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(掲載日 2006.10.20)
新しい医療制度へ国民的議論を <連載2>
投稿者  山口赤十字病院 医師 
 村上 嘉一
■日本の医療機関が置かれた理不尽な立場

 前稿で述べたように、国際的には高い評価を得ている日本の医療だが、国内では医療への不信の声が巷に溢れ、医療の安全性の向上や各種の説明の充実も含めた「より良い医療」が強く求められている。しかし安全で良い医療を行うには医薬品や医療機材、機器や設備等にも莫大な資金が必要であるし、スタッフの仕事量も大幅に増えるので医師や看護師の増員も必要となり、より多くの人件費も発生する。

 良い医療を提供するには当然ながら相応のコスト(医療費)が必要である。軽自動車の開発費ではベンツを開発することはできないのだ。一般の企業であれば良い製品には高い値段をつけるが、日本では全ての医療行為に対する治療費は国が決めている。この点で医療は国の統制下にあり、一般の企業が提供するサービスとは根本的に異なる。本来は増やすべきものであっても国の財政難を理由に一方的に減らされているのだ。

 そして、より良い医療への要求と医療費削減という、相反する圧力が強まった事により医療従事者の労働条件はかつてないほどに悪化している。

 最も深刻な打撃を受けているのが、いわゆる大病院だ。より良い医療を行うために様々な手続きが必要になり、一人の患者さんを治療するのに医師が費やす労力が以前と比べると約2倍といわれるほどに膨らんでいる。医師は残業が多い上に、主治医として常に拘束され、深夜や休日にも頻繁に呼び出しを受けるため、予定が立てにくく、約束していた家族サービス等をキャンセルしなければならないこともまれではない。

 多くの急性期病院では当直は過酷でほとんど睡眠をとることができない上、当直の翌日も休むことができず36時間前後ほぼ連続で勤務することが日常的に行われている。

 過労や睡眠不足は医師の健康を害すだけでなく、飲酒と同程度に判断力を低下させるため危険でもある。パイロットには長時間の勤務は禁じられているが、パイロットと同等の責任を負わされる医師の過重労働は放置されている。

 厚生労働省の医師の勤務状況調査(平成18年3月27日に中間報告)では病院の常勤医師の労働時間は、平均で週63.3時間(最大152.5時間)と労働基準法が定める週40時間を大幅に上回り、残業時間も月約100時間と、過労死の労災認定基準とほぼ同じ時間に上っている。

 事実最近では過労死する医師が増加しているが、「当直」とは本来入院患者の管理のための待機で実質的な労働を伴わないものなので、実際には一睡もせず働いていたのに、「当直」で寝ていたと扱われ労災の認定を受けられないという悲劇も起こっている。

 責任を負うべき厚生労働省は見て見ぬふりで、担当者も「労働基準法を厳格に適用したら、救急病院は全てつぶれてしまいます」などと発言する有様だ。

 一方で救急外来は「昼間は忙しい」などの理由で、緊急性もない症状で時間外に受診する「患者様」のための24時間営業のコンビニエンスストアと化しており、「いつでも最高の医療を提供すべきだ」と無理な要求をされたり暴言を吐かれたりするケースも増えており、不条理な現実を前に精神的にも疲弊していく医師が増えている。

 勤務医はこのような過酷な当直を月に何度も行なわなければならないのだ。

 対人援助の過程で心的エネルギーを使い果たし、情緒的疲弊、個人的達成感の後退、相手に対して冷淡で否定的な態度を取る脱人格化を特徴とするバーンアウト(燃え尽き)に関して、静岡がんセンター内で対人業務に従事する医師や看護師を対象に行われた調査によると22%の医師がすでにバーンアウト状態にあり、半数が予備軍に入っているということだ。

 このような状況なので「このご時世では開業しても経営は苦しく生活していけるかどうかも分からないが、せめて奴隷生活をやめて人間的な生活をしたい」と大病院を去ってゆく医師が増えている。

 その結果、良い医療を行うために増やさねばならないはずの勤務医は増えるどころか急激に減少しつつあり、残された医師の負担は増える一方となっている。

■医療崩壊の原因

 過酷な労働条件の下で、諸外国と比べれば非常に良心的といえる医療を行っているにもかかわらず、世間からは不信の眼差しを向けられ、「もっと患者中心の納得できて安心で安全な医療を提供すべきだ」との要求の声は高まるばかりだ。

 最も深刻なことは、これまで医療の理想像ばかりが宣伝・報道されてきたため、医療は本質的に不確実であるという「真実」や、高度な医療を受けるには莫大なコストが発生するという事実が国民に認識されていないことだ。

 その結果、誰もが安価に最高の医療をうけられて当然であり「医療ミスが起こるのは医師が無責任でモラルがないからである」といったような世論が形成されてしまった。もちろん医師や病院の側にも謙虚に批判を受け止め改善すべき部分は多いが、医療にかけられているコストの低さや人手不足による安全性やサービスの低下などについては全くといってよいほど報道もされず、認識されていないことは著しく公正さに欠けている。

 また一般の方々からは理解されていない重要な事実に「医療はきちんと行えば必ず正しく診断し正しく治療できるというほど完全なものではない」ことも挙げられる。同じ条件の人に同じ治療をして良い結果になる場合もあれば悪い結果になる場合もある。さらに医療行為は必ず合併症などのリスクを伴うが、合併症の発生は不可抗力である場合も多くそのような場合には医療ミスとは言えない。

 しかし最近ではそのような防ぎきれない合併症や事故までもが「犯罪行為」として大々的に報道され、検察や司法までもが医療の本質や現状を理解しないままに医師の側からみれば極めて不当な判断を下すようになった。このことは全国の医師を絶望させ病院勤務を続ける意欲を奪っている。特に福島県の県立病院の産科医が帝王切開の手術中の医療事故が原因で逮捕された事件は、たった一人で献身的な診療を行っていた医師が、医師の側からみれば全くといってよいほど過失がなかったにもかかわらず殺人者扱いされたという点で日本中の医師の心に決定的な打撃を与えた。

 自分の健康や楽しみを犠牲にするだけでなく家族の幸せまでをも犠牲にして患者さんに尽くしても、ひとたび事故が起これば、例えそれが現状では避けようがなく医師にとってミスだとは思えないような事故であっても結果の重大性のみで場合によっては刑事事件の容疑者として逮捕され、あたかも非道な殺人鬼のごとく報道されたのだ。このことは多くの医師に言いようのない絶望感を与え、リスクを伴う医療を行うことを避ける傾向が一気に強まり、産科医療は崩壊してしまった。そして崩壊の波は今や外科、内科、救急医療を中心に医療全体に波及し、全国の大病院から医師が立ち去り始めた。

 従来から地方の急性期病院などは少ない医師の献身的努力によってかろうじて支えられていたが、さらに医師が減ることにより残った医師の負担が限界を超え、ドミノ倒しのように崩壊が進んでいる。全国の病院で診療科の閉鎖が目立つようになり、基幹病院であるのに内科の医師が全員辞職する病院さえいくつも現れてきた。

 全国の国立大学附属病院も補助金の削減や医師離れにより破綻の危機に瀕しており、日本の医学の発展にとっても取り返しのつかない損失となりつつある。

 医師を養成するには長い時間と良い教育体制が必要だが、指導医が次々と大学や病院を去っていく今の状況が続けば、医師の養成も困難となり、外科系では手術の技術が継承できなくなる危険もでてきている。優秀な医師が疲れ果て、また絶望し、次々と第一線を去って行く現状は、第二次世界大戦の際に、人命を大切にしてベテランを育てた連合軍とは対照的に、補給も無い状況で人命を軽視した大消耗戦を行い、育成するのに時間も金もかかる最も貴重な財産である「人材」をいたずらに失った日本軍の状況に似ている。

 病院勤務に耐えられなくなり開業する医師が増えているが、医師が次々と病院から立ち去るのは、勤務が過酷で理不尽であること以外にも政府、マスコミ、国民からのあまりにも理解のない不当な扱いに多くの医師が絶望しているからなのだ。

 ランセットという世界的に有名なイギリスの医学雑誌の巻頭言で「イギリスでは医療費削減を失敗と認め医療費を増やしたにもかかわらず十分な成果が上がっていない、それは一度低下した医療従事者の士気を回復させるのは医療費を増やしても困難だからだ」と述べられているが、現在の日本でもイギリスと同じような事態を招きつつある。

 医療崩壊は日本の歴史に消しがたい汚点を残し、やがて厳しい歴史の批判に曝されるであろう。

 私は事態を招いた責任は医師も含めた国民全体にあるが、中でも政府とマスコミの責任は極めて重いと考えている。
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