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(掲載日 2006.05.26)
韓国ES細胞捏造事件の闇の奥
(Heart of Darkness)
<最終回> 国家主導の生命工学がもたらした本当の悲劇
―最後の闇(The End)
投稿者  澤 倫太郎
 日本医科大学生殖発達病態学・遺伝診療科 講師

■クローン・ビジネスのタブー

 「5万ドルであなたのペットのクローン作ります」

猫のクローンの宣伝をするGSCのホームページ このコピーで全世界に賛否両論を巻き起こしたのは、バイオテクノロジー企業の米ジェネティック・セービングズ・アンド・クローン(GSC)社(カリフォルニア州ソーサリート)である。いまは期間セール中で猫のクローンが32,000ドルだそうだ。実は、このホームページ(HP)のデザインにうりふたつのサイトが日本にもある。しかも、日本版バイ・ドール法の象徴のような国立大学獣医学部発の医系ベンチャー企業だ。この研究所の説明にはこうある。

  「最愛の伴侶動物が亡くなったとき、その悲しみは計り知れません。機能していた器官の停止で死が訪れます。しかし、身体の組織、細胞は少なくとも3〜4日間は生き続けます。この時期の組織を採取して保存しておけば、何時の日か復活も夢ではありません。組織保存は安全を期して夏季は24時間、冬季は72時間以内に採取して保存することをお勧めします」

 ペットの死亡後、剃毛した臀部の皮膚組織を5mm四方切り取り、氷冷輸送すれば、研究所では組織を遊離して凍結保護剤を添加し、プログラムフリーザーを用いて冷却し、最終的に液体窒素中に保存する。凍結保存は「5年契約で45,000円、細胞培養つきで150,000円」という。

 驚くべきことに、技術提携先にソウル大学獣医学部があげられている。HPをよく見ると、双子のサルのクローンの写真まで載っている。これはピッツバーグ大学のシャッテン教授の研究所(Magee-Womens Research Institute)で撮った一枚(テトラの兄弟?)ではないか?

 この研究所の姿勢を、筆者は問うているのではない。そもそも「誰もやらなかったことをビジネスにする」のが「起業の真髄」ならば、「くだらない倫理的判断など乗り越えてやる」という気概こそが、研究者の真髄だからだ。細胞保存ビジネスは立派なビジネス・モデルのひとつだ。ただ、一つ言わせてもらえば、正面切っての「死後の蘇り」はご法度だろう。

ゴッドセンド 最先端の生殖医学技術を応用したクローン個体産生技術によって事故死した息子を復活させた夫婦に訪れる「悪夢」を描いた映画「ゴッドセンド」(ニック・ハム監督、ロバート・デ・ニーロ主演、2004年)がある。その中で、ロバート・デ・ニーロが演ずる不妊症専門医リチャード・ウェルス博士は、「Godsend Institute」という生殖医療センターに所属している設定になっているが、映画の宣伝用につくられた、この架空のクリニックのサイトに貼られたスローガンが、ぶっ飛んでいる。

 「死はもはや終わりではありません。ゴッドセンド生殖医療センターでは、生命の終わりを新しい出発に変えることができるのです。さあ、あなたも新しい人生のスタートを」。

 フィリップ・K・ディックの未来小説を原作とする映画「マイノリティ・レポート」(S. スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演、2002年)や「トータル・リコール」 (P.ヴァーホーヴェン監督、A. シュワルツネッガー主演、1990年)に登場する「記憶リフォーム会社」の謳い文句「お好きな夢を御覧ください」顔負けのコピーだ。

 Godsend Instituteのサイトは、細部まで実によく出来ている。代理出産や提供卵子など、なんでもありの米国「サロゲート・ビジネス」が生みだす医療現場の混乱については拙稿「わが国の産科医療が直面する今そこにある危機―海外での卵子提供による不妊治療」 をご一読いただきたい。その実態を良く知る米国の専門家たちでさえも、当初、このサイトには、度肝を抜かれたという。これだからネット空間は油断がならないのだ。

 先述したGSC社でも、ペットのDNAを保存する「ペット・バンク部門」は人気が高い。しかし、GSC社の「ペットのDNA情報保存ビジネス」の対象は、あくまで生体情報に限っている。「死後の蘇り」(注1)は彼らにとっても「最悪のタブー」なのである。

■「冥界からの生還譚」が伝える知恵

 黄泉の国からの帰還は、不思議なことに全く異なる文化の神話のなかに、ほとんど同一の起承転結のエピソードとして語られる。

 出雲の黄泉津比良坂(よもつひらさか)で繰り広げられる日本の国生みの二柱(ふたはしら)の神々、イザナギ、イザナミの冥界生還の悲劇については、会員諸氏に説明は不要であろう。女神イザナミは35柱の神を生み、最後に火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)の産褥で亡くなる。黄泉の国で再会した二柱を引き裂くのは「見てはならない死後変化―8つの雷(いかずち)が妻のからだを食い荒らす姿」を覗いてしまった禁忌破りだ。この体験の次のステップとして、「みそぎ」という公衆衛生上も非常に重要な儀式(風習)が誕生するのである。

 おそらく同源であろう悲劇が、ギリシア神話にある。「オルフェウス伝説」がそれだ。太陽と音楽の神アポロンの子にして、琴の名手・オルフェウスは、毒蛇にかまれ冥界に連れ去られた妻と再会する。見事な琴の演奏で冥界の王を説得したオルフェウスは「絶対に振り返ってはならぬ」という約束を条件に、妻の手を引きながら、冥界を今まさに出ようとする刹那、差し込んできた光に気を許し、愛しの妻を振り返り、そこに無残に朽ち果てた妻を見てしまうのだ。

 これらの「冥界からの蘇り」のタブーは、「肉親の死にいつまでも拘ることへの戒め」を説いた太古からの先達たちの知恵なのであろう。この「戒め」は平安時代末期の仏教説話集「今昔物語集」にも同様のエピソードとして、大衆に分り易く説かれている。(注2)

■もうひとつの独裁国

 「川の上流をたどる旅の終着点を俺たちは知らない。ひとつだけ確実なのは、この川の流れがひとりの独裁者の足元の流れにつながっていることだ」(映画「地獄の黙示録」ウィラード大尉の独白)。

 韓国生命工学の捏造事件を追って、たどりついたのは、親北主義(注3)に支持される独裁国家「北朝鮮」である。核カードを外交の切り札にして、いまや宗主国である中国ですら、その制御に手を焼く異端の衛星国家「北朝鮮」。その実態は、武器輸出、拉致誘拐、ヘロインやメタンフェタミン等の覚せい剤の製造、外国紙幣の偽造(注4)、外国タバコや医薬品の偽造に至るまで、ありとあらゆる人間の欲望が開放された「もうひとつの闇の奥」である

 そして、今度は、研究材料となる品質の高い卵子を豊富にそろえ、ヒト体細胞クローン胚の作成が可能な技術を手にしたのか――。あとは、子宮を提供する健康な女性が揃えば、クローン個体の産生も、現代科学をもってすれば、決して不可能ではないのである。

アイランド 北の独裁者は、平壌中心の高台に、「国家映画文献庫」という映画の文献庫を事実上個人で所有するほどの映画好きで、日本や欧米の映画などを多数鑑賞しているといわれている。追い詰められた映画好きで知られる独裁者は、果たして映画「ブラジルから来た少年」や「アイランド」、「ゴッドセンド」のように、自らの生命をクローンとして不死化しようとするのだろうか?北の独裁者がクローン技術に固執する理由を探るとき、それだけでは語れない何かがあるように思えるのは筆者だけであろうか。

 クローン技術を先にあげた「死後の蘇り」への願いと重ね合わせながら、最近になって明るみに出たニュースの断片を追っていくと、数奇な運命をたどった末に亡くなった、ある女性の存在を感じるのだ。

■在日2世少女の数奇な運命

 2004年2月、韓国研究者グループが世界ではじめて、「ヒト・体細胞クローン胚」からのES細胞樹立に関する論文を「サイエンス」誌に報告した。ちょうど時を同じくして、一人の東洋人女性が静養先のスイスから、パリ郊外のVIP専用の私立病院に入院した。背筋をピンと伸ばした彼女の、均整のとれた身体を蝕んでいたのは乳癌であった。

 彼女は、日本の大阪市生野区鶴橋のコリアン・タウンに生を受けた在日2世。父は講道館でならした柔道の猛者で、プロ柔道「アジア・プロレス」の一員としてリングでも活躍した地元のヒーローだった(1956年10月には、力道山の本拠地プロレス・センターでおこなわれたウェイト別日本選手権試合では惜しくも同じ関西出身の吉村道明に敗れたことが記録に残っている)。両親と妹の4人暮らし。貧しいながらも、父から受け継いだ明るさと、母親から受け継いだ美貌で近所の人々にも可愛がられた。

 このころから盛んになった北朝鮮帰国事業によって1960年はじめに、一家は初めてノース・コリアの地を踏んだ。父はその柔道のキャリアを買われ、同国の体育教官として出世していった。運動神経のよかった彼女は、父の勧めもあって、1971年、万寿台(マンスデ)芸術団に入り、舞踊家として研鑽を積んだ。1973年の万寿台芸術団訪日時にはトップ・ダンサーの一人として10数年ぶりの来日を果たし、故郷に錦を飾った。

 彼女こそ、北の「将軍」が最も愛した女性である。

 将軍は、すでに結婚し妻子がいたため、正式な結婚こそしなかったが、彼女は第2婦人として迎えられ、2人の男の子にも恵まれた。第2夫人として驕るどころか控え目な性格で、ネックレスやイヤリング、指輪で飾ることすらしなかった。

 そんな人柄の彼女を将軍は熱烈に愛した。90年代半ば、彼女に乳癌の発病が判明するや、彼の精神状態は不安定になり、妻の手紙を読んでは涙を流したという。しかし病勢は最先端の医療にも頑迷に抵抗し、徐々に彼女の生命を追い詰めていった。

 そして、医師団の懸命な治療も及ばず、数奇な運命をたどった在日2世の女性は、2004年の夏のパリで、静かに息を引き取ったのである。正確な死亡日時は不明である。しかし 彼女の死に、将軍は声をあげて、泣き崩れたといわれる。

■北の王朝の高貴なる胚―クローン技術と最後の闇

 彼女は、その人柄から「在日2世」という出自にもかかわらず、将軍の国では「尊敬するお母さま(オモニ)」として国民的人気が高いという。なによりも王朝の継承者として、最も有力視される子息の「オモニ」の不死化(クローン胚化)はこの国の文化のなかでは重要な意味を持つ。それは、将軍が属する民族、朝鮮族の祖となったとされる新羅(シルラ)の王の「卵生神話」である。新羅王の建国伝説は卵生神話であり、建国の始祖は卵から産まれたとされる。また四代目王である昔脱解も卵から生まれたとされる。

 近い将来、新しい指導者となるであろう子息の「オモニ」の体細胞クローン胚が存在するとすれば、それは半島の建国伝説から見れば、「高貴なるものが宿る卵」とも言えよう。自身を支えてくれた聡明な女性の面影を必死に探そうとする将軍のために、クローン個体の産生までは行き着かなくても、クローン胚の凍結保存による不死化を提案する科学者がいたとしたら――。

 もういちど聞こう。追い詰められた将軍が望むのは自身のコピーなのか?おそらくそうではあるまい。つねに軍部の翻心(クーデター)のリスクを背負って生きてきた孤独な独裁者がいま最も必要としているのは、かつて自身を最も理解してくれた聡明な女性ではないか?それはパリの病院で病没した最愛の妻なのではないのか?

■旅の終着点―The End

 本稿では、韓国ES細胞捏造事件の背後に、蜃気楼のようにゆらめく「闇の奥」(Heart of Darkness)を求め、川の上流へと流れを遡った。そして旅の終着点(The End)で、たどりついた「絶望の国」の真実は、「国家主導の生命工学がもたらした本当の悲劇」だったのかもしれない・・・・。

 闇の奥をさぐる旅の終着点(The End)に辿り着いた筆者の耳には、ある歌がフラッシュバックして聴こえてくる。

 「地獄の黙示録」の冒頭シーンで、戦闘用ヘリコプターのローター音とともに聴こえていたあの鎮魂歌―「愛する人を亡くし、それでも絶望の国に生きなくてはならない苦悩」を歌った鎮魂歌が・・・・。

 それは「ドアーズ」の「ジ・エンド」である。<歌詞(原文)>
 
(注1)
 会員諸氏なら、W.W.ジェイコブズによる英国の古典的怪奇譚「猿の手(The Monkey’s Paw)」をご存知だろう。

ホワイト氏夫婦は友人のモリス曹長にインドの珍しい土産として「猿の手」のミイラをもらった。

曹長がいうには、その猿の手には魔法がかけられており、3つの望みをかなえてくれるという。

ホワイト氏はそれを手に取り、冗談半分にこう云った。「3万ポンドをくれ」。

次の日、老夫婦の息子が交通事故で死んでしまった。老夫婦には3万ポンドの保険金が支払われた。

老夫婦は息子の死を嘆き悲しんだ。そして、猿の手に「死んだ息子を返してくれ」と云った。

その夜、何者かの足音が老夫婦の屋敷の前で立ち止まると、扉をノックした。

ドアを開けてみると、埋葬されたはずの息子が立っていた。夫婦は慌てて、猿の手に最後の願いをした。

「息子を安らかに眠らせておくれ」

  この怪奇譚を翻案、「米国先住民の禁断」のスパイスを効かせたホラー小説の帝王S.キングが原作、そして自ら脚本をとった「ペット・セメタリー」(メアリー・ランバート監督、1989年)では、そのタイトル通り、埋葬した死者が蘇るとされるネイティブ・アメリカンの封印された墓地から、病死したペットの猫が蘇る。やがて主人公の医師夫婦のまだあどけない一人息子が交通事故で亡くなる。キングお得意のメリーランド州の荒涼とした背景の中、冷たくなった息子の遺体を抱えながら悩む父親。子を持つ親なら誰もが心が痛くなる悲劇である。

 先述の「ゴッドセンド」も瀬名秀明の「パラサイト・イブ」も、梶尾真治の「黄泉がえり」も、その物語の原風景はここにあるのだろう。

(注2)
 今昔物語の、このエピソードは、面白いことに日本の喜劇映画の金字塔「男はつらいよ、噂の寅次郎」(山田洋次監督、1978年)の劇中で主人公・車寅次郎の口から語られる。

 お彼岸の時期、信州の田舎で寅次郎(渥美清)は、たまたま土地の古刹巡りの一人旅をしていた博(前田吟)の父親・諏訪一郎(志村喬)とバスで出会う。寅さんはスポンサーが付いたのをいいことに、芸者をあげ、タクシーで寺を巡る。それを笑いながら見ていた一郎だが、寅次郎に「今昔物語」の一節を話して聞かせる。

 「ある男が非常に美しい女を妻にしたが、わずか1年でその女は病でこの世を去り、残された男はどうしてもそのおもかげが忘れられない。我慢ができず墓を掘り、棺桶を開けてしまった。妻の腐った姿を見て男は無情を感じ、出家して残りの一生を仏に仕えて過ごしたのだという」

 「人生の無常」に感じ入った寅次郎、葛飾柴又に戻り、この説話をおなじみの「とらやの面々」相手に神妙にかたってみせる。感心する「おばちゃん」に「ありがたいお話」の出典を尋ねられ、寅次郎がさらにいっそう神妙な顔で合掌しながら、(今昔物語をもじって)「こんにゃく物語」と答えるのがこのシーンの落ちだ。仏教徒(浄土真宗)でもある山田洋次らしい演出だ。

(注3)
韓国映画「トンマッコル」が描く統一の理想郷

 「トンマッコルへようこそ」という韓国映画を、会員諸氏はご存知だろうか?日本ではまだ未公開(今秋公開予定)だが、昨年韓国国内で史上最高800万人を動員し、話題を呼んでいるヒット作品だ。舞台は1951年、朝鮮戦争開戦当時、南北国境付近の平和な農村「トンマッコル」。戦争が始まったことすら知らないこの純朴を絵に描いたようなこの村で、南の兵士(「JSA」のシン・ハギョン)、北の兵士(「シルミド」のチョン・ジェヨン)、アメリカ兵士(スティーブ・テシュラー)が引き寄せられるように邂逅する。互いにいがみ合う3人も、純粋な村の娘や老人達の優しさにはじめはとまどい、やがて争いの無意味さに気づく、というストーリーだ。

 この映画、公開前から韓国お得意のネット海賊版が配信され、「戦争嫌い」の日本の映画ファンの間でも、すこぶる好評だそうだ。しかし、我々は、この映画が韓国で大ヒットした理由を、冷静に考えてみなければならない。なぜなら、この作品が「北も南もない理想郷」を描いたフィルムだからである。「地獄の黙示録」が戦争のもつ「リアルな悪夢」を描いたのに対し、「トンマッコル」は国境を越えた祖国愛を謳うファンタジーなのだ。

 韓国の対北外交が「太陽政策」ならば、北朝鮮の韓国向けのスローガンは「われらはひとつ:ウリナン・ハナ」である。いまや、それが現代韓国社会の望む夢となったのだ。いいかえれば、それは北の「ウリナン・ハナ:南北の平和的融合」のスローガンが、韓国映画界をも巻き込んで、確実に韓国世論に侵食している傍証に他ならないのである。

(注4)
 北の独裁者は、ことのほか「ドル紙幣の偽造」がお好きなようだ。しかも本物と寸分たがわぬ精巧なコピーを─。これをヒト個体クローン産生と重ね合わせると、おもわず背筋が寒くなる。
 筆者 略歴
澤 倫太郎  澤 倫太郎 (さわ りんたろう)
1958年生まれ。日本医科大学卒業。同大学院生殖発達病態学講師、同遺伝診療科講師。専攻は生殖医学・胎児生理学。文部科学省「生命倫理安全部会」委員、厚生労働省・生殖医療部会委員、「ヒト幹細胞を用いた臨床研究の在り方に関する専門委員会」委員などをへて現職。日本産科婦人科学会代議員、同会倫理委員会委員、元日本医師会常任理事。
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