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先見創意の会

『高慢と偏見』にみる家族法制と近交弱勢

平沼直人 (弁護士・医学博士)

ユー・ガット・メール

メグ・ライアン演じる本好きの女性キャスリーンがメル友(死語?)のトム・ハンクスに打ち明ける。
「白状するけど私、『高慢と偏見』を200回は読んでるの。エリザベスとダーシーが最後に結ばれるかどうか、ドキドキしちゃう。」
1998年公開のアメリカ映画『ユー・ガット・メール』(You’ve Got Mail)は、日本では翌1999年に公開されてヒットした。あの頃、メールが着信すると、” You’ve Got Mail”って知らせてくれてたんだよなあ。
そして、メグ。あの頃、皆んなメグに恋してた。

Pride and Prejudice

ジェイン・オースティン(1775-1817)の代表作『高慢と偏見』(Pride and Prejudice)は、今から200年以上も前に書かれた小説なのに、古びることなく、キャスリーンが200回も読んでしまうほど、瑞々(みずみず)しさを湛(たた)えている。サマセット・モームは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』やスタンダールの『赤と黒』などと並んで、世界十大小説の1つに数えている。

19世紀初頭のイギリス(イングランド)を舞台に、裕福な資産家階級の人々が繰り広げる結婚をめぐる家庭小説、ないしはエリザベスとダーシーを中心とする何組かのカップルの恋愛小説であるから、“高慢と偏見”という硬い響きから受ける印象とはまったく異なる。私としては、“思い上がりと思い込み”という邦題を提案したい。原題の頭韻を踏襲しているし、閨秀(けいしゅう)作家の柔らかさも表現できているように思うのだが。

この物語では、手紙がプロットを回す重要な小道具となっているわけだが、ユー・ガット・メールでは、いうまでもなく、それが電子メールに取って代わられている。因みに、1990年に放送された中山美穂主演の月9ドラマ“すてきな片想い”では、それは固定電話(いわゆる家電)だった。辻村深月の『傲慢と善良』(朝日新聞出版、2019年)では、それが婚活アプリだったのかは微妙であるが、結婚相談所の女性が、『高慢と偏見』について、「当時は恋愛するのにも身分が大きく関係していました。身分の高い男性がプライドを捨てられなかったり、けれど、女性の側にも相手への偏見があったり、それぞれの中にある高慢と偏見のせいで、恋愛や結婚がなかなかうまくいかない。英語だと、高慢は、つまりプライドということになりますね」(文庫版134頁)と語るシーンがある。

限嗣相続

『高慢と偏見』では、エリザベスの妹リディアがウィッカムという男と駆け落ちしてしまう。リディアの手紙には、グレトナ・グリーンに行くと書き残されていた(大島一彦訳の中公文庫版(2017年)492頁)。「当時スコットランドでは、21歳未満の者でも、男が14歳、女が12歳以上であれば親の同意なしに結婚出来た。イングランドからは国境の村グレトナ・グリーンに駆込む者が多かった」(同475頁の訳註)ため、これをグレトナ・グリーン婚(Gretna Green marriage)と呼び、流行したそうである(坂田薫子「6つの質問から読み解く『高慢と偏見』」日本女子大学紀要.文学部72号12頁)。
こうした家族法制が引き起こした風俗も興味深いが、ここで取り上げたいのは“限嗣相続(げんしそうぞく)”である。

「一族の土地財産を減らさずに代代伝えて行くための法的な取決めで、ベネット家には次の代に男子がいないので、土地財産は一番近い男の親族であるミスター・コリンズに譲渡されることになっている。但し土地財産の継承に限嗣相続制を採用するかどうかはその一族の初代の意嚮(いこう)次第で、すべての一族に当嵌(あてはま)る訳ではない」(上記文庫121頁訳註)。
このコリンズという限嗣相続人は、エリザベスの父親ベネット氏の”cousin”なのかエリザベスの”cousin”なのか、どうもどちらのいとこでもないようだが、ベネット氏の最も近い男の親族ということになる。コリンズは風貌も知性も人間性もエリザベスには相応しくないのだが、彼女に求婚する。エリザベスにまったくその気はないが、エリザベスの母親はコリンズがよその娘と結婚したのでは自分たちの財産をすべて失ってしまうため、ふたりの結婚に大乗り気なのである。
限嗣相続のような家族制度が広い意味での近親婚を助長した。

インセスト・タブー

さて、『高慢と偏見』は、エリザベスとダーシーのすれ違いに読者は振り回されるのであるが、これぞ恋愛ものの定番である。
そのダーシーには、許嫁(いいなずけ)がおり、母親同士が姉妹の関係にあるので、いとこということになる。文化人類学的には、異性のきょうだいの子を交差いとこ、同性のきょうだいの子を平行いとこと呼ぶが、もしダーシーが許嫁と結婚すれば平行いとこ婚となる。
その令嬢は、ひどく痩せて小柄であり、顔色が悪く、病弱な感じの娘であった(文庫282頁)。家柄を守るため俗に血が濃くなることで、こうした体の弱い人が出るのだと年寄りに聞かされた。

「よく知られているように、家畜、実験用のげっ歯類、動物園の野生動物、およびヒトでは、近交弱勢が見られる」(青木健一「『間違い』ではなく『適応』としての近親交配」川田順造編著『〈新版〉近親性交とそのタブー――文化人類学と自然人類学のあらたな地平』(藤原書店、2018年)37頁)。近交弱勢(きんこうじゃくせい、inbreeding depression)とは、遺伝子が近いもの同士が交配(近親交配)することで潜在していた有害な表現形質が現れ、集団中に適応度の低い個体が増えることをいう。
「英国では、国内のパキスタン系乳幼児の死亡率が高く、その原因が先天性の遺伝子異常によるものであると言われていた。そこで、英ブラッドフォード衛生研究所のイーモン・シェリダンらはその原因を特定するためにアンケート調査を実施した(Sheridan et al 2013)。その結果、11,396人のパキスタン系乳幼児のうち、386人(約3%)が先天性の遺伝子異常を有していることがわかった。この386人についてさらに調査を進めると、親がいとこ同士などの近親婚であった場合には、そうでない場合の2.19倍の先天性異常のリスクを抱えていることが明らかとなった。」(磯部颯吾・関良德「近親婚の正当化から婚姻の多様性について考える」信州大学教育学部研究論集18号102頁)

文化人類学の代名詞とも呼ぶべきレヴィ=ストロースは、構造主義の思考の下、「インセスト禁忌は母、姉妹、娘との結婚を禁ずる規則であるより、母、姉妹、娘を他者に与えることを義務づける規則、典型的な贈与規則である」(クロード・レヴィ=ストロース(福井和美訳)『親族の基本構造』(青弓社、2000年)775頁)とある種マルクス的に女性の“交換”という観点からインセスト・タブーを説明した。フロイトはエディプス・コンプレックスからインセスト・タブーを導き出すが、より晦渋(かいじゅう)である。

エリザベスとダーシーのように

民法第734条は、「近親者間の婚姻の禁止」との見出しの下、その第1項本文で、「直系血族又は3親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない」ものと定める。その趣旨は、「優生学的な配慮と倫理観念に基づくものであると解されている」(二宮周平編『新注釈民法⒄親族⑴』(有斐閣、平成29年)118頁〔高橋朋子〕)。「いとこ同士は4親等なので禁止の範囲外である。」(同120頁)
わたしたちの憲法は、第24条第1項で、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するものと高らかに宣言する。
結婚はふたりが決めること、そのことが大切なのである。

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平沼直人(弁護士・医学博士)

◇◇平沼直人氏の掲載済コラム◇◇
「服」【2025.3.11掲載】
「カルテの法的基礎」【2025.02.13掲載】
「『構造と力』と医と法とわたし」【2024.10.10掲載】
「センター調査報告書」【2024.6.13掲載】

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2025.04.22