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時間ですよ、刑事さん。

岡部紳一 [アニコム損保 監査役・博士(工学)]

『時間ですよ』と聞くと、銭湯の番台で客を迎える森光子を思い出すのは、団塊の世代のシニアだろう。1970年代初めのTBSの人気番組で、若いころの堺正章、悠木千帆(のちの樹木希林)らも登場する。人情と笑い、時に涙のお話だった。当時、私は下宿生活で毎日100円玉を握って銭湯に通った。入浴料は55円、湯上がりに牛乳を1本飲むことができた。今の銭湯代は550円、10倍になっている。

■刑事ドラマの3つのシーン

インターネット配信で海外の人気刑事ドラマが気軽に見られるようになり、ミステリーファンにはたまらない。海外の刑事ドラマを眺めていると、よく登場する3つのシーンがある。まず、刑事が容疑者を逮捕するシーンで、刑事が容疑者に「黙秘権と弁護士を起用する権利など」を伝える。米国でミランダ・ルールと言われる。次に、逮捕から48時間以内に裁判所へ送らなければならない厳しい時間制約に、捜査チームが焦っているシーン。時間内に裁判所の司法審査へ送らなければ、釈放しなければならないのだ。3つめは、取調室で不安そうな被疑者の隣にどっしりと座っている弁護士と取調の刑事との駆け引きシーンだ。これらのシーンは、日本の刑事ドラマではあまり見ないようにおもう。なぜだろうかと?

■ 米国の連邦最高裁が「取調べのルール」を変えた

この3つのシーンは、米国の警察の取調べの大きな歴史的な変化を示している。1960年代までは、警察の取調べは、暴力・睡眠剥奪・長時間の連日尋問による自白強要が常態化していたとの公式報告がある。冤罪事件が続発し,「密室での取調べは危険で透明性がない」と社会的な批判が高まっていた。1950〜70年代にかけて人権侵害が社会問題化し、連邦最高裁が一連の判決を下して警察の取調べに歯止めをかける判例を下し、決定的に制度が変わったのである。

最初のミランダ・ルールは、1963年3月アリゾナ州で起きた18歳女性に対する誘拐、強姦の容疑でミランダが逮捕、起訴された裁判で認められた。ミランダ被告に、黙秘権など権利が告げられないまま、自白が取られた手続きは憲法違反として「権利の告知がない自白は証拠にできない」と、連邦最高裁は逆転無罪の判断を下した。以来、米国の警察官が逮捕時する時に、絶対に欠かせない手順になっている。なお、ミランダ被告は、再審で、自白を除外した証拠により有罪となった。

次の48時間ルールも、連邦最高裁の1991年のマクローリン判決で確立された。それまでは、無令状の逮捕者は3〜5日も拘束されていた。それが違憲とされ、48時間内に警察・検察は裁判所の司法審査を仰がなければならなくなった。

3つめは、1964年に「警察の取調べには弁護士を同席させる権利がある」と連邦最高裁が判断したエスコベド判決である。エスコベドは、義兄の殺害容疑で逮捕起訴され、自白を有力な証拠としてイリノイ州最高裁は有罪判決を下したが、連邦最高裁は「弁護士との接触を拒否し続けて得た自白は違憲と判断し、逆転無罪判決を下した。その後、州は再審を断念し、エスコベドは殺人罪では有罪にはならなかったのである。

■ 英国の「警察不信の極点」からの制度改革

英国も米国と似た状況だったようで、警察の取調べについて法律の規制がなく、警察作成の供述調書が絶対視されていた。弁護士不在・長時間拘束、暴力や威圧、黙秘権の形骸化、記録改ざんも横行し、検証手段が乏しいため、虚偽自白と誤判が多発した。

1970〜80年代の深刻な冤罪事件(ギルフォード・フォー、バーミンガム・シックス、マグワイア・セブン事件など)が多発した。被疑者は、いずれも爆弾テロ事件の犯人として逮捕起訴・有罪とされ、長年服役した後に無実が確定した。IRAメンバーであると誤認逮捕され、自白を強要されたとして無罪となった。これによって、国民の怒りとメディアの批判が高まり、警察不信の極点とまで言われた。これに危機感も持った政府は特別委員会を設置し、1984年PACE法(警察・刑事証拠法)が成立する。取調べの録音・録画義務、弁護士への即時アクセス、拘束時間の厳格な管理などが、導入されたのである。 

■ 日本だけが「制度はほぼそのまま」

戦後日本でも冤罪事件は多い。世界で最も長く収監された死刑囚と言われ、47年間収監されていた袴田事件の袴田巌氏に無罪判決が下されたのは昨年である。有罪の決め手とされた着衣の証拠が捏造された疑いがあるとされた。戦後の混乱期(1948~1954)に、死刑判決が再審無罪となった免田、財田川、島田、松山の4事件がある。いずれも33〜35年間も収監された後の無罪判決である。共通する問題点は、①拷問・脅迫的尋問、②自白偏重で客観証拠と矛盾、③証拠のねつ造・隠蔽、④裁判所の追認姿勢と指摘されている。2000年代以降も再審によって無罪が確定する重大事件が続いている。

2009年厚労省村木局長を起訴した大阪地検特捜部主任検事による証拠改ざん事件がある。特捜部検事が有罪ストーリーに合わるように証拠を改ざんし、上司も組織隠蔽に関与したとして、主任検事は実刑(1年6か月)、上司2人も執行猶予付きの有罪判決となった。検察の信用失墜を受けて、刑事訴訟法が初めて改正された。

本稿を書きながら気づいたことがある。1948年制定の日本刑事訴訟法には、先に述べた3つの権利(逮捕時の権利告知、48時間ルール、弁護士起用の権利)は明記されている。(刑訴法203条1項、205条、30条1項)。1960年代の米連邦最高裁の一連の判例や、英国の1984年のPACE法の制定よりも数十年早い。にもかかわらず、なぜ冤罪が続くのか。

■弁護士を同席させないのは?

日本の取調べ制度は、海外から「中世的」「自白偏重で不透明」と酷評されているのは、ご存じだろうか。国連拷問禁止委員会は密室取調べを「長時間で強圧的」、代用監獄制度を「強要自白の温床」と指摘。アムネスティも「拷問に相当する心理的圧迫」「弁護士不在は現代の人権基準と矛盾」と批判している。

2018年に逮捕起訴された元日産自動車会長カルロス・ゴーン事件も、日本の取調べの在り方が海外で大きく報道された。ゴーン被告は130日間拘留され、取調べに弁護士の同席は認められなかった。刑訴法上、逮捕後の48(+24)時間の留置に加えて、裁判所が認めると、追加20日まで勾留され最長23日まで延長できるが、130日には達しない。そこで頻繁に使われる日本だけの便法がある。「再逮捕」である。再逮捕すれば23日のカウントがリセットされる。ゴーン被告は4回再逮捕され130日の拘留となった。

また、日本の刑訴法は弁護士の起用の権利は認めているが、取調室での弁護士同席について規定していない。警察・検察は弁護士を同席させない方針で、適法とされている。先述の米連邦最高裁の判例では、弁護士同席を認めないだけで憲法違反とされている。英国でも、弁護士同席が認められ、被疑者が同席を要求するシーンもよく登場する。

被疑者の人権を守るために、一番必要と思われる取調室に弁護士の同席が、なぜ、日本では認められないのか。政府見解は、弁護士の同席が捜査の障害となると反論しているが、被疑者の人権侵害の恐れに対する反論になっていないと思う。

あなたが、万一身に覚えの無い理由で逮捕され、運悪くも担当刑事が「クロ」であると確信してしまったら、あなたの自白を引き出そうと長期間の取調べになるかもしれません。弁護士の同席なしで、一人で耐える自信はありますか?

■「お上としての警察」と沈黙する社会

強圧的な取り調べが常態となっていた米英でも冤罪事件が多発し、米国では、「取調べは無規制で危険」、「警察の正当性の危機」、英国では、「英国司法の崩壊」、「警察不信の極点」と表現されるほど、警察の社会的な信用を失墜してしまった。このような事態から制度改革につながったのである。米英の制度改革は古い話ではない。森光子の「時間ですよ!」が放映されていた頃である。

日本で改革が遅れた理由は、制度だけではなく社会文化にもある。警察を「お上」として敬い、疑うことをためらう感覚が強い。刑事ドラマでは警察官は勧善懲悪のヒーローで、取調べの制度的問題は描かれない。逮捕されたなら、悪いことをやったに違いないと考えてしまう。容疑者といえども人権を保障されるべきで、警察が人権侵害をしないように牽制する必要があるとは考えない。欧米のように「警察を監視する市民社会」が十分に育たなかったのである。この文化的風土が、警察の説明責任や外部チェックを求める声を弱めてきたと思われる。

止まった時計を再び動かすために

冤罪は事故ではない。制度が生んだ“構造的帰結”である。身柄拘束されると、被疑者の時間と空間は警察の支配下に置かれ、取調室は閉ざされたブラックボックスのままである。英米が制度改革に踏み切れたのは、冤罪の痛みを社会が共有し、それを制度に刻み込んだからだ。日本にも、多くの冤罪事件の痛みの記憶がある。その痛みを、制度に変えること――それこそが成熟した民主社会の証である。だからこそ、もう一度呼びかけたい。
「時間ですよ、刑事さん。」
被疑者にも、弁護士にも、市民にも、同じ“時間”が流れる国のために。

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岡部 紳一[アニコム損保 監査役・博士(工学)]

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「あなたは何者、AIさん」【2025.7.8掲載】
「トップもハラハラ落し穴」【2025年3月20日掲載】
「いろいろ健康法がいいわけ」【2024.10.22掲載】

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