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トリアージ——あなたが見る未来

平沼直人 (弁護士・医学博士)

私が見た未来

去る7月5日、「大災難」は起きなかった。たつき諒氏が自分の予知夢を描いた『私が見た未来 完全版』(飛鳥新社、2021年)は、ハズレたわけである(※)。同氏は『私が見た未来』(朝日ソノラマ、1999年)の表紙で、2011年3月の東日本大震災を予言していたと言われていた。

実は、私も2010年10月に執筆した「株主総会における大地震・新型インフルエンザ等の異常事態に関する法律実務」(日本大学法科大学院法務研究7号65-77頁)という論文が、2011年3月に発行されて(株主総会における大地震・新型インフルエンザ等の異常事態に関する法律実務 | CiNii Research)、東日本大震災をあたかも予言したような形になってしまい、2019年末からは新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の世界的な大流行も身をもって経験した。私自身、予言者を気取るつもりなど露ほどもない。だいいち私が想定していたのは首都直下型地震と富士山の大噴火であるし、新型インフルエンザの流行による社会機能の喪失である。ただ、私が訴えたかったのは、そうした大災難が目の前に迫っているのに、我々は何の備えも出来ていないじゃないかという焦りだった。くだんの拙稿では、外国からの核攻撃や多発テロについては敢えて論じないと注記した。それは天災と違って人の力で防げるはずで、防がなければならないことだからである。

(※)作者あとがきを読んでみると、7月5日に限定しているような、表紙の帯からは、日にちまでは限定せず単に7月と言っているような感じである。

トリアージの法的整備

そういう意味で、大災難の備えとしてトリアージの法的整備が進んでいないことは、まったくもって残念だ。

そもそもトリアージとは、トリオとかトライアングルと同じく“3”と関連する言葉で、19世紀の戦場で負傷した兵士を3種類に分類し、治療の優先順位を決めたことに由来する。

災害や事件が発生した際、トリアージは自然に実施されてきたように見える。法律上の根拠規定はないものの、2005年4月のJR福知山線脱線事故が我が国において系統的なトリアージが行われた初めとされている。2008年6月の秋葉原無差別殺傷事件では、会話ができる負傷者を死者と誤って一種のアンダートリアージをしたと批判もされた。しかし、トリアージが必要なものであることはあまりにも明らかであり、そうした現場を知る救急関係者は自分たちの活動が被災者・被害者を含め一般市民から理解され支持されているものと思っていた。

ところが、石巻赤十字病院事件は、その信念を揺るがせ行動を委縮させるに十分であった。

2011年3月11日の東日本大震災に遭って救助された当時95歳の女性が、石巻赤十字病院に搬送され、軽処置群である緑タグに分類された。女性は、その3日後に死亡した。遺族は、トリアージに問題があり、その責任は病院にあるとして、7年後の2018年、日赤に対し3000万円を超える損害賠償を求め、仙台地方裁判所に訴訟を提起したのである。

結局、裁判は金銭的な支払いのない、いわゆるゼロ和解で終局したが、この裁判によって明確になったことがある。

つまり、トリアージに法律的に明確な根拠規定を与えるべきこと、トリアージに対し安易な責任追及を許さないことである(現行法制下において上記訴訟の原告遺族を何ら非難するものではない)。

もし、そうしなければ、次に大災難が起きた時に、救急関係者は躊躇なく迅速にトリアージを行えるだろうか。トリアージしないで軽症者も重症者もなく片っ端から救急車に詰め込んで近くの病院から順に搬送するなんてことが正義であり、我々が望んでいることだろうか。

大災難に備えて出来ることは、今すぐにやるべきだ。

トリアージの法制化は喫緊の課題、いや課題という言葉が虚しく思える。“いつやるか、今でしょ”と真顔で叫ぶ。

【参考文献】詳しくは、平沼直人「トリアージの法的問題」賠償科学53号(2025年6月)51-57頁 に掲載しております。

◇◇平沼直人氏の掲載済コラム◇◇
「『高慢と偏見』にみる家族法制と近交弱勢」【2025.4.22掲載】
「服」【2025.3.11掲載】
「カルテの法的基礎」【2025.02.13掲載】
「『構造と力』と医と法とわたし」【2024.10.10掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧下さい。

2025.08.12