崖の上の長水路
滝田 周 [(株)東京法規出版 保健事業企画編集2部 編集長]
キツイな……。ゴールはまだか?
キツイな……。心の中で思わずそう呟いた。ゴールはまだか? そろそろ立ち止まってもいいんじゃないか? いやいや、もうちょい頑張ろう。
8月某日の午後、私は岩手県釜石市の市営プールにいた。全長50mの屋外長水路である。長水路は四半世紀ほど前、東京辰巳国際水泳場で泳いで以来だ。人生初の長水路は、千駄ヶ谷の神宮プールだった。もう30年以上も前の話である。中央・総武線の車窓からも見えたあのプールは、2000年代に入ってすぐの頃に閉鎖され、今はホテルが建っている。辰巳のプールも、いつの間にかアイスアリーナに改装されていた。無常である。
私自身も無常である。還暦を迎え、体力も筋力も、20~30代だった頃に比べ、当たり前だがだいぶ落ちた。この春に結構な大病をして入院したことによるダメージからも、回復し切れていない。長水路がキツイのも、仕方がない。
会える人には会えるうちに会っておこう
退院してしばらく経った頃、中学の同窓会の案内が届いた。同窓会にはこれまで一度も出たことはない。あれこれ思うに任せない日々が続く中で、同級生に会うのは気が進まなかったからだ。逆に、万事如意の人生であったなら、毎回、いそいそと出席していたはず。「忙しくってね」なんて言いながら。小っせえ男だな。
しかし最近、会える人には会えるうちに会っておこうと思うようになった。病気をしたせいかもしれない。突然の発症で驚いたが、「病」だけじゃなく、そもそも「生老病死」は思うに任せぬ不如意なもの。いつ何が起こるかわからない。そんな思いから、人生初の同窓会に出ることにした。お盆の真っ只中、家族も伴わない一人だけの身軽な帰省である。
中学生と思しき少女が一人
身軽ついでに、隣の市にあるこのプールに立ち寄ろうと思った。海面からいきなり聳え立つ崖の上の平坦地にあり、目の前の岬の突端には、全高48.5mの「釜石大観音」が佇む。重畳たる北上(きたかみ)山地から降りてくる嵐気を背に受け太平洋を見下ろす大観音を、長水路から望む。こんな壮大な立地の公営プールなんて、多分、ほかにはない。
9コースもあるだだっ広いプールには、中学生と思しき少女が一人いるだけだった。時々立ち止まり、パドルを付けた手を空中で動かしている。クロールのストロークを確かめているようだ。部活はお盆で休みだが、自主トレに励む水泳部員。勝手にそんな想像をした。
最初の50m、ようやくゴールが見えてきた。ふと気配を感じた次の瞬間、ずっと後ろにいたはずの「水泳部」が真横にいた。易々と私を抜き去った彼女は、ゴールに着くや否やぐるんと回り、力強く壁を蹴って折り返した。さすがに速い。ターンも上手い。片やおっさん(私のことです)は、ヨレヨレとゴールに辿り着き、足をついた。少し休もう。
見上げれば、鱗雲が出ている
「水泳部」が遠ざかると、急に静かになった。聞こえるのは、さざ波がプールの壁面を叩く微かな水音と自分の呼吸音、それに海風が耳をかすめる音だけだ。思いのほか冷たい海風は、肩や首筋から体温を奪っていく。見上げれば、鱗雲が出ている。赤とんぼが一匹、プールサイドに降りてきた。酷暑の夏とはいえ、やはり北東北の秋は早い。
大観音の白い大きな背中が午後の陽を浴び、輝いている。津波や海難事故の犠牲者の鎮魂のため、半世紀ほど前、地元の寺院が建立した大観音は、東日本大震災という未曽有の災厄の一部始終も目にしたはずだ。多くの命が呑み込まれた海に向かい、手を合わせた。何度か往復しているうち長水路にも慣れてきたが、さすがに疲れた。いつの間にか「水泳部」は帰り、その後に入ってきた青年たちは、やたらと五月蠅い。10往復、1,000mを少し超えたあたりで終わりにした。眠気と戦いつつ1時間ほどハンドルを握り、今夜の宿に着く。途中のコンビニで買った缶ビールを1本、早速空けた。とてつもなく旨かった。
ふと気がつくと、何もかもが変わっている。
翌日の同窓会では、忘れていた数々の悪戯やエピソードが掘り起こされ、そのあまりのくだらなさに呆れ、笑った。中学生って本当にバカだ。食パンに蛍光ペンで線を引き、「ケーキ!」と言って呑み込んだことなんて、憶えてない。本当に俺がやったのかよ。
そんなわれわれ1年C組を、新卒で受け持った先生も来てくれた。13歳、思春期の入り口にいた丸刈りとおかっぱ頭の生徒らは60歳のおっさん・おばさんに、23歳、紅顔の青年教師は70歳の老紳士となっていた。先生にとって初任校だった母校は、この春、街の中学校に統合され、消滅した。卒業から44年、同級生90余人のうち3人が物故者となっていた。2年と3年の担任だった数学教師も亡くなった。チョークの粉にまみれたデカい三角定規で生徒を叩く怖い先生だったが、不思議と人気があった。
日々は何事もなく過ぎていくが、ふと気がつくと、何もかもが変わっている。過ぎ去った人、物、時間への愛惜が止みがたく、苦しい。この執着から自由になり、「無常」ということが、すんなりと腹落ちする――。そんな日が、いつか来るのだろうか?
いやいや、もうちょい頑張ろう
同窓会の話に戻る。来し方については笑って話せたが、現在や行く末の話になると、壁を感じる場面もあった。年相応の世知を身に付け、世事にも長けた同級生と話をしていると、いまだ心の置き場が定まらず、世知にも世事にも疎いままここまで来てしまった身としては、気後れしてしまうのだ。昔の話をしようと思っていたところで孫の話をさ
れたときには、あからさまにうろたえてしまった。
前半はゆっくりめで、後半に向け徐々に加速していくのが長水路を泳ぎ切るコツらしい。前半、飛ばした覚えはない。長水路じゃなく人生の話。飛ばしたくても、何を、どうすればいいのか? 皆目わからなかった。かといって「水泳部」のように、自分の「ストローク」を確かめてみる真面目さもなかった。そのまま後半に入ってしまったから、結局何も変わりゃしない。加速するどころか、バテ始めている。
キツイな……。心の中で思わずそう呟いた。ゴールはまだか? そろそろ立ち止まってもいいんじゃないか? いやいや、もうちょい頑張ろう。
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滝田 周 [(株)東京法規出版 保健事業企画編集2部 編集長]
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