ハメルンの笛吹き男、魔笛、迦陵頻伽
平沼直人 (弁護士、医学博士)
仕返し
“ハメルンの笛吹き男”というドイツの民話。
昔、ハメルンというドイツのあるまちにある日突然、たくさんの鼠がやってきて、暴れまわって人を困らせた。そんなある日、ひとりの男がやって来た。男は市長と鼠1匹につき銀貨1枚で鼠を追い払う約束をする。その夜、男は不思議な笛を吹いて、鼠たちをおびき出し1匹残らず川で溺れ死にさせた。ところが、市長は金を払うのが惜しくなって、退治した証拠の鼠を見せろと馬鹿な要求をする。とんだ頓智だ。男はもう1度、笛を吹いた。すると今度はまちじゅうの子どもたちが家の外に出て来て、皆、男について行った。男と子どもたちは山の中に消えてしまって、二度と姿をあらわさなかった。(参考 絵・伊藤悌夫『ハメルンのふえふき』チャイルド本社・2005年)
阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男――伝説とその世界』(ちくま文庫、1988年)は、名著の呼び声高い。
同書によれば、驚くことに、1284年6月26日、ハーメルン(Hameln、ハメルン)でおよそ130人の子どもらが失踪し行方不明となったことは、紛れもない史実であるという。
著者は、中世における芸人、下層民に対する差別という視点から、歴史を紐解いてゆく。特筆すべき社会学的な考察が語られているが、私はもっと単純に笛吹き男の気持ちになって考えてしまう。
名作“シェルブールの雨傘”のジャック・ドゥミ監督が素朴な映像詩のような、どこかドキュメンタリーのような『ハメルンの笛吹き』(1972年)という映画を撮った。
この映画では、市長は5万ギルダーでもいくらでも支払うとまで言って、男は控えめに1000ギルダーでいいと約束したのに、鼠がいなくなると、市長は、「たった一晩の仕事なんだから、50ギルダーで十分だ」と言ってのけたり、「1000ギルダーもあれば貧しい人や病気の人に使うべきだ」といった尤(もっと)もらしい正論を吐いたりして、あっさり男との約束を反故(ほご)にしてしまう。男は“約束”という言葉を何度も繰り返した。
弁護士も、意外に思われるかもしれないが、依頼者から報酬を取り損ねることが少なくない。その無念さたるや!
日本医師会は、1961年(昭和36年)2月19日、全国一斉休診というストライキを敢行した。1971年(昭和46年)7月には1か月にわたる保険医総辞退。弁護士からすると、医師は恐るべき笛を持っているように見える。
善と悪
モーツァルトのオペラ“魔笛”は、人気の演目なのか、よく上演されている。
それにしても、魔笛というタイトルにしては、タミーノが夜の女王から授けられた笛はほとんど活躍しないのである。そもそもドイツ語のZauberflöteは、“魔法をかける笛”のはずなのに、フランス語ではFlûte enchantéeと誤訳されて“魔法をかけられた笛”となっている始末である(ジャック・シャイエ、高橋英郎・藤井康生訳『魔笛――秘教オペラ《新装復刊》』白水社(2011年)143頁)。
車のCMで人気の高まった夜の女王のアリアは、コロラトゥーラの超絶技巧にワクワクする。魔笛には、音楽的な見どころ聴きどころは数々あるが、作品には、モーツァルトが入会していた秘密結社フリーメーソンの思想が濃厚で、パミーナを救出に行ったタミーノがしたことと言えば沈黙の行(ぎょう)だったりして盛り上がらない。フリーメーソンが好む“3”という数が、音楽的にも(例えば、調合が♭3つの変ホ長調を用い、それは三位一体の象徴であったり、あるいはホルンが3回鳴らされたり)、演出的にも(例えば、3人の侍女、3人の童子、あるいは神殿の紋章の三角形)、潜んでいる。
このオペラの批判として最もよく耳にするのが、パミーナをさらったザラストロが劇中で悪役からいつの間にやら善玉に変身している点であろう。これに限らず、支離滅裂な印象を受ける筋書きだ。民衆劇であるジングシュピールゆえ、座長のシカネーダが台本をご都合主義的に手直しした結果だともいわれる。
しかし、ザラストロの性格付けについて、私は敢えて、善と悪は、そうやすやすと区別がつくものではないという民衆の知恵をそこに感じ取りたい。
運命
執務室の飾り棚に、迦陵頻伽(かりょうびんが)のフィギュアを置いている。
迦陵頻伽は、上半身が人、下半身が鳥の仏教における想像上の生き物である。軽やかに宙を舞う。その声は美しく、笛を吹く可愛らしい姿で描かれることが多い。
私の子どもがまだ小さい頃、どこかの祭りで子どもばかりで山車(だし)を引いた。先導する小型トラックには、お囃子の大人や子どもが乗り込んでいて、こちらを向いて演奏している。その中にまっすぐ前を向いて一心に横笛を吹くひとりの少女がいた。美しい顔に稀な先天的形成異常を認めた。しかし、気持ちが乱れたのは私だけで、少女は自らの運命を見定めたように凛とした面差しで祭囃子を奏で続けた。
腰を上げて、飾り棚の前に立つ。
空也上人立像のレプリカが目に入る。南無阿弥陀仏の念仏を唱えて、それが6体の阿弥陀仏となって上人の口から吹き出ている。草鞋(わらじ)履きで歩きながら、唄を口ずさんでいるようにも見える。
空也上人像を手に取る。そっと、空也上人と迦陵頻伽を寄り添わせてみる。
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平沼直人(弁護士・医学博士)
◇◇平沼直人氏の掲載済コラム◇◇
◆「弁護士とは何者か――よく聞かれる質問に答える」【2026.1.13掲載】
◆「トリアージーーあなたが見る未来」【2025.8.12掲載】
◆「『高慢と偏見』にみる家族法制と近交弱勢」【2025.4.22掲載】
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