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医療が失いつつある「大切な何か」楊浩勇
(掲載日 2005.5.17)
 日本の医療は「危機的状況」にあると言われる。その殆どは制度面や財政面、または、医療経営や安全管理に関わる問題に注目が集中している。しかし、現場で診療をしていると、隠れた危機は「失われる医療の本質」にあるのではないかと、危惧の念を抱いている。

 「パッチ・アダムスと夢の病院」という本がある。その本の前書きには、今の日本の医療が直面しつつある状況が書かれている。「医療技術の進歩によって、不治の病と思われていた病気にも救いの手がさしのべられるようになった時期から、医者と患者の間で戦いが始まった。信頼と協力がもっとも必要な場でありながら、お互いに尊敬の気持ちなど生まれず、不信感ばかりが募るようになったのである。いま思い返しても、私たち医師が失してしまった大切なものに気がつくと、耐えがたい気持ちになる。その失ったものとは、夢である。苦しんでいる人々を救いたいという慈愛の心と、医学への情熱あふれる医師という職業にかけた夢である」。

■米国の80年代と酷似する日本の現状

 「パッチ・アダムスと夢の病院」は、1980年代の米国を舞台に書かれた実話である。80年代と言えば、ロナルド・レーガン大統領の時代であり、米国は不況に喘いでいた。財政赤字と貿易赤字が問題となり始めた頃であり、製造業の国際競争力が低下した時代である。自動車会社クライスラー(当時)の社長であったアイアコッカ氏が、従業員の医療費負担が国際競争力低下の大きな要因であると発言したのは有名な話である。

 医学と医療技術が急速に発展した時期でもある。より正確な診断と先進的な治療法が医師と患者の選択肢を広げ、患者の生きる希望と医師のやり甲斐に光を与えるように思えた。しかし、不況と医療技術の進歩に伴う高騰により、政府は医療費抑制策を強化するようになり、83年には公的医療保険であるメディケアにDRG/PPSが導入され、84年にはPRO(Peer Review Organization)による利用審査が始まった。また、企業も雇用者の医療保険の負担増を抑制するために、民間医療保険を管理型医療保険であるマネージドケアにシフトした。

 今の日本の医療がおかれている状況は米国の80年代に酷似している。財政難とそれに伴う医療費抑制策。医師の自由裁量権は危うくなり、医療は管理化されつつある。各界の改革機運の高まりや、情報化、消費者意識の変化、医療に経済性とアメニティやサービス性を求める流れに便乗して、変化がより一層加速して来た。外来で患者を診察していると、この数年で患者と医師の関係に微妙な変化が生じている。態度が横柄な患者や、攻撃的な態度や質問をする患者、明らかに不信感を露わにする患者が増えた。今、まさに医療がサービス業化、医療自体がビジネス化していく分岐点に立たされていると感じる。

■医療問題は複雑系

 医療に関わる問題を、あたかも機械のごとくみなし、それを単純な要素に分解して細かく調べ、分析して、論理的に問題を解決しようとする「機械的世界観」や「要素還元主義」では、複雑である医療の問題は解決できない。この問題が複雑なのは、人間は機械ではなく、日々変化する生き物であり、心があり、情緒があり、変化するものだからである。また、患者の治療にあたる医師もまたロボットやコンピュータではなく同じ人間である。患者は人間なのだから、それぞれの体質に違いがあり、個性があり、個人差もある。医師は人間なのだから、日によって気分も違うし、直感が冴える日とそうでない日もある。人が人を診るのだから、複雑さも二乗三乗となる。ましてや社会全体としての医療問題はまさに「複雑系」である

 医療を経済的側面、政策的側面、経営的側面、科学的側面などの専門領域別に分割して研究しても、それは「群盲象を撫す」であり、問題の全体像と本質が見えて来ない。複雑な医療問題を、その課題を論理的に分析して、要素として分割した瞬間に失われる「大切な何か」がある。患者と接する臨床家はその「大切な何か」を感じて、憂いているのである。

 医療職の仕事に対するモチベーションは単に金銭的報酬だけではない。それは全ての職種に言えることであるが、医療職は特にその傾向が強い。目の前に痛みや苦しみで困っている人がいて、手を差し伸べるというのは、自然な行為である。そこには報酬への期待は第一優先ではなく、自然と手が出るのは人間の本能である。人は他人を癒すことによって自分が癒されることを知っている。患者からの感謝の言葉や笑顔、気持ちのこもった御礼の手紙は、医師にとっては、何物にも換えがたい癒しである。

 医師には、是非ともビジョンと情熱も持ち、患者を診る喜びと職業としての自信を取り戻してほしい。制度や政策は、医師は性善であるという前提で、やる気を出すような配慮がほしい。医師という職業にかけた夢を失わないように。

参考書籍 「複雑系の知」(著者:田坂広志、講談社)


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