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コラム
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(掲載日 2009.12.08)

■「事業仕分け」の評価は高いようだが・・・

 民主党の旗印のひとつが「脱官僚」。郵政社長に元大蔵省次官の斉藤次郎氏が任命されたのには驚き、それ以上に白けた。どこが脱官僚かとの批判が噴出したのは当然だったが、その後の「事業仕分け」は、それを忘れさせるほど、国民の支持を得たようだ。

 アンケート調査によると、7,8割の人々が、行政刷新会議の「事業仕分け」を評価しているという。公開で行ったせいもあり、連日、テレビのニュースやワイドショーで大きくとりあげられた。国民の関心はいやが上にも高まり、官僚たたきの現場を目撃した国民は、「これぞ政権交代の効果」と、好意的に評価した。民主党の戦略は、大成功というべきだ。

 「一時間で」とか「素人が」の批判もあったが、官製予算のムダや問題点を具体的に暴きだした功績は確かにあった。予算申請された事業の名目は、実にもっともらしいが、その効果はきわめて不明瞭。しかも、事業につけられた補助金のほとんどは、天下り団体を経由し、その団体に天下っている官僚OBの報酬などに、「中抜き」されている。

 このことは、これまでもしばしば指摘されては来たが、具体的な事例を、国民の目の前に暴き出した功績は大きい。仕分け人に詰問されてオタオタする官僚の姿に、さぞかし多くの国民が溜飲を下げたであろう。

 スパコンをはじめとする科学技術や研究予算の仕分けについては、「旧帝大の学長」や「ノーベル賞受賞者」が揃い踏みで会見して抗議するという、花(?)も添えられ、小泉改革とはまた違う新たな劇場型政治が展開しつつある。

 私たち国民は、官僚たたきに溜飲を下げ、ムダが排除されたと喜んでいてはならないのだ。事はもっと複雑だからである。この事業仕分けは財務省の戦略、すなわち国民ための社会保障や経済対策の予算をも、ムダとして切り捨てる戦略の第一幕かもしれないからである。

■仕分け人に配られた財務省作成「マニュアル」

 すでに多くのマスコミが伝えているように、この「事業仕分け」を仕切っていたのは、実は財務省である。

 私が知る限り、財務省主導の事実を最初に明確に報じたのは時事通信だ。11月17日、時事通信社は、行政刷新会議の事務局が極秘の査定マニュアルを作成し、民間有識者などの仕分け人に配布していたと、配信した。

 「財務省の視点に基づき、仕分け対象事業の問題点を列挙、各担当省庁の主張に対する反論方法まで具体的に指南する内容。政治主導を掲げた事業仕分けが、財務省主導で進んでいる実態が明らかになった格好だ」「マニュアルに従えば、対象事業に詳しくない仕分け人でも、問題点を指摘できる仕組みだ」(『時事ドットコム』から)。

 マニュアルはきわめて具体的だ。各事業の論点を列挙し、“見直しが必要”など結論まで示唆している。さらに、省庁の反論を予測し、その再反論の仕方まで伝授しているとい。この事実を、産経新聞は翌18日の一面トップで「財務省指南?マニュアル存在」と大きく報じたが、なぜか他のマスコミはほとんど無視したのである。

 だが、その後、事業仕分けを仕切っているのが財務省であることは“なし崩しに”報道され、いつのまにか周知の事実となった。つまり、ほとんどのメディアが、財務省主導の仕分けであったことを、ニュースとして扱わなかったのである。その事実は、徐々に吸収され消化されて、大きな問題として扱われる機会は失われた。

 もちろん、「脱官僚と言いながら財務省依存か」との批判がなかったわけではない。しかし、財務省主導は、重大問題として議論の対象とはならず、見逃されたのである。事業仕分けに対する国民世論の支持が高いこともあり、初めての政権であり、時間もなく不慣れな中で、従来、“予算査定”を行ってきた財務省主計局を利用するのは致し方ない、むしろ当然との空気が強かったからである。

■「予算削減」で、日本経済崩壊の危機

 財務省主導で何が問題か。第一に、デフレ経済が続き、二番底の懸念も強い経済状況の中にあって、経済を底支えするための施策よりも、まず予算削減が先行したことである。

 民主党が政権についてまず行ったのが、麻生政権の補正予算の凍結である。民主党は、14兆7千億円の補正予算のうち4兆円以上が経済効果がなくムダであるとし、より意味のある対策実現のための財源確保をめざし、少なくとも3兆円の執行停止を洗い出す作業に着手した。

 結果、ただでさえ遅れていた景気対策は、このせいで、さらに一層遅れることとなった。対策が遅れれば遅れるほど、事態は悪化し、同じ対策であっても、その支える力は弱くなる。対策の遅れが、最大のムダなのである。歳出の規模にだけこだわり、時間のムダ遣いはムダと認識できないのは、いかにも財務省的な発想だ。

 民主党の麻生補正予算の凍結は、もっと良い薬を出すからと言って、代わりの薬も渡さぬうちに、今飲んでいる薬を取り上げるようなものである。仮に、もっと良い薬を本当に与えることが出来たとしても、ときすでに遅く、患者の命が失われてしまっているという危険は考えてみないのか。

 しかも、その上、概算要求のやり直し、事業仕分けで、さらに経済対策は遅れたのである。民主党が経済を新たな補正予算の議論に入ったのは、12月を迎えてからである。政権発足後、すでに3ヶ月が過ぎようとしている。オバマ政権が、発足前から何よりも経済対策を優先させたことと、あまりに違いすぎる。 

 ムダの洗い出しは必要だが、少なくとも危機的経済状況で、第一に優先させるべきことではない。そもそもムダを無くしたいなら、一つ一つの事業仕分けなど行わずとも、天下り団体を経由させ補助金の中抜きするという予算執行の「構造」を、正せば済む話だ。なぜそうしなかったのか。

 そうした構造の問題は、もちろん財務省にも共通だからだろう。財務省自身を安全圏に置き、歳出を削減するためには、個別の事業仕分けこそが必要だったのである。つまり、事業仕分けは、他省庁の予算を削ることが目的だったのである。3000ある事業のうち、今回の仕分けの対象になったのは447、その大半が財務省が選択したものである。しかも、仕分け対象となっている財務省の事業は、他省庁に比べて極端に少ない。あまりに少ないとの批判を受けて、藤井財務大臣が追加を支持したが、それでもたったの8事業だったのである。

 多くのマスコミが、族議員に阻まれて出来なかったムダの排除が、公開仕分けによって初めて可能になったと支持したが、仕分けの基準はなんだったのか。

 事業仕分けの基準が明確でないとの、当然の批判も挙がったが、ある意味で、基準は明確だったのだ。財務省の省益重視という基準である。「ムダを排除」「財政赤字の削減」と言うと聞こえは良いが、しかし、本当にムダを排除したいなら、なぜ財務省は例外なのか。

 財務省主導で行われた事業仕分けの本当の目的は、ムダの排除ではない。ムダであろうがなかろうが、他省庁の予算を可能な限り削減し、もって歳出を削減することにある。

■「生活第一」ではなく「財政第一」でよいのか

 それのどこが悪い、と多くの人が言うであろう。「財政再建」は、今や誰も疑わない国家的課題である。財政赤字が巨額であることは事実だ。しかし、なぜ、これほどの財政赤字が累積されたのかと言う分析はほとんど行われていない。公共事業や景気対策などのムダやバラマキのせいだ、という財務省の言い分をほとんどの国民が信じているからである。財政赤字の犯人は、利権や票を求めてゴリ押しする政治家であると。

 しかし、巨額の財政赤字の真犯人は実は財務省である。データを見れば明らかだが、財政赤字のほとんどは、税収不足を補うための国債発行である。1990年には60兆円あった国の税収は、今年は37兆円にまで減少する見込みである。来年度はもっと減るであろうと言われている。

 財政赤字の最大の要因は、経済悪化による税収不足なのである。バブル破裂後、ほぼ一貫して悪化してきた日本の財政状況が、改善された時が二度ある。最初は、小渕政権の景気対策で経済が回復しかけた時。二度目は輸出増加で景気が持ち直した小泉政権の後期。

 つまり、財政赤字は税収減少の裏返しであり、税収の減少は経済悪化がもたらしたものである。つまり、財政赤字がこれほど巨額になったのは、あまりにも長く経済低迷が続いたからである。そして、経済低迷が続いたのは、財政再建を理由に、必要な対策を行わなかったせいである。

 中国がいち早く金融危機から脱出したのも、米国経済に回復の兆しが見えてきたのも、果敢な政策支援があったからである。一方、日本は、新興国にはもちろん、欧米の先進各国に比べても、回復が大きく遅れている。もっとも傷が浅かったはずの日本が、最も回復が遅れているのはなぜか。どんなに傷が浅くても、治療を怠れば、治癒が遅れるのは当然である。

 つまり、経済悪化と税収不足、すなわち巨額の財政赤字の真犯人は、ほかならぬ財務省なのだ。日本経済や国民生活の再建を犠牲にしてまで、「財政再建」を優先してきた財務省自身が、責めを負うべきなのである。日本経済と国民生活の再建を後回しにして財政再建など不可能であることにいつになったら、財務省は気がつくのであろうか。

 財務省主導であることの最大の問題は、これまで以上に「財政再建」が重視されることである。民主党の「生活第一」は幻に終わって、「財政第一」の行政が行われる懸念は、決して杞憂ではないだろう。  

■「国民福祉税」トリオ復活に象徴される民主政権の実態

 政治主導を標榜しながら、実は財務省主導である民主党政権の実態は、事業仕分け以前から、明らかだった。郵政社長に斉藤次郎氏を任命したことに、それは隠しようもなく現れていた。

 斉藤次郎氏といえば、誰しも思い出すのが、「国民福祉税」だ。94年2月、細川首相が真夜中の会見で発表したのが、消費税の突然の増税だった。3%の消費税を廃止、福祉目的の国民福祉税を新設し7%にするとの説明は、聞こえは良いが、福祉のオブラートで増税を飲み込ませようという、国民を見くびった戦略だった。しかも、細川首相は「なぜ7%か」という当然の質問に、一言も答えられず、人気の改革派総理がまったくの操り人形であることまで露呈した。

 細川政権の実権が小沢一郎氏にあったことは国民周知の事実である。だが、おそらく小沢氏は、権力の掌握・維持にしか関心がなく、政策は大蔵省に丸投げ同然だった。細川政権が、一名、大蔵省政権と呼ばれた所以である。

 その大蔵省の当時のトップが斉藤氏。ちなみに当時の大蔵相は、現財務相である藤井裕久氏だ。国民福祉に名を借りて増税を画策したトリオが復活したことになる。

  斉藤氏と郵政は思い切りミスマッチだ。そもそもバブル破裂後の経済悪化の中で、国民生活を支える政策どころか、省益拡大のための増税を画策した人物 。

 バブル破裂後、20年、日本経済は長すぎる不況に疲れきっている。そこに追い討ちをかけたのが、世界金融危機。その上、急激な円高に、自民党以上に財務省依存の政権の誕生である。日本経済と国民生活は、きわどい崖っぷちにいる。
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