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コラム
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「上手な医者のかかり方」 楊 浩勇
(掲載日 2006.01.31)
 医師という職業についてから早いもので17年が経った。この17年の間で、医療を取り巻く環境、そして医師と患者の関係、医師に求められている人間像が劇的に変化しているように感じる。診療をしていて、最近特に感じるのは医師にかかるのが下手な患者が増えたということである。

■患者は師なり、師から学べ

 ある名人板前から、良い店は良い客によって作られるものだということを聞いたことがある。それを聞いて、医療機関も同じように患者によって育てられるものだと思った。大学の医学部で学ぶ医学は、科学をベースとしており、論理的に積み上げたものであり、知識として学ぶものである。しかし、実際の医療とは本質的に診療現場における出会いと記憶から生まれてくるものだと感じる。医師は診察を通じて、患者とともに喜びと痛みをシェアして、心に刻みながら自分なりの医師像というものを築いていて行くものだと先輩医師達から学んだ。

 「患者は師なり、師から学べ」。地方の病院に出向してしばらくした時に、恩師である故植村恭夫先生が贈ってくださった言葉である。医学部を卒業後、大学の眼科学教室に入局した。その後、入局後わずか13カ月目にして東京から遠く離れた三重県伊勢市にある大学付属病院に単身で赴任した。その当時、医局は人員不足であり、信じられないことに研修医が1人で大学付属病院の眼科診療を担当することになった。眼科医は院内に1人しかおらず、研修医が部長代理である。
 
 医師として未熟であることは百も承知で、赴任先には山ほどの医学書を持参した。自分の手に負えない症例は、遠く東京まで患者を紹介するわけにはいかず、重症の患者が受診して来ないことを毎日祈った。幸い、赴任当初の不安は取り越し苦労であった。すぐに監督者のいない自由な環境を謳歌し、松阪牛、伊勢エビ、アワビ、牡蠣を楽しんだ。外来を受診する患者の多くは結膜炎や、花粉症など軽い疾病が多く、単純な診察の繰り返しであるように感じた。

 植村先生からの手紙はそんな時に届いた。手紙には「患者は師なり、師から学べ」と書かれてあった。研修医が大いなる誤解をしていることにお気づきになり、戒めの言葉をくれたのだろう。植村先生の眼力に恐れを感じたと同時に、患者に申し訳ないと思うようになった。それからは、機器が揃わない地方にいてもできること、「軽い病気」から学ぶことを考えるようになった。この患者は何を教えてくれるのか?謙虚な言葉使いと姿勢になった。診断と治療が正しかったかどうかは、次回来院時に患者が教えに来てくれる――。

 そもそも「軽い病気」とは医師が勝手に判断したもので、患者にとってはたいへんな悩みであることを患者から教わった。その後、近視治療やドライアイなど医師が従来「軽い病気」と思っていた病気を研究するきっかけとなった。医師は患者や病気との出会い、患者の病気と向かい合う姿勢、患者との関係から学び、大きく影響を受けるものであるということを知った。

■医療の理想と現実に悩む

 福沢諭吉先生の「医に贈る」と題する七言絶句がある。

 医に贈る

 この意味は以下の通りである。

 医学は天と人との限りのない勝負である。医師よ『自然の回復を助ける立場である』などと言わないでもらいたい。離婁(百歩離れた場所にある毛ほどの小さなものも見分ける視力をもつと言われる中国の伝説上の人の名)のような眼力と、麻姑(仙女の名:ものごとが思い通りになること)のような手によって、手段をつくることこそ医学の真髄なのだ

 「医療はどのような患者に対しても平等に接し、そして全力を尽くすもの」。医師はそれを目標にするように教わり、それを善としている。建前では社会全体でもそれを望んでいるが、医療に費やされる社会的な資源には限界があるという現実もある。医療制度や、医療提供体制、限りある医療資源のなかで、「できる限り」平等性を保ち、現状を踏まえて「出来る限り」の力を出すということを現場で患者と向いながらバランス良く実行することはとても難しい。この理想と現実のギャップで悩み苦しむ真面目な医師が最近多いのではないだろうか。

 医療に関わる多くの社会問題の根本的な原因には、人間である医師が同じ人間の治療を行うことの難しさ、医学は完璧な科学ではないという2つの不完全性にあると考える。伝統的に医師は患者の前で医学そして医療が完全なものに近いかのように振る舞って来た。それは決して欺きや自信過剰から来るものではなく、医療の不完全さを補い、治療効果を高めるための手法であったと考えられる。しかし、医療分野にも情報の開示が求められるようになり、この伝統的な手法が使えなくなって来た。

 良い治療効果が得られるためには、正しい診断、正しい処置、正しい処方が大事であるということは言うまでも無い。しかし、科学技術が発達し、そして情報開示が進んだ現在では、「気持ち」の重要性が増して来たように感じている。治りたいという気持ちと、治ってほしいという気持ち、信じる気持ちである。どのようにすれば患者の気持ち、医師の気持ちが高まり、そして一つにできるかが、これからの医療界のテーマになるものだと信じている。

 最近、診療をしていて、少し残念に思うのは、礼儀を欠く失礼な患者が多くなったことである。なぜ患者がそのような態度をとるかということにも思いを馳せなければならないのかもしれないが、医師の気持ちを上手に引き出す賢い患者が増えてほしいと思う。さらに、社会全体としても患者と医師の気持ちと信頼が高まるような制度政策、風潮を作って行ってもらいたい。
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