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(掲載日 2006.02.17)
サブテロメア領域の刻印
―染色体の片隅が叫ぶ真実―
<連載7> チンパンジーの染色体解析で明かされた「進化」の秘密
投稿者  澤 倫太郎
 日本医科大学生殖発達病態学・遺伝診療科 講師

 米科学誌サイエンスは、2005年の科学界における画期的成果「10大ブレークスルー」を発表した。そのトップに選ばれたのは「進化研究」である。進化研究は、国際チームによるチンパンジーのゲノム(全遺伝情報)解読や、ヒト遺伝子の個性を探る大規模共同研究の成果などから、進展著しい分野として選ばれた。

 チンパンジー22番染色体の解読が終了し、ヒトと類縁関係の一番近いチンパンジーのゲノム塩基配列の全容が明らかになったことの持つ意味は大きい。ヒトと他の動物の間に一 線を画すものは何なのか、その答えを探す旅の道標の1つ に辿り着いたのだから。ヒトとチンパンジーのゲノム配列を比較すると、遺伝子中の単一塩基の置換の違いが、わずか1.2%しかないことは、これまでも報告されてきた。しかし、全容が明らかになり、遺伝子以外のもっと長いDNA配列の重複や並び替えの違いを比べてみると、その差は2.7%に広がることがわかった。(注1)

 しかし、極め付きは、そのことをつきとめた国際研究グループの1つで、Barbara. J. Trask率いる女性研究者グループがとらえた新知見であろう。染色体の末端に近いサブテロメア領域をヒトとチンパンジーで比較してみると、遺伝子の重複や再編成などの変化――つまり、「分節重複」と呼ばれる配列のパッチワーク――が起きやすいことが示唆されたという。つまり、この領域が、両種間の遺伝的違い、つまり、人類とチンパンジーの進化の違いを読み解くホットスポットである可能性があるという。

 つまり、この領域が、両種間の遺伝的違い、つまり、人類とチンパンジーの進化の違いを読み解くホットスポットである可能性があるという。ヒトとチンパンジーの進化を分けた秘密−−。その1つが「サブテロメア領域」という染色体のほんの片隅にかくされていたというのである。

 このサブテロメアの話をする前に、まずは、DNAと遺伝子、染色体についておさらいしておこう。基本的なことだが、専門家同士でも会話しているうちに混乱してくることがあるからだ。

 染色体は、細胞核の中に存在するDNAと蛋白質の複合体である。染色体が細胞分裂の際に観察されること、そして、ヒト体細胞の染色体数が22対、それに1対の性染色体が加わって46本というのは基本理解である。誤解されることが多いのは、遺伝子は核の中にしか存在しないので、成熟すると核を持たなくなる赤血球には遺伝子は存在しないということである。採血された血液による遺伝子解析には、赤血球ではなく、幼若白血球という有核細胞が用いられる。

 (従って、映画「ジェラシック・パーク」の中で、「琥珀に閉じ込められた蚊の消化管に保存されていた恐竜の赤血球からDNAが抽出されて」というくだりは間違いである。優秀な医学博士であるマイケル・クライトンの原作では、ぬかりなく恐竜の「有核細胞」という表現が使われているのだが――。)

 一方、核以外の細胞質のミトコンドリアにもミトコンドリア遺伝子というのがある。このメカニズムは簡単で、卵子が核も細胞質ももつ細胞であるのに対し、精子は核と尻尾だけで細胞質がない。つまり、完全に母親譲りということである。こうしたミトコンドリア遺伝子を理論上さかのぼっていくと、全人類の母たる東アフリカのただ1人の女性・イブにいきつくというのが、「ミトコンドリア・イブ仮説」である。

 そして、DNAの一塩基を1ミリメートルとすると、全ヒトゲノムは3000キロメートル(北海道稚内から鹿児島市までの鉄道距離にたとえられる)、一番ちいさい遺伝子は1キロメートル、一番大きなジィストロフィン遺伝子は2キロメートルとなる。そして、多くの遺伝子は数十メートルである。そして、DNAの構成要素の一つである染色体でも、一番大きい1番染色体が250キロメートル(東京から浜松までの距離)、一番小さな21番染色体は55キロメートルである。

 したがって、DNAの点変異が原因になる遺伝疾患をみつけるには、日本列島全体から1ミリメートルの塵にも等しい部分を見つけるに等しい膨大な作業を要する。だからこそ、「連載2」で先述したように、スーパーコンピューターの演算スピードは不可欠なのである。

 そして、テロメアは、染色体の末端部分のことである(中央部分はセントメアと呼ばれる)。ちょうど鉛筆の両端にかぶせたキャップのようなもの、と言えばわかりやすいだろう。テロメアには特定の繰り返し塩基配列をもった部分があり、染色体の構造を安定に保つ機能がある。DNAが複製しても、複製の機構上、末端部分の複製は行われない。このため、細胞が分裂する度に染色体の末端部分であるテロメアは消耗され短くなっていく。(注2)そして、サブテロメアとはテロメアの周辺部分のことだ。

 Barbara. J. Trask氏の研究グループは、この染色体の片隅に、サルからヒトへの進化の秘密が隠されていると指摘したのである。ところが話はそれで終わらない。「これは、どういうことだ?」――。遺伝診療科の専門家たちは、この人類進化上の重要発見が内包する、もう1つの意味の深刻さを語るとき、声をひそめざるを得ない。専門家のヒソヒソ話ほどこわいものはない。チキン・リトルの話ではないが、本当に空がおちてくることだって、あり得るのだ。

 遺伝診療の現場では、この数年、子供たちの染色体の「ある領域」の解析にまつわる「危惧」がささやかれている。そして事実、遺伝診療の専門家たちは、「その部位」の染色体の解析をためらっているのだ。 専門家が解析をためらう染色体のある部位とは・・・・。それはまさに、チンパンジーからヒトへの進化を解き明かす鍵が隠されているとされる「サブテロメア領域」なのである。

 先端科学のゆるやかな潮流のなか、進化研究がたどりついた重要な最新知見は、まるで戸板返しが裏返ると、思いもかけなかったまた別のものが現れるように、ゆっくりとその裏面をみせはじめた。(注3)

 そして、事の重大さを誰よりも早く予見した遺伝診療の専門家たちは凍りついたのである。


(注1)
 チンパンジーの染色体はヒトより1対多い。なぜなら、ヒト2番にあたる染色体が2つに別れているからだ。従って、今回の一連の研究ではチンパンジーの22番染色体とヒト21番染色体のDNA配列が比較された。そこから得られた知見とは、ヒト21番染色体では偽遺伝子になっているのに、チンパンジー22番染色体では遺伝子として機能しているものがあること、ヒトでは「Alu配列」とよばれる反復配列が75か所でみられたのに対し、チンパンジーでは10か所にしかみられないことなどが明らかになった。この差が何を意味するのかは、まだ不明だが、「Alu配列の増幅」がサルからヒトへの進化に関連があるのではないかと考える専門家もいる。

1968年、ピエール・ブールの同名原作をベースに、フランクリン・J・シャフナー監督、チャールトン・ヘストン主演で作られた「猿の惑星」は、そのドラマチックな展開とショッキングな終焉で映画史に残る傑作SFとなった。(ピエール・ブールは、第2次世界大戦中、フランス軍従軍時代にマレーシアで日本軍捕虜となった「悪夢のような体験:逆差別」を小説化したのである。その原体験は、あの「戦場にかける橋」も生み出している)

 2001年にティム・バートン監督によってリメイクされた「PLANET OF THE APES・猿の惑星」では、ディープ・スペースへと開発の手を伸ばす人類の相棒として、遺伝子操作により、高い知能をもったチンパンジーが登場する。深宇宙スペース・ステーション、オベロン号に乗ったチンパンジーのパイロット、ペリクリーズは、惑星間の偵察に目を光らせていた。そんなとき、宇宙空間に大規模な磁場の異常が認められ、ペリクリーズは偵察ポッドに乗り込み調査へと向かうが、磁気嵐に巻き込まれ交信不通となってしまう。相棒を救出するべく、宇宙飛行士レオ・デイビッドソン(マーク・ウォルバーグ)は上官が止めるのも聞かず、宇宙へと飛び出して行く。そして、彼らがたどり着いた惑星は・・・というストーリーだ。ラスト、無事地球に生還したレオが不時着したのは、首都ワシントンのリンカーン記念堂前の広場であった。

 ご案内のとおり、1963年にルーサー・キング牧師が、「奴隷解放宣言公布100周年」記念式典で、あまりに有名な「私には夢がある」の演説をおこなった場所だ。不時着した偵察ポッドから降り立ったレオの目にした、あまりに皮肉な結末とは・・・。ティム・バートンが用意したのは、いまだに差別と戦い続けなければならない現代アメリカへの痛烈な風刺だ。

(注2)
 ヒトの上皮細胞(HMEC)は55-60回の分裂の後、分裂を停止する。これが細胞、強いてはヒトの老化や死と関係すると言われて、しばしば、体細胞を使って作られたクローン動物が短命に終わる理屈に使われる。

(注3)
  鶴屋南北作「東海道四谷怪談」より。砂村隠亡堀に流れついた杉板が、民谷伊右衛門の垂れた釣り糸に掛かる。 はっとする伊右衛門に、お岩の肉脱した死骸が怨み事を言う。驚いた伊右衛門が「南無阿弥陀仏」と念じて戸板を突くと、戸板がバッタリ裏返って小仏小平(こぼとけこへい)の死骸が両眼を見開いて「薬を下され」と手を差し出す。歌舞伎でもよく知られたこの「仕掛け」は 名人といわれた大道具師11世長谷川勘兵衛(はせがわかんべえ)(1871−1841)の考案。

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