自由な立場で意見表明を
先見創意の会

美少女画

平沼直人 (弁護士、医学博士)

Aquirax

高校生のころ,寺山修司の本の美しく繊細なデザインに心を奪われ,奥付をめくると,著者 寺山修司と並んで,装幀 宇野亜喜良の名前を見つけた。
以来,ファンである。

瞳の大きな美しい少女は,幻想的で毒がある。その魅力から目が離せなくなる。
美少女といっても,中原淳一のようにおしゃれで清楚な感じではなくて,小悪魔的におとなたちを惑わす。

毎夏,麻布十番納涼まつりでは,氏のイラストが描かれたうちわが配られる。今年はどんなデザインだろうかと楽しみにもらいに行く。早々と品切れになることもあり,そんなときは同じデザインのTシャツを買って帰る。手元に2012年のうちわがあった。巨大な卵だろうか,殻を突き破った少女が金魚すくいのポイを空中にかざしているが,さらに,そのポイを飛んで来た猫ほどの大きさの金魚が突き破っている。

2013年2月に六本木ヒルズで氏の個展「さよならの城」が開催され,会場で,ちょっと珍しい立体作品を手に入れることができた。西洋人らしい女性が顔を横向きにして目を閉じているが,階段が上に延びて貝殻にたどり着く。像のうしろには,“窓からの眺め”とタイトルが鉛筆書きされ,フランス語風にAquiraxとサインがある。

2015年9月,氏の美術・衣裳による“寺山修司生誕80年記念 美女音楽劇「人魚姫」”を東京芸術劇場で観た。人形と俳優(ヒト)が渾然一体となった不思議な舞台だったが,人形というものの持つなまめかしさに気づかされた。氏の演劇との関わりは,影絵作家としてもはや伝説の域に達した藤城清治が主宰していた着ぐるみ人形劇の木馬座からだという。幼稚園に入る前の私はご多分に漏れず日本テレビ木馬座アワーのケロヨンに夢中で,大酒呑みのおじをギロバチとあだ名していたのも懐かしいが,祖父母が木馬座の公演にせっかく連れて行ってくれたのに,すぐに“もう帰る”と言って帰ってしまった。テレビと違って等身大のケロヨンは,いわゆる不気味の谷だったのだろう。大きな釣り目だとか,氏も稀代の影絵師からの影響を語っている。小学生になるとNHKの新八犬伝を平日の夕方,毎日15分間見るのが日課となった。つやのある人形は辻村ジュサブロー制作とクレジットされていた。その辻村寿三郎(ジュサブロー)が,1967年,寺山の人魚姫が初演された際に,宇野亜喜良がデザインした人形を制作していたというのだから,繋がっているなあと感嘆せざるを得ない。

青児美人

物心ついた頃には,安田火災の東郷青児のカレンダーがそこここに掛けられていた。モダンな美人画だ。
つるっとしたマネキン人形のような質感が面白かった。

新宿駅西口を出ると,白いスカートの裾を広げたような損保ジャパン本社ビルが現れる。
その最上階にほぼ近い42階に東郷青児美術館はあったが,昨年(2020年)7月,本社ビルに寄り添うようにして小さな建物ができ,SOMPO美術館として再オープンした。
先日,新美術館の“東郷青児 蔵出しコレクション”を訪れた。
代表作“望郷”の前に立つ。
伏し目がちに横を向いた若い女性がこちらに振り向こうとしているようだ。スカーフが幾何学的にたなびき,スカートのプリーツがグラデーションでやわらかなリズムを作っている。ゆるやかな曲線で描かれた人物と,遠景に見えるのは古代遺跡であろうか,その直線的表現が対照をなしている。

“青児美人”と,その通俗性を揶揄されることもある。しかし,だから,青児美人はわたしたちの日常生活に溶け込んで暮らしを華やいだものにしている。
自由が丘の老舗洋菓子店モンブランの壁一面を彩る青児美人たち。
わたしの事務所の大会議室には,さり気なく“手術室”(1930年,大分県立美術館蔵)の絵葉書が飾られている。
執務室には今も東郷青児のカレンダー。

■appendix
1 寺山修司の短歌
“海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり”

2 宇野亜喜良氏の仕事場は麻布十番にある。
麻布十番の小さな広場には,童謡“赤い靴”のモデルとなった“きみちゃん”の像がたたずんでいる。

3 氏の俳句
月の雨声失き恋の人魚姫

4 ケロヨンはカーマニアでスピード狂。幼少の私も自動車好きで,ありとあらゆる車のメーカーと名前を言い当てては大人たちを驚かせていた。祖父母の家の中では足でこぐタイプの車に乗って疾駆し,縁側から転落した。そう私が大人になっても祖母は面白おかしく昔話をした。
 我が家に初めてやって来た車がトヨタの新型コロナだった。だから,コロナ,コロナと連呼しないで欲しい。WHOの提唱するようにCOVID-19と呼ぶべきだ。こんな時だから敢えてコロナビールを注文する。瓶の口に差し込まれたライムを軽く搾って瓶の中に落とし込む。Cheers!

5 1976年3月に竣工した安田火災本社ビルは,新宿の貴婦人と称され,1987年3月,後藤康男社長が当時の為替レートにして約53億円でゴッホのひまわりを購入し展示したことでも話題をさらった。後藤さんをバブル紳士のように悪く言う人もいるが,入社後,働きながら法政大学を卒業した立志伝中の人物である。企業メセナ,環境経営の先駆けでもあった。事件がうまくいくとご褒美に小金井カントリーに連れて行ってくれた。あの笑顔が忘れられない。
 ところで,貴婦人と言えば,2013年(4月24日~7月15日),国立新美術館で公開された巨大タペストリーの連作“貴婦人と一角獣”についても是非書きたいところだが,今回のテーマとややずれていて,紙幅も許さない。

6 東郷青児の言葉(“手術室”という作品について)
「聖ルカ病院の看護婦のユニフォームが僕は大好きだ。」
「手術台を陶器のやうに冷たく磨き出すことに随分苦心した。この繪の中に取扱はれてゐる黒い靴下,ゴムの手袋,手術台その他すべては今まで何十遍となく僕の頭の中で愛玩されて来た素材だ。」

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平沼直人(弁護士、医学博士)

◇◇平沼直人氏の掲載済コラム◇◇
「性」【2020年11月24日掲載】
「成年後見人の医療同意権」【2020年11月5日掲載】
「ガウディ」【2020年6月30日掲載】
「死」【2020年3月17日掲載】

☞それ以前のコラムはこちらからご覧下さい。

2021.04.06