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先見創意の会

日本版 ❝善きサマリア人法❞を!

平沼直人 (弁護士・医学博士)

医師が診療に躊躇する現実を直視し,その解消を目指すことこそ社会正義

航空機内で「お医者様はいらっしゃいませんか」とドクターコールに遭遇した場合,少なからぬ医師が呼び掛けに応じるべきか否か躊躇している。

善意から出た行為について訴えられることを心配するのは杞憂に過ぎないとの意見もあるが,自宅クリニック前で倒れていた見ず知らずの患者が呼吸停止したため,やむなく気管切開に踏み切った結果,血管を損傷してしまい,患者を出血死させた症例で,刑事捜査の対象となり,遺族から損害賠償請求を受けた事案が知られている。決して“杞憂”などではない。

本当は救急搬送を受け入れたくなかったが,医療者の良心から受け入れたところ,マンパワーの不足もあって医療事故が起これば,刑事事件にも民事事件にもなる。さりとて,搬送を拒否すれば,それはそれで事件やスキャンダルになる。まさに進退両難である。

さて,アメリカでは,全州に“善きサマリア人法(Good Samaritan Law)”と呼ばれる法律があり,(交通)事故等の場合の善意に基づく緊急行為については,故意または重大な過失のない限り民事上の賠償責任を負わないものと定めている。

同時多発テロや未曽有の天変地異の備えという面でも,善きサマリア人法について検討し立法することが必要である。現下のCOVID-19による医療現場の逼迫状況に鑑み,医療者に対する何らかの免責法規の制定が叫ばれてもいる。

善きサマリア人法不要説を論破し,同法の実現を医と法の連携のもと国民的運動へ

1990年代半ばから,わが国においても,善きサマリア人法の法制化が必要であるか否か議論されてきたが,政府の見解は,民法698条の緊急事務管理の規定があるので,“不要”ということのようである。

緊急事務管理というのは,他人の生命・身体等に対する差し迫った危険を回避するために義務なく行動した場合に,故意または重過失のない限り,損害賠償責任を負わないという民法上の規定である。

これに対して,善きサマリア人法の必要を説く論者は,医師には,医師法上の応招義務があるから,「義務なく」ではなく「義務あって」診療する以上,緊急事務管理は適用されないと反論することがある。

しかしながら,医師法上の応招義務は,医師が国に対して抽象的に負っている公法上の義務であって,“民法”上の緊急事務管理にいう義務は他人に対して負う私法上の義務を意味する以上,医師についても緊急事務管理の規定は適用されるものと解されている。逆にいうと,診療契約が成立した後は,緊急事務管理は適用されないこととなる。

加えて,近時の行政通達によって,診療時間外・勤務時間外には応招義務はないものと公権解釈が示されたため,この点もまた緊急事務管理の適用を可能とする論拠の1つとなっている。

じゃあ,善きサマリア人法は必要ないということになるのか。そんなことは断じてない。
その根拠を,3点,挙げておきたい。
1点目
まず,緊急事務管理は医師の間でまったくといっていいほど知られておらず,規定の仕方も医療に特化されたものではなく極めて一般的であてはめに苦労するものであるから,善きサマリア人法を作って明確にすべきである。当然,善きサマリア人法案が審議されれば,社会的な関心を集め,医師にも周知され,躊躇なくドクターコールに応じられるようになる。
適用範囲は,診療契約上の義務を負うに至るまでとし,明確化のため,患者ないし代諾者が書面をもって診療を申し込んだ時点とする。このことで契約関係ないし信頼関係の確立していない救急患者との紛争を回避することができ,患者にとってもいわゆるたらい回しをされなくなるというメリットがある。
主体として,医師のほかに救急救命士を加える。去る5月,救急救命士法が改正され,入院までの間,ER等で救急救命士が救命処置を行うことができるようになったことを踏まえた。

2点目
アメリカの善きサマリア人法は民事免責すなわち損害賠償責任の免除を定めるものであるが,わが国の立法論においても,もっぱら民事責任のみが対象とされてきた。
しかし,医師が怖れるのは民事責任よりも刑事責任すなわち業務上過失致死傷罪に問われることである。
アメリカで民事免責のみが問題となるのは,アメリカでは医療事故について刑事責任は問われることがないとされているから,刑事免責を定める必要がないだけなのではなかろうか。
わが善きサマリア人法においては,刑事免責も認めるべきである。

3点目
わが国には緊急事務管理があるから,などという考えでは,グローバル化に対応できない。
世界中の医師が,世界のどこにいても,緊急事態に際して,安心して医療行為を行えなければならない。
中国には,善人法といって民法において緊急救助行為につき民事免責が規定されている。
日本版善きサマリア人法の制定後には,医療先進国である日本が音頭を取って,善きサマリア人条約を発案し,各国に加入を求めることまで構想したい。

ここに法律案を掲ぐ

法律名は,政教分離の精神に照らし,善きサマリア人との名称は用いず,医療的救助者保護法とする。

医療的救助者保護法(案)
(目的)
 第1条 この法律は,医師及び救急救命士による医療的な救助行為が躊躇なく行われることを促進し,危急時に傷病者が放置され,あるいはたらい回しにされるなどなきことを目的とする。
(民事的免責)
第2条 医師及び救急救命士は,傷病者又はその代諾者が書面をもって医療機関に診療を受けることを申し込み,医療機関がこれに応じるまでの間に,医療的な救助行為によって傷病者に生じた損害を賠償する責めを負わない。ただし,故意又は重大な過失があった場合には,この限りでない。
(刑事的免責)
第3条 医師及び救急救命士は,前条に定めるまでの間に,医療的な救助行為によって傷病者を死傷させたとしても,刑法第211条前段に定める業務上過失致死傷罪に問われない。
(注:殺人罪=故意犯や重過失致死傷罪までは免責されない。)

*2021年12月4日(土) 日本賠償科学会 第78回研究会『「善きサマリア人法」の多角的考察』 が昭和大学上條記念館にて多数の参加者を得て盛会のうちに開催された。

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平沼直人(弁護士・医学博士)

◇◇平沼直人氏の掲載済コラム◇◇
「無」【2021年7月27日掲載】
「”賠償科学”を知って欲しい!」【2021年5月6日掲載】
「美少女画」【2021年4月6日掲載】
「性」【2020年11月24日掲載】
「成年後見人の医療同意権」【2020年11月5日掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧下さい。

2021.10.07