一身二生――定年後の生き方を考える
清宮美稚子 (編集者・『世界』元編集長)
ニュース番組に革命を起こした久米宏さんが亡くなった。
しかし本稿は、久米さんの話ではない。「ニュースステーション」で2000年1月から04年3月末までコメンテーターを務め、久米さんがビールを飲み干したあの語り草の最終回でも、その横で出演していた元朝日新聞記者清水建宇さん(78)が主人公だ。
清水さんは、朝日新聞を定年になったのち、バルセロナに移住し豆腐屋を開いた。その10年間の密度濃い日々を中心にまとめたのが、『バルセロナで豆腐屋になった――定年後の「一身二生」奮闘記』(岩波新書)だ。
新聞記者から豆腐屋に
なぜ、「バルセロナ」で「豆腐屋」なのか。
清水さんは、40歳になる少し前、取材で訪れたバルセロナの街に強く惹きつけられ、退職したらこの地に住んでみたいという思いが漠然と芽生えた。勤続20年の休暇を利用して夫婦でスペイン旅行し、「この街なら住んでもいいわ」と「カミサン」の理解も得た。しかし、一つ問題があった。満足のいく豆腐がこの地では手に入らない。何年も暮らすことになるのに、大好きな豆腐なしなんて考えられない。そこで出た結論は一つだった。
準備万端整えての転身というほど周到な下準備ではなかったかもしれない。しかし50歳の時には預金を全てスペインの銀行に預け直し、夢の第一歩を踏み出した。それには、45歳の時に仕事で伊能忠敬の生き方を知り、触発されたことがある。
1745年、現在の千葉県に生まれた伊能忠敬は、幼少期に苦労したが、家業で実績を上げ大変な財産家となり、49歳で隠居した。そして江戸に移り勉学に打ち込んだのち、全国を歩き、日本地図を作るという偉業を成し遂げた。16年間で通算10回の測量を行い、歩いた距離は地球一周分にも当たる。平均寿命が40代半ばと見られる当時において、73歳の天寿を全うした。忠敬の生き方を描いた井上ひさしさんの小説に出てくる言葉、「一身にして二生を経る」(もとは福沢諭吉がやや否定的なニュアンスで用いた言葉を、井上さんがポジティブに捉え直したもの)が清水さんの頭に鋭く突き刺さった。
そして迎えた定年。2007年秋のことだ。清水さんはまず、近所の豆腐屋に頼んで豆腐づくりの見学と修業を積む。仕事は朝5時には始まる。しかも、全身を使う肉体労働だ。その様子も本に詳述されているが、豆腐づくりは技術的に難しく、ベテランでも失敗することがあるそうだ。特に油揚げは熟練が必要。数カ月続いた修業が、夢実現への最初のハードルだった。
次のハードルは、スペインでの労働居住許可と豆腐屋の営業許可を取ること。さらに、バルセロナでの店舗物件探しと改装などの準備、豆腐づくりの機械・道具の調査・調達(高価!)とスペインへの移送、等々。日本やスペインでの知人・関係者の援助で2010年4月開業に漕ぎ着けるまで、普通ならどこかで挫けてしまいそうな高いハードルの連続だった。その奮闘ぶりと、開店後の日々、10年を経ての事業の引き継ぎとその後、などについては、ぜひ本を読んでいただければと思う。
豆腐や納豆、弁当などを製造・販売し、バルセロナ在住の日本人だけでなく、健康食ブームも相まって地元のバルセロナっ子にも親しまれた。夏休み以外に完全な休日はほとんどなく、もちろん仕事は朝5時から始まる。最初の一年で体重が17キロ減ったが、その分、肥満気味だった体がすっかり健康を取り戻した。自己資金を全て注ぎ込み、苦労も山ほどしたが、「もうモトはとったな」と思ったそうだ。
そして何より、カタルーニャの地での異文化やさまざまな人々との出会いが何物にも代え難い宝物となった。本には、スペイン各地で飲食店や菓子屋を開いたり農業を始めたりするチャレンジングな日本人との交流、世界各地から清水さんのもとを訪れるユニークなお客さんたちとの語らいも紹介されている。
その一人、〈第10章「どちらから来られました?」「北極から」〉で紹介されている和田泰一さんが最近facebookに投稿し、話題になっている。本の版元の岩波書店が公式X(旧Twitter)でシェアしているので、こちらでも紹介していいだろう。
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「僕には大好きな街があって、それがバルセロナだ。そこに行くと、必ず立ち寄る豆腐屋さんがある。(中略)僕はいつも、その豆腐屋の奥にある小さなテーブルで、店で作られたお弁当を買って食べる。それがたまらなく好きだった。そして何より、清水さんと話をする時間が好きだった。なぜなら彼は、ただの豆腐屋ではなかったからだ。世界を知っている豆腐屋だった。
僕が「コソボに土地を買った」と言えば、すぐにコソボの話で返してくれる。「北極に寿司屋を作った」と言えば、北極の政治情勢の話が返ってくる。(中略)
もう彼は引退されているけれど、彼が出した本の中で、僕のストーリーを紹介してくれている。彼も世界中から来る僕を面白がってくれていたのだ。そしてその本を読んだ方から、フェイスブックで連絡をもらうこともある。人生は不思議なところで、静かにつながっていく」 —— 出典:岩波書店公式Xより
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バルセロナで豆腐屋にならなければあり得なかった貴重な出会い。これも実店舗を持ち対面販売をしたからこそだ、と清水さんは述懐する。
10年を経て、店を若い日本人夫婦に引き継ぎ、バタバタと帰国したのは、二人三脚で頑張ってきた「カミサン」の闘病治療のためだった。本来ならば、豆腐屋卒業後は「カミサン」とヨーロッパ各地を旅行してゆったりと過ごしたかっただろう。残念でならない。異国の地での奮闘も、ともに働き、生きることに「蛮勇」を振るってくれた「カミサン」あってのこと、この本からは著者の「カミサン」への感謝と愛情がひしひしと伝わってくる。
なお、久米宏さんも清水さんの生き方に興味をもち、「ニュースステーション」終了後に始めたラジオ番組に、清水さんは求めに応じて3回ほどバルセロナから電話出演したことがあるそうだ。本が出たのは久米さんの闘病中になるが、久米さんは本を読んでくださっただろうか。
ビジネスの世界から落語家に
人生100年時代。清水さんのように人生の二つ目の山に挑戦する人はさらに増えるだろう。帰国後、清水さんはそういう人たちが集えるようにと、「一身二生倶楽部」というサイトを立ち上げている。
筆者の古くからの知り合いでも、まさに「一身二生」を体現している人がいる。自らを「ベンチャー落語家」と呼ぶ参遊亭遊助さん(本名・豆生田信一さん)だ。2025年2月24日付『東洋経済オンライン』で配信されたフリーライター松元順子氏による詳細な記事を読んで、清水さんとの共通点など、改めて感じ入るところがあった。
豆生田さんは、大学卒業後大手銀行に就職し、MBA留学も経験、大手警備会社に転職してそのタイの子会社社長などを歴任した。定年後も関係会社の顧問など、いい条件での再雇用先はいくつもあったはずだ。だが、それをしなかった。
タイに駐在中、部下が所属していた現地の日本人劇団に入団し活動、帰国後も続けたかったが、演劇でなくひとりでできる落語ならと思った豆生田さんは、57歳で三遊亭遊三師匠の落語教室に入会した。そして、落語に専念するため60歳で退路を断つ。ある企業の懇親会で落語を披露して一万円の謝礼をもらったことが直接のきっかけだったという。自分の芸でお客様が楽しんでくれた、そこに生の手応えを感じたのだ。好きな落語の技を磨くために本気で稽古したい――趣味ではなく、落語を生業にしようという決意の裏には、妻の理解と後押しがあったことも、清水さんのケースと似ている。
落語家への転身はもちろん苦労も多かったと推測するが、コロナ禍の時期含め、ポジティブに乗り越えてきた。今では年間120回以上、高座に上がるという。声がかかれば、どんな小規模な会合へも出向く。筆者も、偶然、神奈川県藤沢市のパブリックスペースで、キャリーバッグを引いて本番に向かう遊助さんと遭遇したことがある。語学力を活かした「英語落語」、企業の歴史をオリジナルの創作落語で伝える「落語DE社史」、オペラと落語を融合した「オペラクゴ&ラクゴペラ」など、次々とアイデア豊かな活動も展開している。落語好きのご家庭の自宅や小さな呑み屋でも、一人正座するスペースさえあればOKだ。筆者は遊助さんの「人情噺」を聞いたことがあるが、絶品だった。
チャレンジ精神が切り開いた定年後の新しい人生。会社員時代に比べより積極的になり、体調管理にも努めるようになったという。落語のおかげで出会った人々との繋がり、人の輪の広がりが人生をより豊かにしていることも清水さんと共通していると思う。豆生田さんも、まさに「一身二生」を満喫している。
清水さんと豆生田さんの第二の人生に共通していると思うことがある。最近よく耳にする「AI活用で専門技術不要の“副業”」などとは無縁だということだ。
二人ともまさに体当たり、対面での生業だ。そこからたくさんの人と出会い、多くを学び、喜びも分かち合う。心穏やかな老後の日常は手放さざるを得ないが、二人の「冒険者」のような「一身二生」なら、苦労もまた喜びに変わるというものだ。
【参考文献】
『バルセロナで豆腐屋になった――定年後の「一身二生」奮闘記』(清水建宇、岩波新書、2025年1月刊)
「東大卒エリートが『60歳で落語家に転身』した結果――自ら「ベンチャー落語家」と名乗る納得の理由」(松元順子、東洋経済オンライン、2025年2月24日)
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清宮美稚子(編集者・「世界」元編集長)
◇◇清宮美稚子氏の掲載済コラム◇◇
◆「明子さんのピアノ」【2025.8.26掲載】
◆「『東京大空襲を指揮した男 カーティス・ルメイ』を読むー」【2025.4.29掲載】
◆「PFAS汚染――『今日から水道水を飲まないでください』と言われたら」【2025.1.21掲載】
◆「人口減少という『静かなる有事』」【2024.9.24掲載】
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