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(掲載日 2007.05.25)
病院排水のリスクを考える
投稿者  森 宏一郎
 皆さんは病院排水について考えたことがあるだろうか。

 日常生活を送る中でも、排水について深く考える機会はほとんどないのだから、病院排水など思いつきもしないのではないだろうか。

 改めて病院排水と言われると、何となく危ない話があるのではないかという気になってくるかもしれない。

 病院排水のリスクについて考えたい。

 病院からはさまざまなタイプの排水が出されている。病院排水として特殊性のある排水には、油分を多く含んだ厨房排水、放射性(RI)排水、検査室等からの薬品系排水、透析排水、手術室や救急処置室や解剖室等からの感染系排水がある。

 ところが、これだけさまざまなタイプの排水が出されているのに、放射性排水を除いて、病院排水(特に感染系排水)を対象とした明確な規制は存在しないのだ。病院排水は、排水の一般的な基準値内で取り扱われているだけなのである。

 1970年代、工場排水に含まれる重金属類による公害問題が頻発した。それによって、水質汚濁防止法の中で、工場排水は明確に重金属類等の排出基準により規制されている。

 ところが、水質汚濁防止法において対象とされている病院排水は、病床数300以上の病院に設置されている厨房施設、洗浄施設、入浴施設だけとなっているのだ。感染系排水や薬品系排水は明確な対象とはなっていないのだから、驚くばかりである。

 これには、いくつかの問題がある。

 一つ目は、水質汚濁防止法で与えられている排水基準は濃度で管理されており、希釈されていれば、全てパスするということだ。それは、環境負荷(=濃度×排水量)のことを考えていない。

 いろいろなタイプの排水が一般排水と混ざり合い、さらに上水によって希釈されると、感染系排水や薬品系排水に何の処理もしなくても、一般的な排水基準をクリアしてしまう。そうして、そのまま放流しても何の差支えもないのが現状なのだ。

 次に、病原体を規制する値として、大腸菌群数だけが与えられているのだが、昨今、殺菌で問題になっているのは病原菌よりもウイルスや原生動物なのだ。病院排水については大腸菌群数だけの管理では不十分なのではないか。

 また、細菌類を念頭に置くとしても、病院について、この大腸菌群数の基準値が他の事業系排水と同等で良いのか。こうしたことを問い直すべきだ。

 もう一つは、排水基準にはpH値が含まれているため、薬品系排水については中和処理が行われている場合が散見される。しかし、それ以外には具体的に薬品系排水を規制できる項目は見当たらない。共通している項目はあるだろうが、主に工場排水を想定した基準値項目と見られる。

 薬品系排水については、下水処理場の生物活性汚泥に対する悪影響が指摘されているが、抗生物質を含む薬品系排水によって、薬剤耐性菌が水環境中で生み出されるという悪影響も懸念される。しかし、研究蓄積はほとんどないのが実情である。

 ゴータマ等によれば、一般的に、病院排水について次の3つの問題があるという(※1) 。(1) 殺菌処理されていない排水には、多種多様な病原体が含まれており、病原体の伝播リスクがあること。(2) 病院排水にも重金属類などが含まれており、他の産業排水と同様の汚染リスクがあること。(3) 薬品系排水のリスクがあること。特に、抗生物質の流出によって、耐性菌が生み出されるリスクがあること。

 一つ目の病原体の問題について考えよう。そもそも希釈された病院排水にそれほど多くの病原体が含まれているのかと訝しく思われる方もいると思う。しかし、そういう科学的な報告がある。

 例えば、チトニス等の研究によれば、一般家庭からの排水には多剤耐性菌はほとんど含まれない(検出率0.0000011〜0.025%)のに対し、病院排水には多く含まれている(検出率0.58〜40%)ことが分かった。サルモネラ菌や赤痢菌では、病院排水における検出率はそれぞれ33.3%と14.6%であった(※2) 。日本でも、下水と同様に、病院排水から多くの薬剤耐性大腸菌が検出されたという報告がある(※3)

 では、具体的に、病院排水に起因して、病原体が伝播・蔓延するリスクは科学的に報告されているのか。東北大学の研究グループの研究成果に基づいて、科学的に明らかにされているノロウイルスの事例を紹介しよう(※4)

 医療機関における胃腸炎患者の排泄物、下水処理場流入水、下水処理水が放流されるポイントより下流の河川水、海水、養殖カキのそれぞれからノロウイルスを検出し、それぞれの塩基配列(RNA)を決定し、その系統解析に基づいて、ノロウイルスの汚染経路を明らかにしている。

 その結果、感染性胃腸炎患者から得られたノロウイルス遺伝子と、カキおよび河川水から得られたノロウイルスの遺伝子配列が完全に一致した。また、異なる時期のデータでは、下水処理場への流入下水、河川水およびカキから得られたノロウイルスの遺伝子の相同性が高かった。東北大学の研究グループによれば、遺伝子配列の96%以上が一致しているため、同一の株とみて差し支えないという。

 この結果は何を意味しているか。

 一つには、感染性胃腸炎患者に起因するノロウイルスが、下水道→下水処理場→河川→海→養殖カキというルートで環境汚染を拡大しているということだ。患者を多く抱える病院の排水は、当然、ノロウイルスの主要な排出源だ。

 次に、ノロウイルスに対しては下水処理場での排水処理が不十分だということ。下水処理場にはさまざまな排水が混入して流入していることを考えれば、感染系排水に対する下水処理場の処理能力を上げることよりも、排水の最初の出所である病院での処理を強化する方が望ましい。

 もう一つは、病院排水を起因とするノロウイルスは、養殖カキをはじめとする二枚貝等の体内に蓄積され、人間へ再び感染するという危険なサイクルを持つということだ。近年、世界的にノロウイルスが蔓延し、日本でもかなりの数のノロウイルス感染のニュースが報告されているが、このサイクルがベースになっている可能性がある。

 科学的に明らかにされている研究結果としてノロウイルスの事例を紹介したが、病院排水には病原体蔓延のリスクがある。他にも病院排水を起因とした感染症があるかもしれない。この手の研究が必要だ。

 今のところ、どんなリスクがどのように出てくるかまで科学的に明らかにされているわけではないが、地球温暖化、気候変動、病気を媒介する昆虫類等の外来種の侵入などを通じて、既に指摘されているマラリアや西ナイル熱などの新たな病原体蔓延リスクも懸念される。

 さて、病院排水を対象とした明確な規制も他のインセンティブもない状況では、個々の病院が自発的に病院排水を適切に処理するということは難しい。個々の病院にとっては、コスト要因であるからだ。病院排水を対象にした明確な規制とともに、その規制をクリアするためのコストを公的に負担するメカニズムが必要になるだろう。

 病原体蔓延リスクを予防的に十分に引き下げておくことは、国民全体の疾病に係るコストを下げることにつながることであり、きわめて公的な対策であることに留意したい。医療安全と病院経営を両立させる政策が必要だということである。

 なお、隣国の中国では、病院排水を対象とした他とは独立の排水基準(2006年1月1日実施の「医療・衛生機構の水質汚染物質排出基準」)が与えられている。その中で、感染系排水が明確に区別され、大腸菌群数がより厳しく設定されている他、腸管系の病原細菌やウイルスの不検出など、いくつかの項目が追加されている。

 病院排水について、日本は、環境問題のデパートと揶揄される中国に後れを取っているかもしれない。

(※1) Gautama, A.K., Kumarb, S., and Sabumon, P.C. (2007). Preliminary Study of Physico-chemical Treatment Options for Hospital Wastewater. Journal of Environmental Management. 83: 298-306.
(※2) Chitnis, V., Chitnis, S., Vaidya, K., Ravikant, S., Patil, S. and Chitnis, D.S. (2004). Bacterial Population Changes in Hosipital Effluent Treatment Plant in Central India. Water Research. 38: 441-447.
(※3) 尾崎正明・諏訪守(2004)「6. 水環境中における薬剤耐性菌の実態に関する研究」『下水道関係調査研究年次報告書集』国土交通省, 国土技術政策総合研究所, 平成16年度.
(※4) Ueki, Y., Akiyama, K., Watanabe, T. and Omura, T. (2004). Genetic Analysis of Noroviruses Taken from Gastroenteritis Patients, River Water and Oysters. Water Science and Technology. 50(1): 51-56. 佐野大輔・植木洋・渡部徹(2005)「水中病原ウイルスによる水環境汚染の実態」『モダンメディア』52巻4号, 23-32. Ueki, Y., Sano, D., Watanabe, T., Akiyama, K. and Omura, T. (2005). Norovirus Pathway in Water Environment Estimated by Genetic Analysis of Strains from Patients of Gastroenterisis, Sewage, Treated Wastewater, River Water and Oysters. Water Research. 39: 4271-4280.
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