弁護士とは何者か――よく聞かれる質問に答える
平沼直人 (弁護士・医学博士)
弁護士法
いきなり堅苦しい話で恐縮だが、「弁護士法」なる法律がある。その第1条は、「弁護士の使命」と銘打って、第1項に、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」と定めている。すなわち、弁護士の使命は、基本的人権の擁護と社会正義の実現にある。
第2項は、「弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。」と定める。弁護士は、誠実に職務を行い、社会秩序の維持と法律制度の改善に努力しなければならないのである。「法律制度の改善」ということは、弁護士の使命として忘れられがちだが、私自身は、わが国に“善きサマリア人法”が必要だと考え、その立法化に向けて微力ながら努力しているところである。
第2条は、「弁護士の職責の根本基準」と題して、「弁護士は、常に、深い教養の保持と高い品性の陶やヽに努め、法令及び法律事務に精通しなければならない。」と定める。
そして、第3条は、「弁護士の職務」として、「弁護士は、当事者その他関係人の依頼又は官公署の委嘱によつて、訴訟事件、非訟事件及び審査請求、再調査の請求、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件に関する行為その他一般の法律事務を行うことを職務とする。2弁護士は、当然、弁理士及び税理士の事務を行うことができる。」と定める。まったくの余談だが、条文の朗読の仕方として、第2項が続く場合には、1と書いていなくても“第1項”と声に出して読むとプロっぽくなる。
第1項の「法律事務」は弁護士として当然の職責であるが、第2項の「弁護士は、当然、弁理士及び税理士の事務を行うことができる」という一見横柄な規定ぶりに、読者は驚かれるかもしれない。弁護士は万能資格だと呼ばれる所以である。
弁護士バッジ
裁判所に出向くときには、背広の左襟に弁護士バッジを着けて行く。
弁護士バッジの真ん中に秤が描かれていることは分かりやすいのだが、バッジ全体は、ひまわりを象(かたど)ったものである。ひまわりは、自由と正義を象徴し、秤は、商(あきない)を象徴する場合もあるが、この場合は、公平と平等を表している。
弁護士バッジの裏側には、1個1個つまり弁護士ひとりひとりの登録番号が刻まれている。明治時代から連綿と続いた数字で、ちなみに私の登録番号は24604。このバッジは、死後には返還する決まりになっている。色は金、銀、銅とオリンピックのメダルと一緒のように見える。私のバッジは、残念ながら銅のようだ。しかし、金が一流弁護士、銀が二流弁護士、銅が三流弁護士というわけではない。もともとは皆金色でピカピカに光っている。それが徐々にメッキが剥がれて、銀色になり、最終的には銅というか、黒ずんでくるというわけだ。ゴルフのベット(賭け)にオリンピックというのがあるのをゴルファーならご存知の方も多いと思うが、グリーン上、パットを1回で沈めたら、遠い順に金、銀、銅と点数が貰え、グリーンの外からチップインした場合には、ダイヤモンドといって一番点数が高くなる。とすると弁護士バッジの場合、もしダイヤモンドの弁護士バッジを付けている弁護士がいたら、それは司法試験を受けずに弁護士になった人ということになるが、そのようなことはもちろんない。
東京三弁護士会
それから、よくいただく質問として、東京弁護士会、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会の違いを聞かれることがある。
結論的には3つの弁護士会に実質的な違いはない。1893年(明治26年)、近代的な弁護士法の制定に伴って、東京弁護士会、略称“東弁”が設立された。各都道府県の弁護士会は1つが原則だ(北海道のみ地裁に合わせて4会)。ところが、1923年(大正12年)、東弁の内部抗争が勃発し、文字どおり流血騒ぎの末、いわゆるブルジョア弁護士が中心となって脱会し、第一東京弁護士会、略称“一弁”を作ってしまう。この分裂状態を解消しようとして設立されたのが第二東京弁護士会、略称“二弁”とされている。しかし、結局、東京三会は統一されることなく、今日に至っている。
弁護士法32条は、「弁護士会は、地方裁判所の管轄区域ごとに設立しなければならない。」と定めているから、違法な状態が続いていると言わざるを得ない。確かに弁護士法の附則には現状肯定的な規定があるが、永遠に分裂状態を是認しているとは思われない。
いずれにせよ、3会が統一できないのは、統一してしまうと3会それぞれにある弁護士会長といったポストが3分の1になってしまうこと、3会を統一してしまうと人数的に大阪弁護士会の4倍以上の規模となり、東京ひとり勝ちでパワーバランスが崩れることが理由であろう。
ところで、二弁については、以前はThe Second Tokyo Bar Associationという英訳を使っていたため、海外では準弁護士のような誤解があったようで、現在ではThe Daini Tokyo Bar Associationという苦渋の不思議な英語名を名乗っている。
テミス像の図像学
法廷もの、弁護士もののドラマというと、正義の女神ないしテミス像を思い浮かべる方も多いのではあるまいか。このテミス像、分析的に観察すると造形によって大きな違いがある。
私のオフィスのそばにある虎ノ門法曹ビルは、主に法律事務所が入居しているが、その表に立つテミス像は、右手に高く秤をもって、公平・中立を全面に押し出している。剣は利き手でない人の多い左手に、下ろした状態で把持されている。これに対して、最高裁判所のテミス像は、右手にかなり長い剣をまるでオリンピックの聖火の如く掲げて、左手の秤は、腰のあたりで吊り下げられている。図像学(iconography)的に講釈すれば、意識的か無意識的か分からないが、やはり裁判所というところは、最後は我ら市民を死刑にして命を奪うことも辞さないという暴力的な側面を顕わにしており、弁護士というのは、暴力ではなくあくまで弁論で権力と対峙するのだという決意が漲(みなぎ)っているように見えるのだが、如何であろうか。
弁護士自治
霞ヶ関の官庁街、裁判所の隣、霞が関一丁目に弁護士会館はある。1995年に竣工した。このビルは弁護士ひとりひとりが金を出し合って建てたものだ。私も1996年に弁護士になってすぐに毎月1万円ずつを弁護士会に納め、8年と4カ月かかって100万円の弁護士会館建設負担金を完済した。
ここで何を言いたいのか。
弁護士には監督官庁がないことをご存知だろうか。弁護士を監督するのは弁護士自身である。これを弁護士自治と申す。ここが他の専門家職業人である医師や建築士と最も異なるところである。
弁護士会の財政は、そのほぼ全てを会員の会費によって賄っている。
弁護士が誰に対しても言いたいことを言えるのは、弁護士自治のお陰なのである。
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平沼直人(弁護士・医学博士)
◇◇平沼直人氏の掲載済コラム◇◇
◆「トリアージーーあなたが見る未来」【2025.8.12掲載】
◆「『高慢と偏見』にみる家族法制と近交弱勢」【2025.4.22掲載】
◆「服」【2025.3.11掲載】
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