タイの司法福祉ー留学で感じたことー
木原育子 (東京新聞特別報道部記者、社会福祉士、精神保健福祉士)
突然だが、「タイの刑務所」というと、皆さんは一体、どんなイメージを持つだろうか。私は当初、これまでメディアが報じてきた影響もあって、なんとなく漠然と、「劣悪」という想像が先行していた。ただ、それはとんでもなく覆されることになる。一体、どういうことなのか。
【人生初の休職で・・・】
冒頭から何を言い出したかと思う人がいるかもしれない。実は現在、先見創意の会に届けている「東京新聞特別報道部記者」という肩書きは、お休み中だ。
20年近く勤めた会社を休職し、タイに留学しているからだ。バンコクにあるチュラロンコン大学に籍を置き、半年間のジャーナリストに関するプログラムに参加している。つまり、学生を謳歌してしまっているということだ。走り続けてきた仕事から少し時間と距離を置いてみるという、どう控えめに見ても、かなり贅沢な時間を過ごさせてもらっている。
授業は全て英語。もちろんレポートやテストに追われたりする日もあるが、教授やタイ学生、留学生らと意見を交わしたり、面白い論文を読み込んだり、極めて新鮮で貴重な日常になっている。勉強がおっくうで仕方がなかった20代の学生時代の頃からは考えられなかった姿だ。
一方で、記者という性分からも、キャンパスだけにおとなしく留まっているということはまずない。ジャーナリストとしてソーシャルワーカーとしてこれまでの歩みを、大学という場で論理化する作業の傍ら、キャンパスを飛び出し、スラム(人口密集コミュニティ)地域で英語を教えるボランティアや、児童養護施設や刑務所など刑事施設を訪問したり、世界のジャーナリストたちと意見交換したりして、「アジアの現在地」に思いを巡らせている。
そんな生活の延長線上に、冒頭の問いかけはあった。
【美容室でのアクシデント】
ザクッ、ザクッ…。私の目の前で、慣れ親しんだ黒い線状のものが、いとも簡単に、そして軽快なハサミさばきで切り落とされていった。
11月下旬、バンコク中心部から高架鉄道で約30分。省庁の一部も立地する行政の中心地にある美容室の鏡の前に、私はいた。横には朗らかに微笑むタイ女性。私はタイ語が、彼女は英語が話せないため、ハサミさばきと違って軽快な会話はない。ただ、時折、目を合わせたりしながら、ふたりの共同作業は進んでいった。私は腰ほどまでに伸びたロングヘアーのカットに訪れていた。だが、異国でそこまでばっさりと髪を切る勇気はなく、毛先を少しそろえるぐらいのカットを、翻訳機や絵を描いて説明した。恐らく伝わったはずだった。
「キャアーッ」。カットも終盤に差しかかった頃、彼女が悲鳴に近い声をあげた。私は絶句というのが本音で、声が出る間もない一瞬の出来事だった。「えっ・・・マジ・・・」。鏡に映る私の表情は、結構な勢いで引きつっていた。
彼女は、髪を切るはさみの種類を間違えたと見られ、私の横髪は20センチほどが、かなり不自然な形で、ザク切りされてしまったのだった。瞬間的には呆然としたが、まあ、仕方がないとも思えた。勇気がなかった私を、きっと彼女が背中を押してくれたのだろうと、割り切ろうとした。
「大丈夫、大丈夫」。気を取り直して、まるで自分に言い聞かせるように、私はその言葉を繰り返し、「片方だけでは変だから、逆側も切って」と提案した。ロングだった髪はみるみる、ショートに近い髪形に変わっていった。
彼女は今にも泣き出しそうな表情で、ずっと何度も謝ってくれたが、最後に私はこう伝えた。「もう謝らないで。あなたの誠実な対応に、私は逆に今、とても救われている気持ち。美容師を続けてくださいね。本当にありがとう」。
【TIJの取り組みから見えてくるモノとは・・・】
美容室は、TIJ(タイ司法研究所)の敷地内の一角にある。
これらは、元受刑者や受刑者たちの社会復帰支援の一環で運営されている。美容室だけでなく、食堂もあれば、タイ古式マッサージも受けられる。施術したり料理を作ってくれたりする人たちはみな、元受刑者たち。「もちろん、私の髪を切ってくれた彼女も服役経験がある元受刑者だ。今回の美容室訪問も、「元受刑者の皆さんの技術向上に役立つのなら」と、私の方から髪のカットをお願いしたのだった。
だからこそ、彼女が過って私の髪を想定以上に切ってしまった際、「もう謝らないで」と声をかけたのだった。服役中、彼女は罪と向き合い、謝罪を繰り返した。彼女がこれからのよりよい人生を歩んでいく上で、お守りになるような言葉を託したかったからだった。
その他にも、TIJの一角には、受刑者たちが作ったマグカップや服、靴、木工作品が並べられているスペースもあった。それは矯正展のような画一的な雰囲気ではなく、美術館のような荘厳な場所で、受刑者らの作品はある種の「芸術」として扱われているように感じた。
もちろん、これらのスペースはTIJの職員や隣接するタイの法務省関係者だけではなく、一般の人の来訪を歓迎している。
実際、食堂には私のような一般の人も多く訪れていた。私もガパオライスを注文。注文を取ってくれたのも元受刑者だった。注文の際にはカウンター越しに座っていたためわからなかったが、立ち上がった瞬間、足を切断していることがわかった。ただ、そこに悲観的な様相はなく、きわめて明るく他の元受刑者とともに店を切り盛りし、協働していた。
そもそも、このTIJとは、出所者への社会復帰支援や犯罪予防施策を専門に扱う研究機関だ。日本で言えば、法務省矯正局のシンクタンクといった位置づけだろうか。国連犯罪防止刑事司法プログラム・ネットワーク研究所(PNI)にも加盟し、世界から先進的な更生プログラムを学び、タイ国内で実施したり世界に向けて発信したりしている。
中でも特筆すべきなのは、国連規則「バンコク・ルールズ」の旗振り役を担っていることだ。世界中の刑務所人口が大幅に増加している中で、最も急速に増加しているのは女性という属性であることはよく知られた話だ。ただ、女性が罪を犯す際、個人に起因した何かというよりは、環境要因によって犯罪せざるを得ない状況に追い込まれた結果というのも世界で共通している。1人で子どもを育てていたり、介護を担っていたり、つまり福祉的な支援を必要とする女性も多い。女性が服役することで、子どもの将来も含めた形で大きな影響を与えることもある。そういった子どもを持つ女性や、妊娠中や授乳中の女性などに「拘禁」をベースとしない特別な処遇を考慮したルールだ。
そんな研究機関の一角にあるスペースは、人権に配慮された、更生していくことができる環境がしっかり敷かれていた。何がいいたいか。
タイでは、元受刑者たちを社会に溶け込ませるという意図的な仕掛けがすでにあり、そして機能していた。タイ社会にも出所者への「偏見」はもちろんあるという。ただ、それをそのままにしておくのではなく、元受刑者たちを前向きに社会へ送り出そうとする心意気が感じ取れたのだった。
それはTIJだけではない。どこの刑務所の近くにもカフェや古式マッサージがあり、元受刑者だったり出所間近だったりする受刑者たちが働いていた。日本にも福祉的要素のカフェはあるが、著しく価格が安かったり、平等性や競争性に欠けたりする一面があるが、タイのこれらのレストランでは一般のカフェと同様の価格帯で、味も勝負しているのがわかるほどおいしかった。結果的に地元の人たちでいつもにぎわい、刑務所の外で働くことをとがめる人などまずいないといった状況だった。
【日本の司法福祉の現在地は・・・】
翻って日本はどうだろうか。今年6月に、従来の懲役刑と禁錮刑を一本化し、懲罰的な一面から、教育的な要素を盛り込んだ拘禁刑が施行された。私はこの拘禁刑が、司法福祉を一歩前に進めるチャンスだと思ってきた。休職前、東京新聞「こちら特報部」でも、受刑者の人権を鑑みる改革になると同時に、いずれ隣人となる受刑者たちの更生を社会全体で支えていく契機にという主旨の記事を何度も伝えてきた。問われているのは社会側だ、ということだった。
ただ、それがすでにタイでは実践されていたことは衝撃だった。日本の刑務所でも受刑者が刑事施設以外の場で作業したり、一般の人と接したりする場がゼロではない。ただ、タイの現状と比べると、それは比較にならないほど乏しく、明らかに出遅れているように思えた。
タイを目指そうということではないが、「ほほ笑みの国」がいみじくも拘禁刑が始まったばかりの日本社会に向けて「罪とどう向き合うのか」という視点を投げかけているように感じられた。
短く軽くなった髪をタイの風になびかせながら、もうしばらく、この国に身を置いて学びを深めたいと思っている。
木原 育子(東京新聞特別報道部記者、社会福祉士、精神保健福祉士)
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◇◇木原育子氏の掲載済コラム◇◇
◆「矯正医療に抜本的な改革を」【2025.7.30掲載】
◆「自己決定」が福祉を変える、施設から地域へ共生のヒントに【2025.4.17掲載】

