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参院選の「一票の格差」国政への主権力に差を付けるな

桐山桂一 ジャーナリスト

七月にあった参院選の「一票の格差」は最大三・〇三倍ありました。

国会議員一人当たりの有権者数が最少の福井選挙区と最多の神奈川選挙区とを比べた場合です。つまり福井の有権者は一人一票持っているのに、神奈川の有権者は〇・三三票の投票価値しか持っていなかったことになるわけです。

明白に不平等といえます。この選挙をめぐって全国で訴訟が起き、既に高裁判決が出ています。「違憲」としたのが一つ、「違憲状態」が八つと厳しい判断が続きました。「合憲」も七つありましたが、判決文を読むと、司法が選挙制度の抜本改革を求めている点では同じです。

なぜ一票の格差が問題となるのでしょうか。筆者は「国民主権」なのに、地域によって国政に及ぼす「主権の力」に差別が起きているからだと考えています。

女性の参政権が認められたのは戦後のことで、今では女性が投票することは当たり前になっています。でも仮に男性が一票で、女性が〇・五票の投票価値しかなかったらどうでしょう。もちろん、「性別による差別だ!」と怒号が上がることでしょう。

学歴によって差が設けられている場合はどうでしょう。英国ではかつて、一般庶民は一票なのに、大学卒業の人だけが二票持っていた時代がありました。

十九世紀の英国の哲学者J・S・ミルが、賢明さと知識量が卓越した人に「複数の投票権を与える」ことが正義だと提案したためといわれます。船に例えれば、乗客よりも、船長の方が航海の知識が豊富です。安全に目的地に到達できるので、船長には複数の票を与えてもいいと考えたわけです。

ですから、大学卒業者は自分の居住地で一票、さらにオックスフォード選挙区で一票、ケンブリッジ選挙区で一票という具合に、二票あったのです。

こちらも明白に学歴差別の選挙制度です。もちろん英国でもこの制度はなくなっています。残っていたなら、「ノー!」の声が上がるのは間違いありません。

収入や財産によって投票権の有無が決まる制度はどうでしょう。ご存知のとおり、明治時代は一定の税金を納めた人だけが選挙権を持つ選挙制度でした。これも現在は許されるものではありません。

つまり民主制とは、性別を問わず、学歴を問わず、若者もお年寄りも差をつけず、富める者も貧しい者も等しい一票を行使することで成り立っている―そう考えるのが基本だといえます。

では、「一票の格差」はどうでしょう。この問題は、住んでいる都道府県、つまり地域によって「格差」が生じる選挙制度です。七月の参院選は最大三・〇三倍の格差があったと申し上げましたが、三倍以上の格差があった都県は、宮城と東京、神奈川で、全人口の二割を占める状態でした。

原告側が「不当に被害をこうむった被害者は二千百万人超も存在している」と主張するゆえんです。

わかりやすく、次のように説明してみましょう。

人口が等しいA県とB県があったとします。でも、A県では議員一人しか選出できないのに、B県は議員三人を選出できる!―これが三倍の格差がある状態です。

つまりA県の有権者が国政に振るう力はB県に比べ、三分の一しかないことになります。代表民主制ですから、国政選挙で国民の「主権」を発揮できる力が著しく異なるならば、まさしく不正義といえるでしょう。

憲法前文は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」の一文で始まります。議会制民主主義であり、国民主権ですから、国会議員を選ぶときは、国民の主権が正しく行使されねばなりません。判決文に「憲法が投票価値の平等を求めている」と書かれたりするのも、根源はそこにあるのでしょう。

ですから、筆者は可能な限り投票価値は平等にせねばならないと考えます。

それでも今回も高裁で「合憲」という判決が出るのは「合区」を評価しているためと考えられます。「鳥取・島根」「高知・徳島」をそれぞれ一つの「合区」とする公職選挙法改正は二〇一五年にありました。それに基づいた二〇一六年の参院選について、最高裁は「合憲」。二〇一九年選挙でも最高裁は再び「合憲」としています。

しかし、四県の「合区」だけで格差は三倍超に固定されたままです。これを「違憲状態」とした大阪高裁の判決がわかりやすいので、取り上げてみます。

大阪高裁はまず「国民の意思を適正に反映する選挙制度が民主政治の基盤」であることを確認しました。そのうえで三倍超の不平等を「軽視することはできない」と明確に述べています。

「合区」導入の公職選挙法の改正から、「約七年継続しており、選挙制度の見直しが行われなければ、格差は継続し、常態化が危惧される」とも述べました。そして、そもそも四県二合区によって選挙制度見直しの目的が達成・終了したともいえないと…。

さらに過去の最高裁判例では、都道府県を単位とする方式を改めることなどで格差是正を図ることも求められていました。それなのに「立法府は格差是正を指向する姿勢が二〇一五年当時と比べて弱まっている」と大阪高裁の判決は指摘したのです。

確かに参院選の制度改革は足踏み状態というより放置状態でしょう。この現状を厳しく指弾する判決でした。

今回は高裁レベルの「合憲」判決は七つですが、前回の二〇一九年選挙時の高裁判決と比べると半減しています。つまり、
今回は厳しい司法判断が続いたとみるべきです。

国会は速やかに選挙制度の抜本改革に動き出すべきです。民主政治の基盤である選挙制度ゆえに、われわれも常に関心を持ちたいものです。

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桐山桂一(ジャーナリスト)

◇◇桐山桂一氏の掲載済コラム◇◇
「福島原発事故訴訟 危険性のグラデーション」【2022.9.1掲載】
「『3K政治』に抵抗して」【2022.1.6掲載】

2022.12.06