「暗記の悦び」
大橋照子 (NPO「日本スピーチ・話し方協会」代表
・フリーアナウンサー)
大変僭越なのだが、今年も「ワンマンショー」を実施させて頂く。9月14日(日)。今年が6回目になる。
初めて、「ショーをしよう」と大それたことを考えたのが2020年。私の年齢が大台に乗る年で、3月の誕生日に合わせて「バースデーショー」をしようと思い立ったのだった。アナウンサーになってから48年もたったので、集大成をしたいという気持ちもあった。
さて内容をどうしよう――色々考えて、18年ほど開催している「朗読教室」の題材で読んだものの中から、面白かったものを引っ張り出してきた。
「目黒のさんま」―― 古典落語の演目のひとつ。世間知らずの殿様と家来、農家の老夫婦との会話や、お城の料理人の慌てぶりなど、その役になり切って語ると楽しく痛快だ。だからすぐに覚えることができた。落語家さんにかなうわけもなく張り合うつもりもないので、「語りでお話させて頂きます」と、私なりの語り口で。
(たぶん)これが好評だったので、次の年の「ワンマンショー」も新しいものを覚えることにした。
さらに時代をさかのぼり、「源氏物語」はどうだろう。受験生のときに古文の勉強のために全部読んだ記憶がある。軽い気持ちで手に取ったが、これが大変だった。言葉がすべて今と違う。1語1語新しい単語のように覚えていかなくてはいけない。
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「源氏物語」冒頭 「桐壺」
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより 下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよ あかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。
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たったこれだけを覚えるのに、毎日繰り返し繰り返し練習して、つっかえることなくすらすら言えるようになるのに1か月くらいかかった気がする。覚えたあとも3か月くらい、毎日毎日、道を歩いているときもお風呂の中でもブツブツ言っていた。
そしてとにかく「ワンマンショー」で披露した。ちゃんと言えた!よかった!途中で白くなることもなく言えた。
ところがだ、間違えずに言えて嬉しかったのは自分だけのようで、聞いている人たちからすれば、何ということもないのだ。私はいつもイベントや研修会で、何も見ずに1時間でも2時間でも話しているので、前を向いて話すのが当たり前だと皆さんに思われてしまうらしい。
「源氏物語、お疲れ様でした」で拍手して下さって終わり。
え、これはすごくないのか! …何ということはない。これだけのことなのだ…。
ショックだったが、めげてはいられない。
次の年は、清少納言「枕草子」の最初の段。これもなんとなく知っていたのですぐに覚えられた。
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春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこし明りて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。
夏は、夜。月のころはさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。
秋は、夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入りはてて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。
冬は、つとめて。雪の降ふりたるは、言ふべきにもあらず。霜のいと白きも。またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。
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毎日声に出していると、覚えることが嬉しくて、ボケる暇がない。この年は、加えて「紫式部日記」と、落語「竹の水仙」も覚えた。もうここまでくると、聞いてくれる方たちが「はい、お疲れ様」でも構わなくなってきた。自己満足、それで結構。間違えずにスラスラ、表情を付けて語ることが楽しみになった。
ところで、こうしたイベントで使う題材には、制約がある。「著作権」だ。
歌は、「著作権協会」に報告して著作権料を支払えばショーで歌ってもいいのだけれど、文学・随筆・詩などは、作家さんやご遺族に連絡してもなかなか許可が下りない。
ただ著作権は、作者の死後70年まで保護される、それを過ぎれば使えるのだ。
例えば、芥川龍之介は1927年7月24日没で100年以上前に亡くなったのでOK。
新見南吉は、1943年3月22日没で、82年前に亡くなっているから使える。
そこで、次の年は新見南吉さんの「ごんぎつね」、その次の年は「手袋を買いに」を覚えた。夏目漱石の「坊ちゃん」も披露した。
そのほか、覚えていて楽しかったのは、「ガマの油売り」。これは原稿はどこにもないので、各地の保存会や落語の口上を参考に、自分で再構築した。刀で紙を切って、「1枚が2枚に、2枚が4枚に、4枚が8枚に…」と切っていく。おもちゃの刀なのでそんなに切れるはずがない。紙がボロボロになって、よく切れない。そこがまた受けた。
そして昨年覚えたのは、「外郎売」の口上。アナウンサーや演劇を始めた人が覚えたくなるセリフだ。
(以下、一部抜粋)
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拙者親方と申すは、お立ち会いの中に、 御存知のお方も御座りましょうが、
御江戸を発って二十里上方、 相州小田原一色町をお過ぎなされて、
青物町を登りへおいでなさるれば、
欄干橋虎屋藤衛門、 只今は剃髪致して、円斎となのりまする。
☆ ☆ ☆ ☆
さて、この薬、第一の奇妙には、 舌のまわることが、銭ゴマがはだしで逃げる。
ひょっとしたがまわり出すと、矢も盾もたまらぬじゃ。
そりゃそら、そらそりゃ、まわってきたわ、まわってくるわ。
盆まめ、盆米、盆ごぼう、摘立、摘豆、つみ山椒、
書写山の社僧正、
粉米のなまがみ、粉米のなまがみ、こん粉米の小生がみ、
繻子ひじゅす、繻子、繻珍、
親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親かへい子かへい、子かへい親かへい、
古栗の木の古切口。
雨合羽か、番合羽か、貴様のきゃはんも皮脚絆、我等がきゃはんも皮脚絆、
しっかわ袴のしっぽころびを、三針はりなかにちょと縫うて、ぬうてちょとぶんだせ、
(このあと早口言葉が、2分くらい続く)
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ちゃんと言えた時はとにかく無上の喜びがあった。
そして、「白波五人男」から、「弁天小僧菊之助」。
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知らざあ言って聞かせやしょう
浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の
種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き
以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの稚児が淵
百味で散らす蒔き銭(まきせん)をあてに小皿の一文子
百が二百と賽銭の くすね銭せえ段々に 悪事はのぼる上の宮
岩本院で講中の、枕捜しも度重なり お手長講のと札付きに、とうとう島を追い出され
それから若衆の美人局 ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた爺さんの
似ぬ声色で ゆすりたかり
名せえゆかりの 弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ!
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これは、覚えるのに2~3週間かかった気がするが、先日、ある高名な放送作家が「これを覚えるのに3カ月かかった」と言われて、覚えることの大変さを分かってくれる人がいたと嬉しくなった。
「弁天小僧」は、今は私の十八番で、毎年使っている。
さて今年は少し傾向を替えて、「日本国憲法」の「前文」を覚えることにした。「基本六法」の一番もとになる「日本国憲法」。5月3日の憲法記念日から覚え始めて、スラスラつっかえずに言えるまでにやはり3週間はかかったと思う。そのあとは、毎日毎日言い続けている、電車を待つ間、バスを待つ間、待ち合わせまでに少し時間があるとき、そして歩きながら、お風呂の中で。
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日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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同じような言葉があちこちに何度も出てくる。でも、全部覚えた時の喜びは大きかった。
今年の「大橋照子ワンマンショー」は、9月14日(日)。あと2週間だ。
「日本国憲法」のほか、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を8種類の語りで披露する。そして「弁天小僧菊之助」や「源氏物語」も行ってみようかと思っている。ちゃんと全部言えるか、楽しみなような不安なような。
歌も21曲歌う。
今、頭の中が満杯になっていて、実はそれが愉快で心嬉しくもある。
[御案内]「大橋照子ワンマンショー」
日時:9月14日(日)13:00開場、13:30~16:00「ショー」
場所:「紀尾井フォーラム」(赤坂・ニューオータニ、ガーデンコート1階)
詳細・お申込みはこちらよりお願いします。
https://www.dokidokiradio.info/home/Event2025_/2025Show/index.html
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大橋照子(NPO「日本スピーチ・話し方協会」代表 ・フリーアナウンサー)
◇◇大橋氏の掲載済コラム◇◇
◆「今どきの・・・」【2025.5.13掲載】
◆「空手とスピーチ」【2025.2.4掲載】
◆「年齢のこと」【2024.11.6掲載】
◆「聞き取りやすく話す」【2024.8.13掲載】
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