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コラム
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「第三話「マルチ・スライド」連載小説(小説『年金の不都合な真実』)」 杉山 濫太郎
(掲載日 2007.05.29)
<舞台> アジアのとある国
<設定> 大きな内戦が終わってから60年がたった。その内戦は民族対立に端を発し、10年にわたった。疲れ果てた国民は難民として周辺国に流れ出し、周辺国の治安悪化が進んだ。対立していた国民は、強い外圧を受けてようやく和解したのだった。もともと勤勉な国民で、交通の要衝にも位置していたため、戦後60年でその国は急速な発展を遂げた。その一方で、国民の間に新たな火種ができている。それは「年金問題」だった。
<主な登場人物>
 ○東都大学准教授・・・西山勘助(にしやま・かんすけ)
 ○保険勤労省年金局企画課課長補佐・・・斎藤誠太郎(さいとう・せいたろう)
 ○夕刊紙「毎夕新聞」の記者・・・島谷涼風(しまたに・すずか)
 ○保勤省年金局数理調査課・・・三森数馬(みつもり・かずま)
 ○年金問題に執念を燃やす政治家・・・西郷竜一郎(さいごう・りゅういちろう)
 ○与党 民自党党首・・・川上一太(かわかみ・いった)
※ 日本人に読まれることを想定しているため、日本的な名前にしているが、他意はない。
<< 第ニ話 「母の想い」
<前回までのあらすじ>
 自殺した保険勤労省年金局数理調査課の三森数馬の母は毎夕新聞の記事を見て島谷涼風と連絡をとり、東都大学の西山勘助・准教授のもとをたずねた。

 ここは東都大学の西山勘助研究室。涼風は部屋の隅にあるコピー機に向かった。保勤省年金局に勤務をしていて自殺をした三森数馬の母、洋子と勘助は話を続けている。

 「まず、『マルチ・スライド』という言葉なんですけど、どういう意味なんでしょう」

 「マルチ・スライドは、最近、新聞でもよく見かけますが、きちんと理解している人は少ないでしょうね。簡単に言うと、年金の価値を実質的に落としていく仕組みなんです。正式名称は『社会経済マルチ・スライド』というのですが、そんなことはどうでもいいことです。中身は、年金を減らして、年金制度の延命をはかるものなのですから」

 「そうおっしゃられても、いまひとつわかりませんわ」

 すると、勘助は財布から千円札を取り出した。

 「そうですね。ここに千円があります。いま、これでリンゴが10コ買えるとします。物価が1割上がったら千円でリンゴはいくつ買えますか」

 「そうですね、10コは買えなくなりますね。9コ買って、10円おつりが来ます」

 「その通りです。物価が上がっても年金額が上がらないと、年金生活者の生活は悪くなりますね。マルチ・スライドのねらいのひとつはそれです。そして、物価が上がった時に、現役の人たちの生活はどうなるでしょう」

 「その分、給料が上がればいいですけど、上がらないと生活は苦しくなりますね」

 「逆に物価を上回る賃金上昇があれば生活はよくなる。あと、給料が上がらないでも、物価が下がれば生活はよくなります」

 「年金額や給料の額といっても、相対的なものなんですね」

 「これを理解することが年金問題のポイントになっています。金額はどうでもよくて、年金や給料の『価値』が大切なのです。30年前の千円と、いまの千円の価値が同じだという人はいませんよね。

  いまの年金の議論で、川上一太首相は『年金額は下げません』と言っていますよね。でも、『年金の価値は守ります』とは言いません。額は守っても価値は守らない。それが保勤省の戦略です」

 涼風は、1ページ1ページ、丁寧にめくりながらコピーをしているので、2人の話がよく聞こえる。(何度も聞かされた西山先生の持論だけど、きょうは、特に熱がこもっているわ)。

 洋子が思い出しながら話を続ける。

 「そういえば、数馬が『これから年金はあてにできなくなるからかあさんも老後のことはきちんと準備をしておかないといけないよ』と言っていました。その時、私は『担当しているあなたがそんなこと言ってたらだめじゃない』なんて諭すようなことを言っていたんです。いまのお話をうかがうと、ノートに書いてあることが少しわかった気がします」

 「この国の年金は、かつて、物価が上がっても、賃金が上がっても、年金生活者が現役世代の生活についていけるように、年金額を上げてきました。それを『物価スライド』とか、『賃金スライド』といいます。物価スライドは物価が上がっても同じものが買えるように、賃金スライドは現役世代の賃金が上がってもそれに合わせて生活をよくすることができるようにするものです。

 それを少しづつ削ってきたのが『年金改革』です。むかしの年金といまの年金は質的にかなり変わっています。これから年金をもらう人はいまの恵まれた年金をもらっている人と同じというわけにはいかないのです」

 「数馬は、そんなことを知らずに保勤省に入ったので、いろいろ考えたようです。日記の最初のころは、おっしゃれらたようなことが専門用語を使っていろいろ書いてあるようです。それは受け入れているようですが、そのあとのことで、企画課といろいろともめているようなのです」

 「なるほど、そうかもしれませんね。マルチ・スライドまでは若い人は受け入れるでしょう。我が国でも少子高齢化が進んで、若い人の負担は増える一方ですから。問題は、その運用の仕方です。分かりやすくいうと、保勤省の都合のいいようにしろ、という指示を受けて、数理調査課に無理難題が来ているのではないでしょうか」

 「おっしゃる通りなのだと思います。専門的なことは私には分かりませんが、いろいろとやりとりがあって、特に、斎藤誠一郎課長補佐との関係ではいろいろと悩んでいたようです。私は、数馬を死に追いやったのは斎藤補佐であり、保勤省だと思いました」

 涼風はコピーする手を止めて振り返った。洋子は毅然として続けた。

 「このままでは数馬が浮かばれません。私はこの事実を世間に訴えたいと思っています」

 「島谷君、こちらに来てくれますか」

 勘助に呼ばれて涼風は机に戻った。勘助が涼風の目を見ながら話す。

 「おかあさんの気持ちを実現したいと思うのですが、どうですか」

 「はい、私も同じ思いです。どのようなことができるかわかりませんが、持ち帰って先輩記者とも相談したいと思います」

 「この話は読者に伝わらないと意味がない。そのためには、わかりやすく、丁寧に書いていく必要がある。三森さん、この日記を抜粋して使うことができますか」

 「はい、数馬も許してくれるでしょう。ぜひ、使ってください」

 「では、この日記のポイントになる部分を使って連載をすることができるかどうか、島谷君、相談してみてください。場合によっては、私が解説をつける形になってもいいですよ」

 「わかりました。そういう企画なら通るような気がします。では、取り急ぎ、コピーの残りをさせてもらいます」

 「では、我々もこの日記を読ませていただいて、あす、改めてこの日記の勉強会をしましょう。そのうえで毎夕新聞で検討してもらうということでどうでしょう。それでいいですね、三森さん」

 涼風にしてみれば願ってもない話だった。(いけそうな企画)と思ったものの、中身がわかるかどうか自信がなかった。その解説までしてくれるというのだから、記者としてみればタナボタのような話だ。

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