときこそ、トップが強いリーダーシップを発揮し、組織に明確な指示を与えて、改善すべきであり、現場の自律的な医療従事者に任せたままでは、病院トップ=管理者としての役割・責任を果たしているとはいいがたいのではないだろうか。

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岡部 紳一[アニコム損保 監査役・博士(工学)]

◇◇岡部紳一氏の掲載済コラム◇◇
◆「うそつき脳と企業リスクマネジメント」【2022.12.27掲載】
◆「傍目に見ると、病院リスクマネジメント」【2022.10.6掲載】
◆「病院が停電したら?」【2022.5.6掲載】
◆「かぼちゃと慰謝の相場」【2021.11.4掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧ください。

2023.06.08