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(掲載日 2006.12.01)
2006年も残すところあとわずか
投稿者  医療法人社団 青柳皮膚科医院 理事長 青柳俊
 人の命に関わるニュースが連日報道されている。夕食の時間にはそぐわないニュース報道が多く、テレビチャネルを切り替えことも度々である。「いじめによる自殺」「子供の虐待や殺人」など殺伐とした世相をあらわしている。

 一方では良く分からない内容の「美しい国−日本」を目指して新しい政府がスタートしたが、その政策立案体制は経団連の御用機関のようにも見えてしまう。経済至上主義でバブルを発生させ、その尻拭いのためにさらなる市場経済に委ねた経済・財政運営を目指しているとしか思われない。

 「金儲けのどこが悪い」と開き直られて反論できる記者連中が居なかった世相はその典型的な例であり、医者の世界でも患者の希望をかなえるためには「何でも出来る」といわんばかりの発言に「唖然」とさせられたのは、私だけではないだろう。

 日本人の持つ「他人を思いやる心」が失われつつある日本社会とも言えそうだ。家庭内での「親子関係」、学校内での「友人関係や教師と児童の関係」、地域における「隣人関係」、職場における「同僚や上司との関係」が崩壊への道を辿っているような気がしてならない。

 医療分野で毎日の診療にたずさわっていると、「医者と患者の関係」にも似たような危険を感じることが多くなった。臨床医にとっての「やりがいや喜び」は、良くなった患者さんに感謝される一言が重要であり、そのことが努力や労力の支えになる。

 しかし、最近では医者として当然の義務であり、取り立てて感謝することなどまったく無用と考える患者さんが増えているように思われる。

 疾病構造の変化や高齢化の進展によって、急性疾患よりも慢性疾患が増加し、完治・完解する患者が少なくなったことにも起因するが、医者や医療に対する不信感が増していることもその一因だろう。

 一方では効率化の掛け声の下、沢山の患者をこなし続けなければならない状況を作り出し、「ゴムひも」が張り切った中での診療にあたっている医療担当者の「叫び」はなかなか理解されていないように思われる。

 「ゆとりのある医療」を目指していろいろな提言を試みた8年間を思い出している。新しい知識や技術の取得、臨床の現場における体験・経験によるスキルアップ、じっくり腰を落ち着けての患者との話し合い、チーム医療の向上のための検討時間の確保などである。

 現実的には「絵に描いた餅」のような状況であり、「医療の質・安全の確保」という視点からも早急な改善が必要であるが、医療の効率化や財源不足の合唱の下では「夢物語」と言わざるを得ない。この状況が続けば国民は劣悪な医療環境を覚悟しなければならないだろうし、現実問題として医師の確保や診療科によっては医師不足が顕著になっている。

 電気製品、自動車、建築物などの有形のものを生産する分野における欠陥製品や欠陥商品に対する報道は後を絶たない。効率化の号令と技術者の質や品質管理の仕組みに問題があるようだが、無形のサービスを生み出す医療分野においても基本的には同様である。

 しかし、医療分野においては、医療担当者や医者の「志や意欲」がサービスの質の向上には欠かせなく、また、有形のものを生み出す分野に比べその重要性が高いことを忘れてはならない。

 残念ながら、このような視点は最近の議論では欠落し、制度的な議論のみで解決を図ろうとしている。好むと好まざるとに関わらず「志や意欲」を持った若手医師がいつの間にか「目先の利益」のみで「わが身の保身」に走る風潮が顕著になって来ている。

 国の政策が市場主義一辺倒の世相を生み出し、結果として医療の分野にも悪影響を及ぼしているのかも知れない。

 我々はここで立ち止まって考える時期ではないだろうか?日本が抱える問題・課題をあげつらうだけではなく、日本が世界に誇れる「人間性や文化」や「社会的な規範」を守る議論を忘れてはならない。狭い国土で肩を寄せ合って生活している国が広い国土に様々な人種が集まって生活しているアメリカに右倣えする分野は限られていることを!
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