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(掲載日 2006.10.27)
新しい医療制度へ国民的議論を <連載3>
投稿者  山口赤十字病院 医師 
 村上 嘉一
 前稿では医療崩壊の原因について述べたが、本稿では医療崩壊への対応策について、現場の医師として自分なりの考えを述べてみたいと思う。

■医療崩壊を食い止めるための緊急課題

 真に国民のためになる新しい医療制度が確立するまでに、これ以上医療の崩壊が進行するのを少しでも食い止め、被害を最小限にするためには、以下のような対策が急ぎ必要だと考えている。

(1) 医療資源は貴重な共有資源であるという社会認識

 現在の日本の医療サービスは、金を払えばいくらでも利用できる社会一般のサービスとは異なり、社会保障制度の上に成り立っており、金銭的には税金や保険料に多くを依存している「配給制」である。

 医療資源は限られた貴重な資源であり、例えるなら災害時の炊き出しと同じようなものである。人々が無節操に求めれば、あっという間に不足してしまう。そうすると配給の制限が厳しくなり、本当に必要な人に行き渡らなくなってしまうのだ。

 これから、医療費や勤務医の労働力などの医療資源の不足がより一層顕在化するであろうわが国では、「皆で分け合う食糧(医療資源)が不足している、皆がある程度は我慢しながら大切に分け合わなければならない」という意識を社会全体が持つことが必要だと思う。

(2) 勤務医の過重労働への対策

 大きい病院の方が安心だからという理由で、軽い病気でも病院を受診する人が多い。診療所に比べ病院に対する医療費抑制が苛烈に行われた結果、診療所にかかるより、病院にかかる方が医療費の患者負担も軽くなっていることもこの現象に拍車をかけている。

 現在の制度は病院の外来医療費を引き下げ、外来の経営が成り立たないようにして「病院側が」外来を減らすように誘導しているが、診療所への転院を希望しない方が多い。診療所に変わるように求めた医師が患者さんから恨まれる事もあり、「儲け主義で切捨てられた」などと病院や医療への不信も煽る結果となっている。

 自分の病院での治療を希望している患者さんを他の施設へ紹介することは、患者さんを最後まで診たいという本能を持っている医師にとっても不本意なことである。人の心を無視した現在の制度は勤務医に「これでもか、これでもか」というほどの負担を強いている。

 病院勤務医を重症患者の治療に専念させ、違法状態での過重労働を改善し、医療の安全性を向上させるためにも軽症の外来患者さんを診療所に誘導するような実効性のあるシステムが求められる。この際に「病状が安定したから診療所に変わりたい」と患者側から積極的に希望するような制度にする事が大切だと思う。診療所を受診する際の自己負担割合を引き下げて患者負担を減らす一方、病院の受診料を適正な額に引き上げることが理にかなっている。ただし本当に病院でなければ治療ができない重症患者さんに対する救済策も必要である。

 時間外受診のルールの徹底も重要だ。時間外救急は名目上は一次二次三次の救急体制が整備されており、救急車を除く患者さんは、まずは一次救急を受診することになっている。しかし実際には軽い症状であっても一次救急を受診せず、より安心な病院(二次救急)を直接受診するケースが全国的に増えている。多くの救急病院の当直医が、本来は救急と呼べない患者さんへの診療で多忙を極めているのが実態だ。その結果重症患者に適切な医療を行えなくなる危険もあり、安全面でも大きな問題となっている。

 昼間に受診できたのに自分の都合で受診せず、時間外に「大きい病院の方が安心だから」とコンビニを訪れるような感覚で高次救急病院を直接受診する人もいる。そればかりか、「救急病院なのだから24時間いつでも待たせずに、やさしく対応して最高の医療を提供すべきだ」と思っている患者さんから、「待たされた」「当直医が丁寧に診てくれず態度も不遜だった」とクレームを付けられ、トラブルになることも多い。ルールを守らず、緊急性もない患者さんでも応召義務のため断ることができない当直医は、36時間連続勤務の肉体的疲労以上に精神的に疲労している。

 感謝の言葉があれば医師の苦労も吹き飛ぶ。しかし、最初から医師に対する不信感を露わにしたような態度をとり、サービスが悪ければ攻撃してくるような相手に対し、嫌な顔一つせず接することは、いかに仕事とはいえ、勤務医にとって困難である。なぜなら人手不足の勤務医は、労働基準法違反状態で自分の命をすり減らしながらも、社会的必要性から、当直(法律上は「当直」ではなく当直明けは休める「夜間勤務」でなければならない)を行っているからである。二次あるいは三次救急(と一部の一次救急)は、数少ない勤務医の自己犠牲を伴う労働によってかろうじて支えられているのだ。

 勤務医が病院を去るのは、当直が過酷で危険だというのが最も大きい理由だと思う。当直は心身の負担が非常に重いだけでなく、医療ミスを起こしたり患者さんとのトラブルに巻き込まれるリスクも、通常勤務よりはるかに大きいのだ。

 これ以上勤務医を立ち去らせない為には、このような勤務医の実情を社会が認識し、理解を示すと同時に、時間外救急の受診ルールに実効性を持たせる対策が必要である。病院側から受診を拒むことはできないので、患者心理に基づいた制度にすべきである。一次救急と二次救急の受診料に大幅な格差を設定し(提供できる医療の内容からしても大幅な格差があって当然であるのだが)、一次救急からの紹介状がある場合には二次救急の受診料が安くなるようにすべきではないかと思う。

(3) 医療事故を公正に処理するシステムの設立

 現在医療現場を混乱させている原因の一つに、現場の実情と、行政法、行政指導、刑法の矛盾など法律の不備があり、これらが医師に無用な訴訟リスク、さらには医師法違反で逮捕される法的リスクすら負わせている。これらを解決することが急務である。

 また医療事故が起きた時に第三者事故調査機関、第三者調停機関や医療事故損害賠償責任保険等により、公正かつ速やかに適正な判断が行われ、医療従事者も過剰なリスクを背負わなくてすむような制度が必要だ。医療訴訟を起こすことが困難なスゥエーデンではこのような無過失補償制度が有効に機能しており、参考にできるのではないかと思われる。

 しかしながら、現在のような国民の意識では、患者側にとっても医療者にとっても納得できる実効性のある制度とするのは難しいと思われる。医療が本質的に持つ限界や不確実性やリスク等について、マスコミ、検察、司法を含め広く国民一般に正しく認識されることが絶対的に必要だ。

(4) 医療に対する適正な予算の投入

 政府は、医療費の増加は国を滅ぼすとして公的医療費の抑制を強行してきた。本当に医療費が国を滅ぼすのであればやむを得ない、その時は(患者さんが理解してくれるのであれば)患者さんとともに木の根、草の葉を食べてでも頑張ろうと思う。しかし本当に医療に振り向ける予算はないのであろうか?

 私には国家元首の視点に立って考える力量がないため、残念ながら正確な答えは分からない。しかし先に述べたように、日本の医療費は単価では世界最低レベル、総額でもG7中最低である。現在の医療費水準や人員では、国民の求める良質な医療は提供できない。私には日本の医療費(特に単価)は、低すぎるとしか思えない。その一方で、本当に必要な税金の使い方をしているのか、と首をかしげたくなることがある。例えば日本の公共事業費は社会保障費の倍近い額に上っており、日本以外の先進6カ国の公共事業費の合計よりも多い。公共事業が社会保障より多いのは日本だけであり、公共事業に対し社会保障はイギリスでは9倍、ドイツでは7倍、フランスでは3倍、アメリカでさえ2.5倍優先されている。

 特別会計についても「母屋(一般会計)がおかゆをすすっている裏で、離れ(特別会計)ではすき焼きを食べている」と例えられたそうだが、本当に適正に使われているのだろうか。

 この10年間で、先進国では日本だけが社会保障費を減額している。その結果日本の福祉レベルは低く、老人保健施設や特別養護老人ホームは、入所したくても数年待ちの状態で、在宅医療の支援体制も不十分で地域格差も大きい。

 私は適切な医療体制の整備は、社会保障として、国が責任をもって行わなければならないことではないかと思う。

 仮に公共事業費を欧米並みの金額にしたとすれば、国民医療費の半額以上の16兆円を社会保障に活用でき、国民の負担を増やすことなく医療の質を向上させ、福祉を充実させることが可能だ。どちらの整備を望むかを国民に問うべきではないだろうか?

(5) 病院が勤務医にとって魅力のある勤務体制を提供できるような政策誘導

 現在医師不足が著しい診療科では、拠点病院への集約化が必要だろう。しかし医療の安全性を向上させるための長期計画として、病院勤務医を増やす政策を施すことが急務だ。医師を無理やり病院に縛りつけるようなやり方は医師の士気を低下させ、却ってコストパフォーマンスを悪化させる。(勤務医達は正当な時間外手当の支払いを要求するか、規定以上の仕事を行わないなどの方法で対抗するだろう。)

 勤務医を増やすには、病院が医師にとって魅力ある職場となるようにすることこそが大切だ。

 ここで、為政者や世間の方々に是非分かって頂きたいことは、ほとんどの勤務医は、病院に対して新しい知識や技術を習得して自己研鑽できる環境、尊敬できる先輩(リーダー)医師の存在を求めているのであり、決して高額な報酬を求めているのではないということだ。多くの勤務医は、多少きつくてもあまり理不尽な思いをしなくてすむ、働き甲斐のある場所で、良心に基づいた医療を行いたいと願っているのだ。

 そして、できれば自分の命をすり減らしたり、家族を不幸にしなくてもすむような人間的な生活ができたら、と願っているのだ。

 病院は地域の患者さんたちが重い病気になった時に、命を守る最後の砦であるから、その果たすべき機能に応じた投資が行われなければならないのに、現実には病院への医療費が最も苛烈に抑制されている。

 病院は、存在し健全に機能すること自体で、社会保障として地域に貢献している。また先輩医師が後輩を育て技術を継承していく場でもあり、技術・人格ともに優れた医師を養成することによっても社会貢献を行うべきある。したがって病院をあまりにも追い詰めることは、地域社会にとっても計り知れない損失になると思う。

 病院がこれまで担っていた、しかし今急速に失いつつあるこれらの機能を回復できるようにするためには、病院への医療費の配分を増やすことが最低限必要だが、それ以外にもいろいろな課題がある。それらの一つとして、あまりにも医師への負担が重い日本の病院の業務システムの見直しも必要だと思っている。しかし、これは医療の安全性を確保するための方法論も関わってくる問題であり、個々の病院では対応できないことも多く、医療界全体はもちろん、司法も含めた議論が必要だと思う。
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