自由な立場で意見表明を
先見創意の会
OWL日商プログラミング検定対策講座

「健康寿命」市場の創造と多業界連携:医療と経営が交差する新戦略の潮流

岡野寿彦 (大阪経済法科大学 経営学部 教授)

大学経営学部で日本の主要産業における企業経営を分析する授業を担当しているが、近年、多くの業界に共通して浮上している戦略テーマの一つが「健康寿命」である。「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」の延伸は、国家の最重要課題の一つであり、医療・ヘルスケア業界にとどまらず、スポーツ業界、食品業界、保険業界など多業種が事業参入を進めている。

日本の少子高齢化は、医療費の増加、介護負担の拡大、労働力確保の難しさといった社会的課題をもたらしている。政府は「健康日本21」や「地域包括ケアシステム」などを通じて健康づくりを支援しており、企業もデジタル技術を活用し、こうした政策に呼応する形で新たな成長領域として事業開拓に取り組んでいるのだ。

本稿では、企業事例、デジタル技術の活用および政策との連動という観点から各業界の動向を整理し、課題も含めて考察する。

医療・ヘルスケア業界:予防医療と地域連携の強化

医療機関の皆様がすでに日々取り組まれているように、医療サービスは「治療」中心から、「予防・未病」や「地域包括ケア」へと領域を広げつつある。

ヘルスケア業界では、たとえば、オムロンヘルスケアは家庭用血圧計とアプリ「OMRON connect」を連携させ、生活習慣病予防を医療機関とともに支援している。

スポーツ業界:健康づくりと地域社会との協働

スポーツ庁の「Sport in Life」プロジェクトを背景に、運動習慣の定着と社会参加の促進に向けた取り組みが広がっている。RIZAPグループは自治体と連携し、高齢者向け健康プログラムを展開。任天堂の「リングフィット アドベンチャー」は家庭で楽しく運動を促し、運動習慣のない層にもリーチしている。また、Apple Watchなどのウェアラブル機器は運動データを可視化し、行動変容を後押ししている。

加えて、ミズノやアシックスは地域社会との連携を通じ、健康寿命延伸に貢献している。ミズノは自治体と協働して高齢者向け体力測定・運動指導を行い、アシックスは地域住民のウォーキングイベントやアプリによる健康増進を推進。これらは「地域包括ケア」の一環として、医療とスポーツをつなぐ新しい実践例といえる。

課題としては、運動習慣のない層へのアプローチの難しさや、自治体間で取り組みに格差が生じやすい点が挙げられる。

食品業界:栄養改善と機能性食品の普及

食生活改善は健康寿命延伸の基盤であり、食品業界は「栄養・食生活改善施策」に呼応した多様な事業を展開している。

例えば、ヤクルトの「ヤクルト1000」は腸内環境の改善や睡眠の質向上に寄与し、生活習慣の改善に貢献する可能性がある。味の素はアミノ酸研究を活かした高齢者向け栄養食品を開発し、フレイル予防を支援している。カゴメの「ベジチェック」アプリは野菜摂取量を可視化し、日常的な食生活改善を促す。これらの取り組みは、医療の治療よりも前段階で予防や生活支援に直結する試みと位置付けられる。

しかし一方で、機能性食品は消費者の理解度にばらつきが大きく、価格や信頼性の面で普及に課題が残る。また、医療現場との情報連携が不十分なため、患者指導や地域健康施策に十分に組み込まれていない点も課題として考えられる。

保険業界:インセンティブ型保険とデジタルヘルス

保険業界は「健康経営」の推進に呼応し、加入者の行動変容を促すインセンティブ型保険を拡大している。

住友生命の「Vitality」は、運動や健康診断の結果に応じて保険料が変動し、健康行動に経済的メリットを付与する仕組みを導入。第一生命も健康アプリと連動したポイント制度で歩行や食事記録を促進し、データを活用した健康支援を展開している。これらは「デジタルヘルス推進政策」と整合し、予防医療と生活習慣改善を後押しする。

課題は、データ活用とプライバシー保護とのバランスをいかに取るかという点にある。利用者の行動データをどう安全に扱い、医療機関や自治体とどのように共有していくかが今後の大きな論点となる。

医療と経営の接点から考える新たな潮流

経営学の観点から見れば、「健康寿命」に向けた事業参入はCSR(企業の社会的責任)にとどまらず、人口高齢化という巨大な社会課題を成長市場に転換する戦略的行動である。企業の取り組みは単発の商品提供にとどまらず、政策や他業界との協業を通じて社会全体に広がるインパクトを持ち得る。特に以下の3点がカギとなると考える。
1. 新市場の創造:予防・未病市場、ウェルネス市場の拡大
2. エコシステム形成:医療・介護と異業種を結ぶ連携基盤
3. データ戦略:ライフログやバイタルデータを活用した革新

こうした動きは、医療・ヘルスケア業界にとって競合ではなく、むしろ協業によって顧客への提供価値を高める契機になるのではないか。例えば、
• 患者のQOL向上:栄養・運動・生活習慣の改善を医療と接続することで、疾病予防と再発防止を強化
• 地域包括ケアの実効性向上:自治体・企業との連携により、地域社会全体で健康寿命延伸を支える仕組みを拡充
• データ連携の深化:ウェアラブルやアプリの生活データを診療現場とつなぐことで、より精緻な予防医療・個別化医療が可能となる

医療機関にとっての課題は、人材不足や財務的制約といった経営上の現実である。多業界連携は、医療現場の負担を軽減しながら新たな収益モデルをつくり、地域社会全体で健康寿命を延ばす機会となり得るのではないか。

ーー
岡野寿彦(大阪経済法科大学 経営学部 教授)

◇◇岡野寿彦氏の掲載済コラム◇◇
「サステナビリティ(持続可能性)こそが成長戦略の源泉」【2025.5.27掲載】
「医療・ヘルスケアのデジタル化 2025年中国の展望」【2025.2.25掲載】
「生成AIの医療・健康への実用:アリペイ(中国)『AI健康管家』」【2024.11.26掲載】
「医療・健康におけるデータの活用:中国の『データ価値化・活用事例創出』2024年動向」【2024.8.6掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧下さい。

2025.10.07